星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第31号)
 〜平成16年9月1日発行〜


新任教授紹介
教授に昇格して
基礎医学系分子生命科学 教授 石井 直明

 医学部に来る前は、東海大学工学部を卒業後、当時の科学技術庁の放射線医学総合研究所で研究生をしていました。そこの化学部の部長であられた鈴木けんし先生(現東海大学名誉教授)が医学部の分子生物学教室の教授になられるということでお供してきました。今では考えられないことですが、大学院も出ていない私を助手として採用してくれたことには、周りも私自身も驚きました。当然、医学教育や研究の真髄が分かるわけもなく、それでも暖かく見守っていただき、ここまで導いていただいた鈴木先生には大変感謝しております。
 私が医学部に就任したのは1975年で、2期生が入学した年にあたります。建物はできたばかりで居室には何もありませんでしたので、就任最初の仕事は自分の机と椅子を運び込むことでした。研究室も新品の機器が梱包したまま放置されている状態でしたので、研究が稼動するまでに半年かかりましたが、新しい研究室を作る楽しさを味わうことができました。このときの学生とは世代が同じでしたので、3期生の櫻井与志彦君(済生会平塚病院内科)や山崎等君(医学部基盤診療系)などは、師弟関係というよりは当時から友達のような関係で、今でも付き合いが続いています。当時はすべての先生方が新しい医学部・病院作りのために努力・奔走されており、医学部出身でない私も、その仲間の一人に加えていただき可愛がっていただきました。これからその恩返しができればと思っております。
 研究テーマを老化の分子メカニズムと決め、それに相応しい実験動物を探すことから始め、いろいろ検討した結果、当時イギリスで遺伝学が確立されたばかりの線虫(C.エレガンス)を使うことにしました。当時は、老化という現象は複雑で解明するのは不可能であるし、なぜ医学部で下等動物の線虫かという批判をたくさん受けました。しかし、現在では老化は生物医学の主要な分野としての地位を築き、線虫も2年前にはノーベル賞受賞者を出すなどマウスやショウジョウバエと並んで実験動物としての確固たる地位を築いています。鈴木先生の先見性の高さには頭が下がります。私の研究の転機は1986年から2年間のアメリカ留学でした。そこでは神経の軸索の伸展をガイドする遺伝子の同定に世界で初めて成功し、ようやく研究に対する自信を持つことができました。帰国後は、鈴木先生が提唱された「老化の酸素説」を実証すべく分離した、突然変異体の原因遺伝子の解明に力を注ぎ、1998年にこれがミトコンドリア電子伝達系の1つのタンパク質をコードしていることを突き止め、Natureに掲載されました。この研究は津田道雄助教授や、共同研究者であり友人でもあるテキサス・クリスチャン大学のHartman博士などの協力があったからこそ成し遂げられたもので、一流の研究には能力や技術を補い合える共同研究者の必要性を痛感しました。我々が線虫から同定した遺伝子の変異は、マウス培養細胞では細胞死やガンを発生させることを突き止め、また最近ではこの変異がヒトにパラガングリオーマを発生させるという報告がなされるに至りました。鈴木先生と二世代に渡る30年間の研究により、線虫からマウス、そしてついに医学研究に貢献できるヒトの疾患に結びつけることができたことは、鈴木先生への、そして医学部への何よりの恩返しだと思っております。
 現在、ミトコンドリアから発生する酸化ストレスを原因とする生活習慣病のモデルマウスを構築し、さらに医学研究に貢献する気持ちでおります。
今年は1年生の指導教員となり、学生との関係もより親密なものとなりましたので、教育の面でもさらに貢献できるように頑張りたいと思っております。星医会のご支援もよろしくお願いいたします。
【略歴】石井 直明(いしい なおあき)
1974年3月 東海大学工学部卒業
1974年6月 放射線医学総合研究所 研究生
1975年3月 東海大学医学部分子生物学教室(現基礎医学系分子生命科学)助手
1986年4月 同講師
