星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第30号)
 〜平成16年3月1日発行〜


開業医のページ


 2年前より卒業生で開業された先生方より近況報告の原稿を頂いて掲載しております。本号では3期生に原稿依頼をいたしましたが、毎年3月号に本コーナーを設けておりますので、卒業期を問わず、投稿をお願い申し上げます。 というわけで、7名の先生方からの近況報告です。

「人との出会い」
大秦野内科クリニック 渡辺 誠一(3期生)

 人との出会いはその人の人生を変えてしまうと言いますが、私も人との出会いによって人生が変わりました。東海大学卒業後、友人の多くは地元に戻りましたが、私は、実家が開業医ではなく、ただなんとなくそのまま東海大学の内科研修医となりました。その当時は内科全科を研修することが不可能で、2年間の研修が終了しようとしていた頃、内科医としての自分に自信を持てず、再研修を受けようと都内の研修指定病院をいくつか受験していました。幸い1ヶ所から内定通知を頂き、もう一度勉強し直そうと考えていましたが、第7内科の富野先生(現順天堂大学教授)から、入局を誘われ、未研修の内科を入局後研修することをお願いし、第7内科へ入局しました。入局後の他科研修は私が初めてだと思います。その後新設された東海大学大磯病院へ出向となり、遠藤先生(腎・内分泌・代謝内科)らの指導を受け、内科医として徐々に力をつけ、全く考えていなかった医学博士も富野先生のご指導でいただくことができました。また2期生の米倉先生から勧められた内科専門医試験に、米倉先生・同期の白井先生らと共に、東海大学卒業生としては、第1号で合格することができました。
 卒業6年目から5年間平塚市民病院に勤務し、内科の各種疾患を経験することができ、内科医として自信を深めました。また1期生の三浦敏洋先生から内視鏡検査を教えて頂き、現在当院の評判になっている苦痛のない内視鏡検査に大変役立っています。
 平成4年、同期の栄枝先生の紹介にて秦野市に開業しました。お金がなくビルの2階の小さなクリニックですが、前の勤務先から100名ほど患者さんが来院し、また近隣の病院に勤務している先輩・同期・後輩達から多くの患者さんを紹介して頂き、現在は専門とする糖尿病患者数が900名を超え、全患者数も開業後11年連続増加し、14名のスタッフと共に毎日忙しく診療を行っています。
 東京からの遠距離通勤にて朝が早い(午前5時40分起床)、患者数が多く待ち時間が時に2時間を超す、診療スペースが狭いということが悩みの種です。
 昨年6月から肥満外来(ダイエット教室)を始めました。準備期間に1年を要し、看護師・管理栄養士・健康運動指導士によるダイエット教室は、好評で、患者さんは順調に減量できています。ホームページも同時に開設し、最近は遠方から来院する患者さんも増えています。また院長が肥満では、患者さんから信頼されませんので、3か月間で体重を10Kg減量し、ほぼ標準体重まで減量させることに成功しました。
 あの時そのまま、東京で再研修を受けていたら、今ごろどうなっていたのか、時々考えます。色々な人との出会い、また色々な人からの助けがあったから、今の自分があると思っています。感謝・感謝。
そして最後に、妻との出会いがあったから今まで頑張ってこられたと思います。妻にも感謝・感謝。


「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
山口医院 山口 力(3期生)

