星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第32号)
 〜平成17年3月1日発行〜


◆訃報◆
恩師 正津 晃先生を偲ぶ
東海大学医学部付属八王子病院心臓血管外科 金渕 一雄(2期生)

平成16年9月21日、恩師 正津 晃先生が御逝去されました。享年77歳。
正津先生は、47歳で、新しい東海大学医学部創設にあたり、佐々木正五医学部長、故笹本 浩病院長とご一緒に副院長として、病院設計や新しい医療機器の導入に腕を振るったそうです。われわれが、学生のころから愛用し、懇親会や宴会、卒業謝恩会も行えた「沈思黙考室:基礎医学者、臨床の医者、看護婦を始めとする医療従事者が、1日に10分間、仕事場を離れて、静かに瞑想し、思いを新たにして次の仕事に向かうための場所としてつくられた充分なスペースと雰囲気を作り出す施設(現在は8Fのコンピューター室)」をはじめとし沢山の「かくし部屋」を創るなど将来をみすえた設計していました。
また看護部、看護師の機能について関心が深く、前田マスヨ看護部長とよく足並みを揃えて仕事をし、多くの看護師さんから慕われていました。
 慶応大学病院では中央手術室長を兼任されていた先生でしたが、東海大学では、副院長職を兼任されており、手術室では大事なところで手術の指導に入ったりするだけで、後輩に症例経験を積ませて育成させる方針でした。その中から、東海大学の正津門下の胸部外科教授(川田志明慶応大学名誉教授、山崎史朗東邦大学名誉教授、小出司郎策東海大学教授、井上宏司東海大学教授、小川純一秋田大学教授)をはじめ数多くの人材を育てられました。
多忙な副院長職であったにもかかわらず、学生教育にも熱心でありました。黒板に書く字は大きくわかりやすく、シェーマを書くにも労を惜しまず、大きな声でゆっくりと進める。相手が理解できない講義は教育ではなく、教員の自己満足にすぎないと断言されていました。学生のベットサイドティーチングでは、グループで使用できる心臓聴診の機器を積極的に用いて、入院患者さんを聴診しながら僧帽弁狭窄症でのOS,ランブルなどの各種心雑音を熱心に教えていただきました。また正津先生の明解な講義であの難しい心電図波形が理解できた学生も多かったと思います。謝恩会では毎年ベスト講義賞に選ばれていましたが、
学生に対する評価は厳しく、差し棒で肩たたきされた学生の多くは留年の対象となっていました。

私が当時の外科学教室Tにはいり、その後大学院生としても学問、生活などすべての面で貴重な教えを受けました。以前に正津先生からいただいた貴重なご指示、
論文を書くときの注意:必要なことのみ書く。不用な事項は省略。文章は簡潔に。受身の文章を書かない。用語を統一して書く。日本語で書けるところはなるべく日本語で。略語は正しく使い、初出のところで明記する。文献内容の引用は簡潔にし、自己の症例の解釈に役立つ点も明記すること。文献は最小限に。成書を文献にするのはやむをえない時のみとし、なるべくoriginalの文献を引用すること。文献の書き方は雑誌により異なるので、規定を必ず守ること。投稿規程の枚数、図表などはなるべくその範囲にまとめること。」
を守るよう努力しなければと反省の毎日です。

正津先生は教授退任後も東海大学外科同窓会(刀鴎会)の新年会には必ず出席され、若い医師達には、診断書をかける立場になったのだから書類の記載や印鑑を大切にすること、症例から教わることが多いのだからその記録としての退院サマリーや論文の大切さをいつも強調されていました。
正津先生が理事長として運営にあたっておられたハイメディック山中湖倶楽部では、井出 満先生を始めとした東海大学医学部各診療科の先生が集まり、「日本で始めてのPETを中心とした検診」を開始し、PETに関する多数のすぐれた学会発表があり、論文が一流の雑誌に掲載されています。
「PET(陽電子放出断層撮影)を中心とするがん検診」は、山中湖クリニックで1994年から開始され、会員7565名の中からPETにより103名に肺、甲状腺、大腸、乳腺の癌を、またヘリカルCT、MRI、エコーなどにより95名に前立腺、肺、腎、肝臓の癌を検出し、両者をあわせると山中湖方式による癌検出率は2.6%でした。他の各種検診での癌検出率(0.0.5-0.15%)に比べてはるかに高率であり、膵癌、卵巣癌、子宮体癌を無症状のうちに発見するのはPETが有効でした。 2003年6月の全米核医学会では井出先生発表の「PETによる癌検診」の演題が教育講演に選ばれました。

正津先生はいつも健康に留意されておりましたが、2003年8月から乾性咳嗽、労作時呼吸困難を自覚され、精査加療中でした。 2004年3月には両側の間質性肺炎が進行し、小張総合病院(山内俊忠院長:呼吸器内科)で入院加療され、4月に退院し経過良好でした。その後山中湖でのお仕事や研究活動に復帰され、論文の抄読会も毎週こなしていたそうです。7月になり症状が増悪し、9月の入院からは、ステロイドパルス療法や免疫抑制剤投与を行っておりましたが、薬石効無く、9月21日未明にご逝去されました。ご自身の指示で、呼吸困難増強時にはオピウムを使用し、人工呼吸器の装着をしないことを指示されていたそうです。
正津門下生の鶴見豊彦君(4期生)がすでに他界しており、黄土で盃をかたむけながら鶴見君は緊張しつつ、語り合っていることと思います。
退職記念に編集された「外科学教室T 業績集」を読むたびに正津先生の教えが脳裏に浮かび上がってきます。謹んで正津先生のご冥福をお祈り申し上げます。
正津門下生の中で、卒業生代表として星医会会長である小生が追悼文を書かせていただきました。
合掌。


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