星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第31号)
 〜平成16年9月1日発行〜



特集2  卒業生の学内教授 今年も誕生

光陰矢のごとし
総合医学研究所先端医工学部門  教授 中島 功(1期生)

 1974年4月、大井川鉄道沿線の中川根で佐々木医学部長、正津副院長から心温まる入学時研修を受けて以来、ただ時間だけが矢のごとく過ぎ去ってしまった。 一方、昨今の情報通信技術は、日進月歩の進展を来たしているが、小生の机の上には読みきれずに積まれたままのコンピュータ(PC)関連の論文で溢れてる。 
 ところで「光陰矢のごとし:Time flies like an arrow」という諺を、小生のコンピュータは人の脳のように処理し、感じているのであろうか?  小生がPCに馴染まないのは、自分自身の落ち度でなく、現行のPCそのものが悪いのだと感じている。 そこで今日は、その理由を蟻のフォーメーションを用いて解説したい。
 100匹の蟻を巣ごとガラス箱の飼育箱に入れ、100匹のそれぞれの行動を観察すると、いくつかの面白い事象に気づく。小さな餌を与えると、多くの働き蟻は餌を巣に運ぶが、良く見ると特定の蟻は、餌を運ぼうとはせず、一見、遊んでいるかのように見える(黒矢印)。 その数、遊んでいる蟻20匹、仕事をしている蟻80匹。面白いことに遊んでいる蟻を割り箸で取り出し、働いている80匹だけにすると、{ 誰に命令された理由でもないのに }64匹が仕事を継続し、残りの20%は餌を運ばず、プラプラ遊び始める。おそらく20%で情報収集や管理などの役目を担当しているものと考えるが、だれがその役割分担を決めているのであろう?
 次に1匹では運べない大きさの餌を与えると、複数の働き蟻が共同して餌を巣の方向に運び始め、さらにこの状態で、一匹(No.8)を故意に外しても、{誰に命令された理由でもないのに }、それぞれが方向や距離を測り、餌の荷重を均等に調整して、残りの蟻(No.1-7)だけで餌を運搬していく。蟻は個体認識を距離、角度、そして時としてキス(接触)をして求めているのである。
これはまるで人間社会そのもの。 例えば、内閣総理大臣からあなたがた一人一人が「あーしろ、こーしろ」と、こまごまと命令されなくとも、各自がそれぞれ他の個体を認識(recognition)し、他と関係を判断し行動しているのと同じ。 つまり蟻の行動は脳におけるパターンマッチングを投影した情報処理系の結果が行動に反映しているものと考える。 言い換えれば、生物の情報処理は、PCM(パルスコード変調)した信号によるそれぞれのノード(興奮している脳の部位)の興奮程度をパターンマッチング化しているのではないか、数学的証明を免れるならば、神経網のネットワークトポロジー(形状)を使って情報処理していると。
 人は「Time flies like an arrow;光陰矢のごとし」を聞くと、同様に「 Time is money ;時は金なり」ということわざを連想する。 人は決して、flyの別の意味である「蝿」を思い浮べない。 ところが我々が毎日愛用しているPCでは、馬鹿げたことに「タイムという種族の蝿は、矢が好きだ」という訳を、「光陰矢のごとし」の次の候補として自動翻訳は準備している。 PCではflyという単語の処理を、timeとの使用頻度を確立関数に基づき求め、2つの枝別れの重み付けで「蝿」と「飛ぶ」のどちらかを選択しているのである。
 一方、人の脳は、複数の神経網にインパルスが流れ「time」という単語に反応・興奮する神経細胞のパターンで、人では「光陰矢のごとし」という文字列を認識し、同時にTime is money という文字列の興奮パターンが近いので、同様に連想してしまう。 例えば、空間的に分散している無数の電報電話局があるとして、結婚式場が隣接する局にのみ通信が増加する日、これを「吉日」と学習し、これらの電報電話局に通信量が増加する日を「本日は吉日ではないか」と推測するのが処理の原理である。
 蟻のネットワークトポロジーは、中央から判断できない末端(現場)での情報処理、例えば災害時、個々の端末が最適通信路を見つけるパケット通信網、マクロファージのような複数フォーメーション活動で異物を貪食する血管内マイクロマシーン、そして地球から制御できない月面作業車のフォーメンション運行に応用できると考える。
 PCと脳の処理系は北極と赤道ぐらいの違いがあり、そのため人は毎日使用しているPC(「タイムという蝿は矢が好きだ」と内心思っている奴)に共感することは絶対にあり得ない。 自分と正反対のことを思っているスタッフを、あなたは毎日、手術の助手に使うだろうか? PCは医師にとってストレスの何物でもない。 もしあなたが診療のデータ管理にPCを使わなければならない状況にあるならば、PCは日に2, 3回蹴飛ばしてもいいほどの事務機に過ぎない。 それ以上を求めることは、雪山を知らないシェルパと冬山を登山するごとく危険で、遭難へ迷い込む・・・。
 1974年以来、貴重な時間は瞬く間に流れ、それでも小生は空想に浸り続ける。



