星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第29号)
 〜平成15年9月1日発行〜


特集1
 卒業生の学内教授 今年も誕生
教授に昇格して
基礎医学系医学教育情報学 教授 灰田 宗孝(3期生)
 私は今までの人生で、何度かの方法転換をしてきた。子供の頃は電気が好きで、鉱石ラジオを作ったり、電気の仕掛けを作ったりした。高等学校を受験するに当たり、私は電気の出来る工業高校を選択した。母はピアニストで教育には無頓着であり、工業高校の卒業生は殆ど就職するなど考えもしなかったため、即座に賛成してくれ、今は東海大学付属高輪台高等学校となっている、東海電波高等学校電子科に入学した。そこで楽しい電気の勉強をし、トップで卒業し、松前重義氏から総長賞を頂いて卒業した。そのころ私は、現象論である電気より、より本質にせまる物理学に興味が移っていた。そこで早稲田大学理工学部に物理科が出来たのを幸いに入学した。早稲田では物性物理をやり、電気磁気効果で博士号をとった。そこでまた、移り気が頭をもたげたのである。物理学は楽しいのだが、「何の役に立つの?」という簡単な質問に答えられなかったのがつらかった。口幅ったいようだが、学問は人のためにするものであって、学問のためにするのではないと思い始めた。そこで、一番人の役に立つ学問と考えると、医学しかないとの結論に達した。私の考えでは、物理屋として、医学部に就職しても真の医学はできない、臨床医になる必要があると考えた。そこで、そのころ健在だった二人の叔父、灰田 勝彦、有紀彦(晴彦)に相談した。二人の叔父の父(私の祖父、灰田 勝五郎)はハワイのクワキニホスピタルの2代目の院長であり、二人の叔父も音楽をやらなければ医者になる予定だったため、即座に賛成してくれ、スポンサーに成ってくれる約束ができた。そこで、試験日の早い東海大学医学部を模擬試験のつもりで受験した。ところが面接が終わった後、東海大学から、2年生に入りたくないかとの連絡が入り、一般教養は免除され、2年になれるとの話であった。年を食った私には夢のような話で、結局東海大学に入学した。無事卒業し、医師国家試験も合格し、東海大学での臨床研修後、神経内科に入局。助手、講師をへて、平成13年に助教授に成ると共に、生理科学に移動した。生理科学で2年過ごし、今年から設けられた医学教育・情報学の教授となった。電気−物理学−神経内科−生理学−教育学と変遷してきた私の人生にとって、この医学教育の教授になったことは、今までの経験を医学教育でまとめ上げることとなる。このことは私にとって非常に大切な事であり、また、やりがいの有る仕事であると思っている。


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