1986年6月から1988年5月までアメリカ・ロッシュ分子生物学研究所留学
1995年4月 同助教授
2004年4月 同教授
学会活動
日本基礎老化学会(理事)、日本抗加齢学会(理事)、日本ミトコンドリア学会(評議員)、日本生化学会、日本分子生物学会、日本放射線影響学会、日本代替法学会、American Society for Biochemistry and Molecular Biology (ASBMB)



次世代の臨床検査を目指して
基盤診療学系臨床検査学 教授 宮地 勇人

 東海大学医学部臨床病理(現基盤診療学系)に招聘されて以来15年間、臨床検査科や院内感染対策室の管理運営を通して患者診療・検査診断の質の向上を目指し、検査医学の研究および卒前・卒後の教育に努めてきました。2004年4月1日付で基盤診療学系(臨床検査学)専任教授を拝命いたしました。これも、日頃から皆様の御指導と御厚情の賜物と心から感謝いたしております。
 医療を取り巻く環境は劇的に変化しています。診療が高度化、専門化、複雑化する中、患者の価値観は多様化し、質の高い安全な医療の確保が求められます。一方、医療経済が窮迫した今日、医療の質と経済効率の両面の向上が求められます。これら変化に対応すべく、病院検査室の機能としては、検査の正確性や迅速性だけでなく、次世代の検査室を目指して検査診断機能の再構築を図る必要性があります。臨床検査科の責任者として、特定機能病院における検査室の機能充実を第一義的に考えています。その基本的コンセプトは、(1)患者診療のための検査計画を支援し、診療効率・経済的効率のアップを図る、(2)特異的病態を拾い上げ、安全な医療の提供につなげる、(3)一般病院で診断困難な疾患病態の診断ができるよう検査技術、情報発信機能をもつ、(4)テーラーメイド医療や病診連携など患者個々の多様なニーズに対応できるようにする、(5)高度先進医療の遂行を支援できる検査技術をもつ、です。
 検査部門の可能性を引き出し病院診療に反映させるために重要なことは、検査に立脚した病院内での機動力をもつことです。私は臨床検査の業務に携わる一方、血液内科の外来診療を担当し、さらに院内感染対策室室長を兼務するなど視点を患者診療さらに臨床全体に置いてきました。機能充実のための基本的コンセプトにそって、臨床全体を視野に置く次世代検査室の構想を進めています。それは、活動のフィールドを検査室内から病院全体へと展開し、検査に立脚した患者中心のチーム医療活動を推進することです。その具体的な活動の一つに、臨床検査に立脚した院内感染対策活動があります。私は7年前に院内感染対策委員会を任せられたのを契機に、1998年各部署に働きかけて感染対策チームを発足させ、1999年院内感染対策室を検査部門内に設置しました。2000年、看護部の協力のもと60名余りの病棟専従のリンクナースを組織しました。この一連の組織構築を背景として、院内感染対策室では、検査室からの検査情報と病院全体から集まる患者情報を分析・加工して、タイムリーな対策情報を提供し、感染症相談や指導啓蒙を行い、安全で質の高い医療の支援に努めています。
 次世代検査室への機能構築の柱には、検査に立脚した院内感染対策に続き、ベッドサイドでのポイント・オブ・ケア(POCT)検査コーディネート、遺伝子検査による個別化分子病態診断、検査情報管理/検査診断支援、患者フロー支援、検査相談、血液総合診断が挙げられます。機動力のある検査現場を創り上げることで病院検査室として機能を高め、患者診療に不可欠な検査現場であり続けたいと思います。
 高度先進医療を支援するために、次世代検査の開発・評価が求められます。従来、抗癌剤治療における耐性の遺伝子診断法の開発に長く携わってきました。今日、ヒトゲノム解析の成果として分子標的療法の開発・導入により治療選択肢が拡がり、癌自体の性状の違いや個体差など治療反応性の個人差の解明により、それを指標としたテーラーメイド医療へのパラダイムシフトが現実化してきました。引き続き、癌の化学療法をはじめ、医療の質維持向上のための客観的情報としての臨床検査の構築、検査診断法の開発を推進していきます。個別化医療のための検査の開発の他に、研究の柱として、検査病態学的アプローチによる疾患病態の解明研究、新しい検査診断技術(遺伝子検査など)の開発と評価、新しい治療法の検証診断システムの構築、検査診断の費用対効果分析・評価、病院感染の分子疫学的評価があります。