助教授 今年は3名誕生
助教授昇格にあたって
外科学系消化器外科学 島田 英雄(4期生)

 昨年の8月10日、かなり蒸し暑い夜でした。私は、町内会で開催している恒例の盆踊り大会で焼きそば係を担当していました。プロパンガスの炎で加熱された鉄板と焼きそばから上がる蒸気で額に汗していました。時間はちょうど午後の8時を少し過ぎた頃でした。いつもはあまり聞きたくないポケットベルの音。表示は2291と幕内博康教授室から、すぐに連絡すると助教授申請書類を明日には提出するので、訂正事項について早急に修正するようにとの連絡をもらうことができました。
 昇格人事会議の経過については、知るすべもありませんが、私が所属する消化器外科の幕内教授、生越教授をはじめ外科系教授、他科、教授先生方のご尽力のおかげで昇格できたことに大変感謝しております。教授会での報告事項、昇格人事の件として、自分の名前がプロジェクターに投影された時の実感は忘れがたい記憶として思い出されます。
東海大学医学部への入学
 私は、東海大学付属高校の出身です。当時、東海大学の本部、代々木校舎のある富ヶ谷に付属高校がありました。しかし、入学して数ヵ月後、私たちの母校の校名が変り、そして浦安に移転することを知らされました。後輩は誰もおらず、卒業時はわれわれ3年生だけと、いたって寂しい卒業式であったことを憶えています。
 子供の頃から、魚類と海は異常なほど興味を持っており、将来は水産試験所勤めを夢見みていました。しかし、水産学部の希望からいつの間にか、3学年の9月には大きく方向転換し、医学部への進路変更となっていました。
医学部の6年間
 学生時代は追試のお世話にもなりながら、空手道部でがんばっていました。当時は体育館もなく、ピロティー(講堂から階段で外に出た駐車場)で、りんどう寮へのナース送迎バスの隙間で活動していました。今日の道場での練習と比べるとまったく想像し難いものです。それでも、東医体や関東医科歯科リーグにも参加し部員の連係もよく充実したクラブ生活をおくることができました。このような縁もあり、3年前から空手道部の顧問を勤めさせていただいております。
外科で何をしてきたか
 国家試験にも無事に合格することができ、一般外科に入局しました。三富利夫教授のもと、5年間の研修終了後は助手となり、町立浜岡病院、平塚市民病院、森の里病院等に勤務するこができ広く外科領域の疾患を勉強させてもらうことができました。時の経つのは早いもの、あっという間の10年。東海大学外科に戻ってからは、食道疾患の診療を中心に行うようになり、三富先生、幕内先生、町村先生から指導をうけることができました。初期には食道静脈瘤硬化療法の臨床と基礎的研究、その後は幕内教授が開発されたEEMR-tubeによる早期食道癌に対する内視鏡的粘膜切除術の研究を行ってきました。また、今日でも消化器外科領域における、大きな手術の一つとされる食道癌外科手術をチーム一団となりおこなっています。


現状と今後の方向性
 今日、診療や医学教育は大きく変りつつあります。特に、診療面では包括医療の導入、在院日数の削減のため、外来で術前検査が行われ、患者様は手術前日の入院となった現況。各種コンピューターシステムの導入。診療行為にあたり、リスクを踏まえての取得同意書の増加。医学教育におけるクリニカルクラークシップや臨床研修医に関してもマッチングシステムの導入や外科必修の臨床研修などなど。また、建設中の新病院完成に向けての期待。加速的に流れる時間と直面する状況の変化に惑わされる毎日です。しかし、人間と深く付き合う天職を授かった者として、人情味のある診療、教育に心掛け、東海大学医学部の発展に貢献できれば幸せです。

▲ページのトップへ


助教授に昇格して
外科学系整形外科学 池田 全良(5期生)

 私は持田教授のご推薦を頂き、私の業績と論文が評価されまして、このたび2004年4月から東海大学医学部外科学系整形外科学の助教授に就任いたしました。当領域は、今井 望名誉教授により開講され、福田宏明名誉教授、そして持田譲治教授と3代にわたりまして、本年は丁度30周年を迎える節目の時期でありますが、このような記念すべき時期に教室発展の担い手のひとりに加えて頂きまして、その責任の重大性を痛感するとともに身が引き締まる思いが致します。
 私は、1984年に東海大学医学部を卒業し直ちに整形外科学教室に入局すると同時に日本整形外科学会に入会いたしました。当時の今井教授からは一般整形外科学とともに医師としての心構えを学びました。また、岡 義範講師(現東海大学八王子病院教授)のもとで手の外科の研修を開始しました。その後、国立療養所箱根病院、北海道整形外科進藤病院、町立浜岡総合病院、寒川病院と異動しました。その間、1992年に日本整形外科学会専門医を取得し、1995年に認定スポーツ医、1996年に認定リウマチ医を取得しました。また、末梢神経の修復術に関する実験的研究を継続しまして、1996年に医学博士を取得しました。1996年から英国留学して1997年に帰国後、大学病院で再び岡 義範助教授のもと手の外科、肘関節外科の診療と研究を続けて参りました。1999年に今の東海大学大磯病院に異動になりまして、2003年には第17回東日本手の外科研究会の事務局を担当させて頂き学会運営を経験しました。
 2004年度からは大磯病院における整形外科医長の役割を与えられました。病院は益々合理化、効率化、独立採算性を求められるようになりますが、日常診療での気づかいや思いやり、好奇心や探求心が置き去りにならないように自戒と謙虚な心を忘れずに仕事をしてまいりたいと思います。また、若手の整形外科医をはじめ研修医には魅力ある整形外科の医療をアピールしたいと思います。
 最後になりましたが、今まで私がお世話になりました先生方には引き続いてのご支援とご指導を賜りますようお願い申し上げます。東海大学の整形外科が国際的にもより一層その存在感がアピールできるように微力ながら尽力いたす所存です。



