星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第32号)
 〜平成17年3月1日発行〜



特集1

新潟県中越地震災害派遣について
救命救急医学 梅澤 和夫(11期生)

 平成16年10月23日、17時56分、マグニチュード6.8の最初の地震で川口町では震度7という新潟県中越地震での最大震度を計測した。
 現地の医療支援活動は新潟県川口町災害対策本部より独立法人国立病院機構が支援要請を受け行っていた。実際の業務は国際医療センターが中心となり精神科巡回診療、保健婦巡回診療、定点診療所の支援業務を行っている。今回我々は川口町田麦山地区における定点診療(田麦山小学校)において厚木市民病院が活動を行っていたが同院に支援要請のあった平成16年11月19日までの期間の派遣継続困難のため同年11月13日より19日までの業務引継要請があり派遣が決定した。
同町の医療支援は医療、保健師、精神科の3グループにより行われている。今回、東海大学に依頼があったのは医療グループへの人材派遣で11月13日〜15日、15日〜17日、17日〜19日の3班に分け以下のものが派遣された。
第1班(11月13日〜15日)
    救命救急医学 梅澤 和夫
    血液腫瘍リウマチ内科 大間知 謙
    看護部 中川 加奈子
    薬剤部 白滝 肇
    医事課 萩野 智尉
第2班(11月15日〜17日)
    総合内科 須藤 博
    看護部 大久保 建一
    薬剤部 添田 真司
    用度管理課 高橋 晃
第3班(11付き17日〜19日)
    総合内科 小澤 秀樹
    看護部 下平 一美
    薬剤部 丸谷 義紀
    医事課 野崎 徹哉

 私が所属した第1班は川口町田麦山地区定点診療所(田麦山小学校臨時診療所;8:00〜22:00)において診療活動を行った。川口町は人口5700人で田麦山地区には800人が居住している。川口町全体に避難勧告が発令されており(11月16日一部解除)住民は地域避難所に収容されていた。
 田麦山小学校は川口町田麦山地区の集団避難所になっており約300名ほどが体育館、教室で避難生活を送っている。日中、被災者は被災家屋片づけなどで老人、小児が数名残る程度で閑散としている。小学校は13日現在、縮小授業を再開していた。校庭には仮設住宅建設のため自衛隊、建設業者が作業を開始している。電気は開通しているが上下水道は不通で排泄は仮設トイレにて行われている。生活水は仮設水道(タンク)により供給されている。多くの自発的ボランティアが活動しており炊き出しなど衣食住に関しての緊急援助は行き届いていた。
 川口町の医療状況としては現地開業医(2軒)が通常診療を再開しており、周辺医療機関も通常通りに診療していた。臨時診療所では急性上気道炎、挫傷などの軽症患者に対しての診療行為のみであり、その数も1日20名未満であった。医療的には地域内自立が回復していたが急性ストレス障害を中心とした精神科疾患が増加しており川口町全体の医療ニーズとしては保健師、精神科グループを中心とした活動が主になっていた。
 今回の派遣では急性期災害医療の時期は過ぎており活動は限定的であったが地域内自立という災害援助で最も難しい時期に立ち会えたことは有意義であった。しかしながら被災民の皆様の復興は始まったばかりで災害は終結していない。今後も形こそ変われども我々が行えることは沢山あると考える。今回の派遣では適切な支援を、適切な時期に、適切な形で行うことの重要性を痛感した。
新潟県中越地区の皆様の一日も早い復興をお祈りいたします。


恐るべし台風23号 水没した公立豊岡病院より
公立豊岡病院神経内科 松島 一士(4期生)