 今年の箱根駅伝、東海大学総合準優勝という快挙をなしとげ、興奮しております。弘前市の南側に、脳神経外科として開業し、五年目を迎えました。学生時代から東海大学に在職していた20数年、住んでいた伊勢原を思い出し、毎年正月は箱根駅伝に出てくる地名を懐かしがっていたのですが、今年は選手がテレビに映っている! 感慨も一入でした。
 閑話休題
 今迄、病院勤務をして、救急患者を診たり手術をしたりの毎日でしたが、無床診療所として開業すると全く違う面を感じます。脳神経外科といっても、穿頭術、開頭術など入院設備がないとできません。自分が診断した脳腫瘍、SAH、ICHにしろ、慢性硬膜下血腫ですら、他医に委ねざるを得ないのです。ライフルを持たないゴルゴ13のようなもので、大きなストレスです。
 然し、見方を変えると興味深いことに気付きました。例えば外来で頭痛を訴える患者のCTスキャンが正常だった場合、勤務医時代は「何もなくてよかったね」と鎮痛剤を処方するかしないかで終わりだったものが(何かあれば、本当の出番)緊張性頭痛や片頭痛、後頭神経痛などきちんと患者の訴えに対し答えを出し、症状を確実に緩解させるところまで治療にあたるのが、開業医としての脳神経外科医の努めということです。そのために問診は非常に重要(今更ながら)です。それも多岐にわたり、症状詳細は勿論、医学的でない事、例えば家族関係(嫁姑問題含め)近所付き合い、仕事(その職種に応じた内容、同僚、上司等)にまで及び、傍から見ると世間話をしているように見えるくらい。これはその患者の人柄を判断し適切な応対をし、的確な治療を導くと共に、患者と医者の信頼関係を築くにも重要なことと信じております。
 地方都市にて一人医師で開業していると、なかなか学会に出席できないので困ります。日本脳神経学会総会は例年、水、木、金の3日間なので、休診にしないと出られないのが、一番つらい。学会に出席して新しい知見を勉強したいのは当然ですが、クレジットを確保しないと、専門医を維持できないのです。
 我々を取り巻く医療行政情勢は逆風が吹いていますが、とまれ、東海大学医学部卒業生としての誇りを持って、北方の地で地域医療に専念していきたいと思っております。


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「睡眠呼吸障害患者の診療に明け暮れて」
横浜呼吸器クリニック 小野 容明(3期生)

 睡眠呼吸障害を呈する代表的な疾患として、睡眠時無呼吸症候群(Sleep Apnea Syndrome;SAS)がいま社会の注目を集めています。その有病率は極めて高く一般人口の約2%に認められるといわれております。これは 糖尿病や気管支喘息に匹敵する数です。わが国の人口を1億2千5百万とすると、軽症から重症まで含め250万人の方に存在する計算となります。しかし、残念なことに、正確な診断を受け、適切に治療されている方はその2%といったところが現状でしょう。いくつかの理由が考えられます。その1、患者さんの自覚症状に乏しい。まず痛い痒いがありません。 大きないびきをかいてベッドパートナーに迷惑をかけますが、ご自分では分かりません。その2、いびきを異常と捉える方が少ない。皆さんたかがいびきとお考えのようです。いびきは睡眠中に上気道の筋肉の緊張が緩み、狭まった気道に無理やり空気を通すことで発生します。いびきの発生源は咽喉にあります。さらに筋肉が弛緩すると上気道は完全に閉塞してしまい、行き着く先は無呼吸です。しかし、いつまでも呼吸を止めているわけにもまいりません。酸素が無くては生命を維持できないからです。そこで無呼吸はいびきという大きな呼吸の再開とともに終焉を迎えます。その3、しばしば昼間の眠気やだるさを他の原因に求めている。丁寧に問診しなければ判らぬことですが、患者さんは多かれ少なかれ皆昼食後の知的活動力の低下があります。毎日のことなので働きすぎだ、睡眠不足だ、更年期症状だ、と片付けている方が多いのです。寝ている間の患者さんの脳波を観察していると解るのですが、繰り返し起こる呼吸の停止と再開は、眠っているはずの脳に覚醒をもたらし睡眠構築を破壊します。ヒトは人生の3分の1を睡眠に費やさねばなりません。寝ている間に身体と脳に休息を与える必要があるからです。休息が取れなければ回復できません。前日の疲労から回復できぬまま朝を迎えれば、日中に耐え難い眠気を引き起こすのも当然です。
 平成14年4月の開院以来、当クリニックのSAS患者は約2000人を数えます。毎週4日SAS診断のため終夜睡眠ポリグラフ検査を施行し、クリニックに寝泊まりを続けております。40代半ばの小生には些か堪える日々ですが、少なからず自身の診療が社会の生産性向上に寄与しているのではという自負があります。もし先生方の患者さんでお心当たりの症例がありましたら、どうぞご相談下さい。


「折り返し点」
医療法人社団 タムラ 理事長 田村 嘉之(3期生)