 検査診断能力を身に付けた良医の育成も重要な使命です。卒前教育では、問題解決能力、病態診断能力を養い、病院感染防止や診断過誤防止など安全な医療遂行に関する教育に努めています。卒後教育では、臨床検査に精通し、科学的洞察力をもつ臨床医の育成を目指しています。
 今後も、臨床検査の診療、研究、教育を通して、患者診療の質向上と医学の進歩に貢献すべく、日々精進する所存でございます。今後ともなお一層の御指導と御鞭撻を賜わりますようお願い申し上げます。
【略歴】宮地 勇人(みやち はやと)
1981年8月 慶応義塾大学医学部卒業
1981年9月 慶応義塾大学病院臨床研修医
1984年5月 慶応義塾大学医学部内科学助手
1984年5月 水戸赤十字病院内科医員
1987年7月 米国シティオブホープ国立医療センター研究員
1989年7月 慶応義塾大学医学部内科学助手復職
1990年1月 東海大学医学部臨床病理学(現基盤診療学系臨床検査学)助手
1992年4月   同講師
1995年4月   同助教授
2004年4月   同教授
認定医
検査専門医、内科認定医、血液専門医、インフェクションコントロールドクター
学会活動
日本内科学会、日本臨床検査医学会、日本臨床検査自動化学会、日本検査血液学会、日本臨床血液学会、日本血液学会、日本遺伝子診療学会、日本感染症学会、日本癌学会、日本超音波医学会、米国癌学会、米国臨床微生物学会



乳腺・内分泌外科の現状と将来展望
外科学系乳腺・内分泌外科学 教授 徳田  裕

 2004年4月1日付けで、田島知郎前教授の後任として外科学系乳腺・内分泌外科教授を拝命いたしました。また、2002年度より引き続き治験管理部長の任にあります。そこで、日本乳癌学会の中間法人化にともない、近く、乳腺科の標榜が可能になると予想される現状を踏まえて、当院の乳腺・内分泌外科診療について、新しい治療薬などの診療技術の導入をふくめた将来展望とともにご紹介いたします。
 本邦において女性の罹患する悪性新生物の第一位は、乳癌です。したがって、当科では、乳腺、甲状腺疾患の診療を担当しておりますが、主たる治療対象は、乳癌です。
診療の原則
 近年、乳癌診療に関する情報量はきわめて多く、多彩であり、また、すさまじい速さで更新されています。しかも、それらの多くは公開されていて、インターネットなどのメディア通じて誰でも瞬時に入手することが可能です。乳癌、甲状腺癌については、再発を含めて告知することを原則としていますので、それらの情報を患者さんと共有する必要があります。そこで、“科学的根拠に基づく乳がん診療のガイドライン”の作成に関与するとともに、それを実際の診療において実践することを原則にしています。それが、日本乳癌学会研修認定施設としての必須条件であると考えています。
乳癌検診
 2004年度から厚生労働省の指示により全国の自治体で乳癌検診へのマンモグラフィーの導入がすすめられています。従来から自治体の乳癌検診事業に参画してきた関係から、当院の日本乳癌検診学会より認定されたマンモグラフィー読影医により支援を行っています。
診断
 診断に要する時間を短くして、すみやかに治療を開始できるように、初診の一日で、診断をつけることを原則としています。マンモグラフィー、乳腺超音波や、近年進歩の著しいMRIなどの画像診断と、それらを駆使した穿刺細胞診・組織診による確定診断を短時間に行います。
手術療法
 2003年度の原発乳癌手術症例数は約160例でした。乳房温存術が約70%を占めています。やむを得ず、全摘術をする症例に対しては、形成外科と共同で腹直筋皮弁を用いた一期的乳房再建を行っており、施行症例数は、現在までに360例以上におよび本邦屈指です。
術前および術後は、病理診断、放射線診断、超音波診断などの各部門が集まって毎週一回行っている合同カンファランスで総合的な治療戦略を討議しています。とくに、最近注目されている分子標的療法においては、腫瘍細胞の分子生物学的な特徴づけが必須であり、病理診断部門との連携は不可欠です。