 私は平成16年10月20日未明兵庫県北部にある豊岡市にて台風23号の被災に遭いました。皆様にはたいへん御心配をおかけいたしました。また皆様からは温かい励ましのお言葉をかけていただきましてたいへん感謝しております。
 豊岡市およびその周辺の被災についてはテレビや新聞等で報道されているようにかなりの被害を受けました。今までに経験したことのないような台風被害で、私の勤務しております公立豊岡病院があります豊岡市では、豊岡市の中心を流れる一級河川・円山川の堤防の決壊に伴い、大洪水に見舞われ、豊岡市およびその周辺地域はほぼ全域にわたって水に浸かってしまいました。このため豊岡市民の90%以上の人々が家屋、家財が水、土砂につかり、失ってしまいました。この地域の中核病院である公立豊岡病院は災害時拠点病院としての機能を発揮すべきところでしたが、公立豊岡病院自身も予想を上回る水害にてかなりのダメージを受けました。外来円形ホール、一階診察室、病歴室、薬剤部、放射線科が床上浸水し、また、キュービクル水没による停電や高架水槽への送水ポンプ水没による断水など、病院機能がストップするほどの事態になってしまいました。とにかく全くの予想外のことで、平成16年10月20日夕より病院周辺に水がまわってきて、数10分という短時間のうちに病院駐車場は水没し、病院職員の車は水没してしまいました。その後も急速に水位が上がってきて、入院病棟一階部が浸水する可能性が出てきまして、職員総出で一階入院病棟入院患者を入院病棟2階の広場や廊下へ移動させなければなりませんでした。また外来診察室や病歴室にも浸水してきて、カルテや医療機器が浸水しないように移動させました。水位の上昇が急速で、まさに時間との戦いといった状況で、病院内はパニックとなっておりました。それでも移動できない医療機器や一部のカルテ、レントゲン写真などは水没し失ってしまいました。
 病院が浸水したときから停電となり、自家発電にて最低限の電気供給が行えましたが、人工呼吸器など重要な機器しか賄うことが出来ないという状況でした。停電および送水ポンプの水没にて水を汲み上げることが出来なくなり、院内で水道が出なくなりました。このためオートクレーブなどの機器が使えなくなり、手術を行うことが出来なくなってしまいました。このため緊急手術が必要となった患者は近隣の病院へ搬送せざるをえませんでした。数人の患者はボートで堤防まで運んで、レスキュー隊によってヘリコプターで搬送していただきました。病院としてはたいへん情けない思いでした。また水を必要とするほとんどの臨床検査が出来なくなりました。このため緊急に乾式検査法に切り替えて検査を行いました。しかし、これにて最低限度の検査は可能となりましたが、キットの数に限度があり、検査が思うように出来ない状況となりました。また空調もストップしてしまいました。このため意識障害のある患者は低体温となってしまい容態の悪化した者も出ました。いつもなんでもないことのように思っていたことがいざなくなってしまうととんでもないことになると思い知らされ、その重要性を再認識した次第でした。
 当初は以上のような状況で災害時拠点病院としてはまったくその機能を果たすことが出来ませんでした。それどころか院内の患者の管理をするのが精一杯という状況でした。そういう状況の中、当然のことながら病院に搬送されてくる全ての患者を受け入れる必要がありました。しかし患者を受け入れた場合の設備的な問題もあり、更に医者、看護師など病院スタッフも被災し、病院へ出勤する手段を失って、自宅の二階でじっとしているしかない者もあり、人員的に診療を行うのもかなり無理がありました。それでもずぶ濡れになりながら、病院にたどり着いてきた者もあり、なんとか診療を行いました。私自身も自宅から、浸水していない場所をかいくぐって病院の近くまでたどり着き、そこでスイミングウエアーに着替えて、水の中を歩いてやっとのことで病院にたどり着いたという状況でした。
 このような病院の状況ですので、災害時大勢の病人が病院に運ばれてくるだろうと想像しておりましたので、出来る限りの、万全の診療体制で臨まなくてはいけないのだがと危惧しておりましたが、それほど大勢の重病人も搬送されてこなかったことはまったく幸いなことでした。とは言いましても、多少の病気になったとしても大多数の人は病院へ到達できる状況ではなかったということだったかもしれません。私は神経内科医ですので、災害時緊急で搬送されてくる患者はどうしても外科的な処置を要する場合が多いので私の出番はあまりないのではないかと高を括っていましたが、全地域で断水と停電の状態となっておりましたのでパーキンソン病や脳梗塞で寝たきりで在宅療養していた患者は居場所がなく、緊急避難所での生活にそぐわないために緊急避難的に入院してきました。更に在宅人工呼吸器管理していた筋萎縮性側索硬化症患者や脳梗塞などで気管切開をしており喀痰吸引が必要な患者も家を失い、停電で人工呼吸器が動かなくなり、また痰の吸引が出来なくなり窒息してくる患者も出てきて緊急避難入院となる患者が多数ありました。ひっきりなしに患者家族からの携帯電話が入り、救急隊からの連絡が入りました。これらの患者の移送、入院手配、管理など対応に追われました。当院地域医療科管理のある多発性硬化症の患者は対麻痺にてベッド生活となっていましたが市から避難指示が発令されても自力では動けないため非難できず、家が多少高台にあったので我々も安心しておりましたが、急激に予想以上に水位が上がり、床上浸水でベッドまで水が上がってきてしまい、一時は生命の危機という状況でしたが、勇敢にも近所の高校生が奥様と助け合って2階まで引きずり上げ、助けられました。地域医療科の看護師はなんとか連絡を取り、浸水のなか駆けつけて対応してくれました。
 私にとってもこの災害は想像を絶するもので、また1度にいろいろなことが起きたために何をどうやったらよいのか、ただただ困惑するのみでした。
公立豊岡病院は災害時拠点病院として、災害を想定して対応できるようある程度準備はしていたつもりでしたが、このたびの災害がその想定を大きく上まるもので、病院を含めて全地域的に電気、水道などのライフラインが遮断されてしまったことで、まさに災害をもろに災害時拠点病院自身が被ってしまい、その機能がそがれてしまった形となってしまいました。更に災害時の対応の中心となるべく医師、看護師、コメディカル自身が被災してしまい、病院へたどり着けないという状況があり、結果として災害のなか重要なマンパワーを発揮できなかったことも大きな問題として残りました。しかし、そのような状態でも医師、看護師、コメディカル、更に事務職員など病院に携わるものがみんなでそれぞれを補いながら、なんとか病院機能を回復させて、この事態を乗り切ろうと頑張りました。決してパーフェクトとは言えませんでしたが、患者様には満足していただける対応が出来たのではないか考えております。そういう状況の中では微力ではありましたが私もその中の一員として、ひとつの役割を担えたのでないかと考えております。ただただ「なんとか乗り切れた」という思いで一杯です。
 東海大学医学部の皆様からは励ましのお言葉を多数いただきました。私としましても東海大学医学部の皆様に支えられているという気持ちを強く持つことができ、なんとかあの難局に立ち向かうことができ、乗り切れたのだと心から感謝しております。今後も皆様のご期待に沿うことが出来ますよう、私としても地域貢献に努力していきたいと思っております。


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