 大学を退職し、早3年が経ちました。この間、同窓会会員の皆様と接する機会も減り、御無沙汰しております。今回、本会報を介して会員皆様に近況報告などの御挨拶ができることを大変光栄に存じます。
 退職後は私の永年の夢であった頭頚部外科を中心とした専門性の高い病院開設をめざし、毎日努力しております。この事業計画の第一歩として、4年前に10名を超える多数の有志(全員、同窓会員)の賛同および協力を得て、伊勢原協同病院での耳鼻咽喉科診療(外来および手術)を継続しながら海老名耳鼻咽喉科クリニック(所在地:海老名市中央)を開設しました。2年前には頭頚部腫瘍外来や中耳外来などの専門外来と日帰り手術を行うことを主な目的として県央厚木耳鼻咽喉科クリニック(所在地:厚木市栄町)を開設し、夢実現のための基礎を一歩々着実に進めております。しかし、いまだ病院完成予定日は未定であり、多少の不安を感じております。
 私自身の現在の実働状況を紹介します。伊勢原協同病院での診療(外来および手術)は火曜午前−午後と木曜午後。県央厚木耳鼻咽喉科クリニックの診療は月曜と金曜の午後と木曜の午前。その他は海老名耳鼻咽喉科クリニックにて診療を行っています。3つの施設を掛け持ちしているため、大学在職中と同様、大変忙しい日々を送っています。開業医でありながら休みは日曜日のみで、しかも月に2日〜3日間ぐらいです。こんなハードなスケジュールにも今では心身ともに慣れてしまい、今後も現状を維持、継続していけそうです。
 東海大学や伊勢原協同病院などの多くの人達の御協力と我々グループ全員の努力の結果として、退職後の現在でも自分の専門領域でもあり、得意分野でもある頭頚部腫瘍や慢性中耳炎に対する外科治療を中心に耳鼻咽喉科領域全般の医療を大学勤務時代とほぼ同様に行える医療環境を整えることができました。逆に大きく変化したことは、自分と患者さんとの距離が明らかに近くなり、患者さんのニーズをより多く汲み取ることが可能になったと感じられることです。現在は患者さんのニーズにあった医療をどう行うかを自分の課題とし、過去に習得した医療技術の改良を行い、治療法の一つの選択肢として外来手術治療を積極的に取り入れています。お陰様にてアレルギー性鼻炎に対する炭酸ガスレーザー治療や滲出性中耳炎に対するチュービングにとどまらず、慢性副鼻腔炎に対する内視鏡下鼻内手術や鼻中隔弯曲症に対する鼻中隔矯正術などの外来日帰り手術を数多く手掛けることができました。また、初診時から治療中、さらに治療後の経過を十分に観察することも可能になり、一貫性のある医療が実践でき、新たな臨床経験(=発見)と充実感を享受しています。この様な医療環境を最大限活用し、グループ全員に対する臨床および学術的教育にも力を注いでいます。具体的には若手医師を中心に年に4〜5回の学会発表を指導し、さらに学術集団会を年に2回開催しています。ただ、グループ全体としての論文活動はできておらず、今後の課題と考えています。
 いろいろな事情にて40歳半ばで大学を退職し、新たな人生を歩み始めました。図らずも退職したことが自分自身のステップアップに繋がったと判断しており、そういう意味で大変有意義な人生の折り返し点を通過できたのではないかと実感しております。夢実現には幾多の試練が待ち受けているかと思います。もう少しの間、夢を追い求めていきたいと希望します。
 今後も会員皆様からのさらなる御指導と御協力が得られるなら幸いです。

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「医 院 継 承」
古閑医院 古閑 俊浩(3期生)