術前療法
 初診時に腫瘍径が大きく乳房温存療法が困難と考えられる症例についても、術前の化学療法を行うことにより約30%の症例で温存療法が可能になります。この術前化学療法については、腫瘍のDNAを調べることにより化学療法の効果を予測してもっとも効果的な薬剤を個々に選択することを目的とする試験と、化学療法後に放射線療法を追加することにより手術の回避の可能性を調べる試験の2つの大規模な多施設共同の臨床試験が動き出しており、前者では、私どもが試験実施の中核になっています。
術後療法
 術後の薬物療法については、患者さんの希望により科学的根拠に基づく標準的な治療の中から選択することにしています。分子標的療法剤の補助療法への導入に関してグローバルな臨床試験がおこなわれており、私どもの施設も参加しています。
再発治療
 再発症例については、造血幹細胞移植を併用した大量化学療法や、分子標的療法剤などの新しい薬剤の導入により、当施設では、完全奏効が10年以上続いている症例が15-20%おられることから、希望をもって治療を受けていただけるように配慮しながら告知を行っています。乳癌における分子標的療法の基礎研究および臨床導入に関しては、本邦では当施設が先駆的立場にあり、経験の最も多い施設のひとつです。
 また、医学部付属病院として、新しい薬剤や治療法の評価を積極的に行っており、このことが、再発された患者さんの希望につながると考えています。
 乳癌における薬物療法は、ホルモン療法剤など長期にわたることが多く、また、化学療法についても、外来で行うことが原則で、当施設では、外来化学療法室をもつオンコロジーセンターにおいて腫瘍専門医、精神科医、薬剤師、看護師などが協力して治療にあたっています。今後とも、化学療法に伴う、副作用の対応、G-CSFなどの支持療法など患者さん住居近くの診療施設との連携が不可欠であると考えています。
 当科では、月曜から金曜まで午前午後ともに専門医が診療を行っています。また、セカンドオピニオンについても積極的に対応することを表明しています。
【略歴】徳田 裕(とくだ ゆたか)
1978年 慶応義塾大学医学部卒業
1983年 東海大学医学部外科学教室助手
1985〜1987年 米国カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)腫瘍外科学教室研究員
1991年 東海大学医学部外科学教室講師
1998年    東海大学医学部外科学教室助教授
2002〜2003年 東海大学医学部付属病院薬剤部長、治験管理部長
2004年    東海大学医学部外科学系乳腺内分泌外科学教授
       東海大学医学部付属病院治験管理部長
所属学会
日本外科学会指導医、日本乳癌学会評議員・専門医、日本臨床腫瘍学会評議員、日本臨床外科学会評議員、日本癌治療学会臨床試験登録医、日本乳癌検診学会、日本超音波医学会、日本癌学会、米国癌学会 (AACR)、米国臨床腫瘍学会 (ASCO)



教授就任にあたって
外科学系整形外科学 教授 岡 義範
(東海大学八王子病院整形外科医長)
 このたび医学部教授を拝命しました。誠に光栄であり、責任の重さを痛感しています。
 1971年に医師となって以来約10年間は出身母校の慶応大を中心に整形外科を研修し、このうち1978年より1年間余、University of Southern California, The Joseph Boyes Foundation for Research in Hand Surgeryで手の外科を研修しました。その頃は丁度東海大病院開設5年目の時期であり、手の外科医が必要との事で、当時の今井教授の招聘を受け、1980年に東海大に赴任しました。医局メンバーは今井教授、福田助教授、関・有馬両講師以下7名のみで、この少数の中に加わり、手の外科医としてはいまだ未熟でしたが、多くの外来・入院患者、そして手術を1人で処理することになりました。この当時は手・指切断患者もかなり多く、術者が出来るのは私だけの時期で再接着に夜を徹したことも度々です。