助教授に昇格して
外科学系消化器外科学 向井 正哉(6期生)

 当時、入局者説明会に遅れて出席した学部6年生の私に、“ようっ、向井、君はもう既に新入局者としてカウントされているので、今さらわざわざ聴かなくてもいいよ”と幕内医局長(現付属病院長・消化器外科学教授)から直接声をかけられ、会場は笑いでザワつき、嬉しいやら重苦しいやら・・・。心臓の動きを完全に止めてから無血野で手術を始める心臓血管外科医にも興味と憧れを持ち、悩む日々がしばし続き・・・。結局、初代 三富利夫名誉教授率いる旧第二外科学教室に入局することを固く決意し、泡盛の古酒を持参して御挨拶に馳せ参じました。実は卒業旅行と称して同級生の柳町君(画像診断学)、平川君(小児外科学)、東君(整形外科学)達と一緒に沖縄へ行き、遊んで帰ってきたばかりでした。勿論、サンサンと降り注ぐ太陽のもと、全身真っ黒に日焼けした私は、外科病棟にはおよそそぐわぬ状態でありました。早速、三富教授の優しく笑いながらも冷めた鋭い眼光が心の臓に突き刺さり、超ヤバッみたいな気まずい感じの雰囲気が秘書さんにまで伝わってしまったことを鮮明に記憶しております。
 月日が経つのは誠に早いものです。1985年卒業(6期生)の向井でございます。卒後20年目を迎え、この度、幕内外科におきまして助教授の大役を仰せつかりました。まだまだ未熟な若輩者でありますが、私なりに考える抱負を若干述べさせて頂きたいと思います。第一に診療面ですが、大腸内視鏡を自由自在に駆使し、内科医の先生方を唸らせる外科医ならではの内視鏡的治療を常に心がけたいと思います。また、手術手技と外科的治療に加え抗癌剤等を用いた癌の集学的治療におきましては、外科医の先生方だけでなくOncologistの先生方からも広く御賛同頂けるよう頑張りたいと思います。近年、極めて厳しい医療事情のなかでHigh risk & no returnなどと揶揄され、世界的?に減り続ける外科医人口が大変危惧されております。教育面では、進路について悩める学生諸君・研修医の先生方のよき相談相手となり、頼りになる先輩でありたいと思います。是非とも皆、どの分野であれ外科医を志し外科学系に進んで頂きたいと思いますが、その決断の一助を担うことができるよう精一杯努力したいと思います。また、臨床助手以上の先生方には、少なくとも消化器外科学会の専門医が取得できるよう全力でお手伝いさせて頂きます。研究面では、是非学位は取得して頂きたいと思います。あるグループの中で一定期間に推論から結論を導き論文を公刊するということが、将来何かをまとめる時/始める時に必ず役に立つはずです。そして、これら一つ一つの小さな積み重ねこそが、結局は本人のためだけではなく大学の繁栄に繋がるものと考えます。私的には趣味? の“書き物生活”の第一歩であり基本となりました。
 現在では原発性大腸癌の転移/再発診断とその集学的治療を専門領域としております。その詳細につきましては、東海大学医学部付属病院/付属大磯病院のHome page(ONCs研究会;http://www.tokai.ac.jp/ oncs-hp) で公開させて頂いておりますので、御高覧頂ければ幸いであります。最後にもう一言、外科医は常に手術をして内視鏡をして、そこで考えた事を世界に発信して、Onward, forward, upward・・・ 行けぇ〜、前進あるのみ!  頑張れTokai・星医会! !  そして同窓会の皆様、大腸癌以外の消化器疾患に関しましても、どうぞ何なりとお申し付け下さい。全力で対処させて頂きます。診療・教育・研究といずれも偏りなくバランスのとれた良医を目指し一生懸命精進する所存であります。
 今後共どうぞ御指導・御鞭撻の程何卒宜しくお願い申し上げます。




▲ページのトップへ
←目次へ戻る
←会報のページへ戻る