 私は秦野赤十字病院小児科に12年間勤務した後、平成12年4月に昭和30年より父が現在の場所で開業している医院に副院長として入った。場所は大学のある伊勢原駅より4つ小田原方面の、渋沢駅北口より100mの所で、父の医院併用住宅のある200坪の土地の中に自宅を建てさせてもらった。医院継承で子が入る場合、親子2人同時に診療する場合も多いようだが、診療所が30坪と狭く診察室が1室しか使えないこと、父が79歳と元気だが高齢であることも考え、交替で仕事をすることになった。父は火曜日と金曜日の午前・午後、第1土曜日午後・日曜日午前を診療日とし、祝祭日は休みだが、それ以外を日曜日の午前中、土曜日の午後を含め私が働くことになった。開業するのに、親が開業医だと楽でよい、親と一緒に仕事をするのは大変だ、2代目はつらい、など今までいろいろ多くの情報を得ていたが、意見が異なるのは当然なので、親の言うことをよく聞きながら、ゆっくりと自分なりに変えていけばよいとは感じていた。院内の受付は、防犯用も兼ねた半透明のサッシの下に40cm四方の中の小さな穴があり、少し頭をかがめてみないとわからないようなものであったが、それを普通のオープンカウンターにしたり、手書きのレセプトだったのをレセコンを入れたり、黒のパイプ椅子を変えたり、少しずつリフォームをして行った。1年目に1室、4年目に1部屋増築した。
 内科をしていて小児科を標榜している開業医は比較的多いと感じていたが、小児科をしていて内科を標榜している開業医は比較的少ないように感じる。私は、内科の患者さんを救急当番でしか診察したことがないので不安であった。初めは内科の患者さんが診察室に入ってくると少し緊張したが、3ヶ月も過ぎるとあまり気にならなくなった。今は内科の先生方に失礼と思うが、内科研修医4年目位と自分で勝手に考えている。生活習慣病など開業医レベルの勉強をすればするほど、内科は医療の基本と感じ興味をもって接することができた。そのためか20数年吸ってきた煙草もやめられたような気がする。先日小さな看板を出すことになったので今までの看板が小児科・内科であったのを、内科・小児科に変えてみた。最近の患者さんの比率は土曜日・日曜日は小児が殆どを占めるが、他の曜日は小児60〜70%。内科30〜40%位である。
 開業医になって良かった事は、患者さんと分け隔てなく話せるようになったこと、自分の時間が増えたこと、つまらない事は、話し相手、雑談の相手が減ったことであろうか。近所に医療ビルが建ったり、今後も開業医が増えるであろう。私は良質で、敷居の低い、安価な医療を住民に提供したいと考えている。大学に近いためか同窓とのゴルフコンペや勉強会なども多くあり、大学病院、同窓の病診、診々連携を深めていきたいと考えている。


「今後も宜しくお願いします」
はせべ内科医院 長谷部 哲理(3期生)

 星医会の皆々様、益々お元気でご活躍のことと存じます。この度、同窓会の会報で3期生の開業医のページが設けられるとのことで、筆をとることになりました。私は、東海大学を卒業して早いもので、20年余りが経過しました。そして、平成14年6月に厚木市戸室において、微力ながら諸先輩方のご指導のもと地域医療の向上・発展をめざして、内科医院を開院いたしました。今振り返ってみると、開業にあたりいくつもの諸問題に対面することになりましたが、最も難しいと思ったことは人材募集でありました。医療機材は、自分の気に入ったものを購入すればよいわけですが、スタッフを集めることなど今までの人生で、経験はありません。まず、職業安定所に登録すればよいと思い、職安に足を運びました。そこでは、不況のためか私と同年代の中年男性が大勢パソコンの画面と向き合い、職をさがしていました。私にとって初めての場所であり、まず受付に行ったところ、受付嬢から「おさがしですか」と言われたため、「はい」と答えると「こちらへどうぞ」と案内され、条件を用紙に記入するよう指示されました。しかし、そこで話をしながら用紙に記入していると、どうも様子が変でありました。私は、スタッフを募集するために来たはずなのに、私が職をさがしていると思われたことに気づきました。私がよほど困った顔をしていたためなのでしょう。その場では、お互い笑ってお茶を濁してすぎましたが、今では苦い思い出となっています。
 実際診療を始めてからも、今まで気づかなかったことが、いくつかあります。例えば診察室で患者の訴えを聞いていると、自分の身体のこと以外にも仕事のことやら、嫁と姑の関係など悩み事を抱いている患者さんが非常に多いことに驚きました。しかし、開業医としては患者の病気の事だけ診ていればよいはずがなく、家族関係まで把握して診察する必要があり、いわば人生相談にのっていることも多々あった気がします。そんなこんなで開業して1年半以上が経過しました。開業後、近隣の先生方から胃や大腸の内視鏡検査の患者を紹介していただいた時や、医師会の会合などで久しぶりに大学を離れた星医会の先生方と話をする機会もあり、大変なつかしく、また楽しい一時も最近増えてきました。これからも多くの難題が降りかかってくると思いますが、チャレンジャー精神をもって諸問題に対応していくつもりです。
 今後も、東海大学病院や出向病院にて学んだ経験を生かして頑張るつもりでおりますので、一層のご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