 これらの臨床に加えて、BSTの講義、さらに週1度の午後は実験日にあて、末梢神経再生の実験研究を自分自身で始めました。人が極めて少ない中での獅子奮迅の働きだったと感慨深いものがあります。
 東海大に勤務して、24年間が過ぎました。開業した人・過去在籍者を加えると150名余となる整形外科領域員(前医局員)のみならず、多くの他領域の先生方と一時期でも共に働き、人生を共有することが出来たことは大きな喜びであり、私の財産です。この間、自分なりに懸命に働きました。常に学会活動の発想に頭をめぐらし、多くの学会発表・論文・著書を出すことが出来ました。長い間、発表題材の多くが私個人からの発想でしたが、グループの人たちの手で徐々に発想・発案が増えて行き、最近ではその比率が逆転しています。極めて嬉しいことです。集団の力の重要さ・領域員の育成の重要さを再認識するものであり、今後の私の最重要課題とするところです。
 今回、多くの先生方から激励・ご支援を受けつつ、教授就任となりました。就任時年齢としてはやや年取っておりますが、気概には若いものがあります。全千里の行程とすると、やっと五百里を過ぎたか!というところと認識しています。あと五百里を駆け続けようと張り切っています。
 この4月から東海大学八王子病院に勤務しております。ご承知の如く八王子病院は2年前に東海大学が力を入れて発足した超ハイテク型の素晴らしい病院です。松崎松平院長を先頭に全職員がしっかり頑張り、既におおよその基礎固めが行われ、一層の発展を遂げようとしている段階です。私の今後の現役時代を懸けてみようと思っています。整形外科においては、私自身を先頭に全医員心を1つにして、良質で高度な医療に取り組み、この2年間で得られたきた地域の信頼を一層確たるものにしてゆかねばなりません。その上で、学会活動・講演などを通じて大きく外に打って出る必要があります。東海大学病院が伊勢原に発足した30年前には最初から信用のある大学病院ではありませんでした。教職員の懸命な絶えざる努力で今日の地位を獲得してきました。八王子病院もその恩恵の余波は被っていると思われますが、何しろここは東京都です。八王子市は人口54万人、周囲の関連地域を含めると70万人余の大都市圏です。周囲には大きな総合病院が沢山あり、東海大何するものぞ!との息巻きを感じます。未だ充分な地位を得ているとは言えません。大学付属病院としての名誉と意地に懸けて発展してゆかなければなりません。その結果がアカデミックな成長と病院経済的収支の向上に繋がってゆくものと確信しています。なにせ事は長期的で壮大なものとなります。とても私1人でやれる代物ではありません。整形外科領域員を始め、多くの他の関係の方々のご支援とご協力を必要とします。今後、尚一層のご鞭撻を賜りますよう宜しく御願い申し上げます。     
【略歴】岡 義範(おか よしのり)  
 1971 慶應義塾大学医学部卒業、同大整形外科学教室入局
 1978〜1979 米国留学 University of Southern California, Joseph Boyes Hand Research Foundation にて手の外科研修
 1979 Mayo Clinic、Columbia Universityで手の外科研修
 1980 東海大学医学部整形外科赴任
 1981 東海大学医学部講師
 1988 東海大学医学部助教授
 1999 東海大学大磯病院勤務
 2004 東海大学医学部教授、東海大学医学部付属八王子病院勤務
認定免許
 医学博士、日本整形外科学会専門医、整形外科スポーツ認定医、日本整形外科学会リウマチ医
学会における活動
 日本手の外科学会評議員、東日本手の外科研究会運営委員、東日本整形災害外科学会評議員
 日本末梢神経学会評議員、日本整形外科学会代議員、日本肘関節学会評議員
 第17回東日本手の外科研究会会長
専門
 整形外科一般、手の外科、肘関節、末梢神経、Microsurgery



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