 はせべ内科医院(内科・消化器科・がん検診・健康診断・各種予防接種)
     〒243-0031 神奈川県厚木市戸室1-32-3 グレースビル3F
              専用駐車場完備  TEL・FAX 046-295-1241 
                          URL. http://www.nmc.ne.jp/hp1/hasebe/
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「父と共に歩む道」
今岡医院 今岡千栄美(3期生)

 東海大学医学部を卒業して二十数年、月日は百代の過客にしてである。卒後六年は大学病院での研修、その後伊勢原協同病院に出向したが、居心地の良さから大学退職後も非常勤として勤め、昨年春より漸く自宅医院での診療に専念することになった。
 開業地は東海大学病院と車で十分ほど、学生時代から目にする景色はまるで変わっていない。この地に父が開業したのは、三十八年前。まだ大学病院は産声すらあげていなかった。今は父と机を並べ診療にあたっている。開業当時、私はまだ幼かったが、毎日の光景はよく憶えている。開業医の数が今とは比べ物にならない程少なく、いきおい往診のエリアが広域にわたり大変だった。夜は夜で、急患を運ぶ救急車が途切れなく続く。狭心症、喘息、熱性痙攣と続くうち、朝を迎えることもしばしば。夜明けまで眠れず、我身の不幸を子供心に嘆いたりもしたが、診療にあたっていた父の方が当然何倍も苛烈だったろう。今では東海大学病院をはじめ、近隣病院との病診連携が整い、急患はもちろん、入院や精密検査の必要な患者さんも安心して受け入れてもらえるようになったので、昔のようなことはなくなった。医療環境の充実さまさまである。
 患者さんの三分の一はお年寄りだ。親、子、孫と三代にわたって通院される方もおられる。一方で独り暮らしの方も多く、往診は今もかかせない仕事ではあるが、バックアップが求められるという安心感は何ものにも代え難い。
 現在は、問題がありそうなケースは病院検査等をお願いしつつ、父と私がお互いの意見を交換することで診療方針を決めている。それぞれの専門分野の知識や経験が活用できるのは、その時点で最良の施療がチョイスできるのでいいことである。
 この地に居を構えるまでの数年、父はいわゆる僻地医療に従事した。風光明媚な地で、村の人々の人懐っこく優しい気持ちに触れながらの幼少期は幸せな経験だった。そして私に医師への道を選ばせたのは、そこでの父の姿だった。先頃、僻地医療を扱った漫画の「Dr.コトー診療所」がドラマ化、テレビ放映された。その中で島の漁師の息子がコトー医師とかかわっていくうちに医療を志す決意を表明する場面がある。ステレオタイプ的な内容だが、医師の目指すべきものは、おそらくこの少々照れくさい決意表明の中にこれからもずっと込められていくだろう。「僕、大きくなったら先生のような医者になりたい」と。私も当たり前のようにそう思ったわけだから。どこに身を置いても、時代が変わり、医学が大いに進歩しようとも、後輩たちに引き継いでいきたいものは、この少年の単純な決意を引き出す医師の姿勢なのだと思う。
 父にあとどのくらい現役でいてもらえるかわからないが、できるだけ一緒にやっていきたい。心を持って医師を目指す世代に見てもらえる姿を父に学びながら、胸を張って実践していけたらと思う。
 最後に。少しでもお役に立てるならと関わってきた同窓会の仕事に加え、昨年から新たに地元厚木医師会の業務にも携わるようになった。また、本誌で紹介された厚木星医会倶楽部をはじめとした同窓会OB主導の新会の運営にも参加させていただいている。同窓会のさらなる発展と地元医師会を結ぶ架け橋になれたらと思っている。この場をお借りして皆様のお力とご協力をお願いしておきたい。


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