星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第32号)
 〜平成17年3月1日発行〜


開業医のページ
スポーツ医学の普及をめざしています
千葉 昌宏(4期生)

 相模線上溝駅前、上溝クリニックビル3F「上溝整形外科リハビリクリニック」の院長として、平成16年4月より診療しております。当院は医療法人未来(理事長:木内哲也)が平成15年7月に開設した診療所です。ただ今プライベート・クリニックの診療について勉強させて頂いております。各先生方の御指導、御鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
私は東海大学医学部を昭和58年度に卒業しました。サッカー部OBです。最近の経歴では東海大学付属八王子病院の整形外科医長として、2002年の開院から昨年3月まで勤務しておりました。大学病院勤務時代の専門分野として、脊椎・脊髄外科の研究(バイオメカニクス)・診療を中心に行いました。
 一方で、昭和62年から日本サッカーリーグ所属の「フジタ工業サッカー部」のチーム・ドクター、その後現在もなお「湘南ベルマーレ」のチーム・ドクターとして活動しています。当院ではスポーツ医学・スポーツリハビリを中心に診療しております。
フジタ工業は当時JFLの一部リーグに所属しておりましたので、日産(現マリノス)、読売(現ヴェルディー)、ヤマハ(現磐田)などと試合をしました。木村選手やラモス選手がまだ若い頃でした。対戦相手から見て、木村選手は比較的小柄で物静かな重すぎるタイプ。ラモス選手はグラウンド内でずっと悪態をついていました。フジタ工業は日産とヤマハに弱く、一方読売との相性は良かったようでした。現在監督として活躍している、手塚氏(現草津)、反町氏(現新潟)や解説者の植木氏、宮澤ミシェル氏らがチームにいました。ベルマーレになってからは、中田選手、名良橋選手、都並選手、前園選手などがプレーしました。彼らプロ選手の診療は通常の診療とは異なります。サッカーは競技の特殊性から傷害が多く発生します。年間の傷害発生率は、野球の50倍以上と言われています。その傷害を早く克服し、あまり休まずに生き残ってきた選手のみがプロになるのでしょう(当然サッカーは上手くなければいけません)。すなわち、驚くことに傷害の治癒までの期間が一般人の約1/3以下と早いのです。当然管理の良し悪しも関係ありますが、明らかに±2SDを外れた人達です。それらの経験から、当院の一般診療において、若いスポーツ選手のいわゆる「治癒能力」を診るようにしています。既に当院で早く治る(治癒能力の高い)選手を発見しました。この相模原地区から一人でも多くのプロ選手が生まれることを期待しています。また、このような一流の選手の診療が、一般の方の診療における重要なヒントになっています。上手に還元するように心がけています。
 さて、私はサッカーが大好きです。最近当院のスタッフでフットサルを始めました。足がもつれるのを振り解きながら、男女混合で汗を流しています。サッカーがお好きな先生はいらっしゃいますか?


開業して15年目です。
浅野 充也(4期生)

4期生の浅野です。卒業後小児科学教室にてお世話になっていましたが、平成2年3月に大学を退職し、母が開いております神奈川県中郡二宮町のクリニックに勤務いたしました。しばらくして建物は建て直したのですが、それまでの母の方針で机と診察ベットしかないといっても過言でないようなこじんまりとした診療所です。
平成9年より私が院長となり仕事は一人でこなすようになりました。現在でも受付のパートさんが3人交代で来てくれるだけであとは掃除から経理の仕事まで一人でこつこつやっております。
幸いにして近隣には東海大学大磯病院、秦野赤十字病院、国立療養所神奈川病院など大学の関連の病院が多くあり、今まで大変お世話になって来ました。また医師会の中でも大学の出身の先生がだいぶ増えて来ていろいろとお世話になっております。
最初は毎日午前も午後も外来診療というスタイルに戸惑ったこともありましたがさすがに15年目となりますと少しはマイペースで仕事が出来るようになったような気がしております。
ホームページも作ってみました(あまり勉強せず自分で作ってみたので不出来です)。
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/masano/
地図を入れてあるので近隣の患者さんには少しは役に立っているようです。

開業してからのもうひとつの仕事(?)に医師会活動があります。
小さな医師会なので人数も少なく、かなり早いうちに理事になりました(現在12年目です)。
最初は何もわからなかったのですが、諸先輩方のご指導もありだいぶ医師会活動というものがわかってきたつもりです。現在は学術担当、経理担当、庶務担当という役職で各種勉強会の実施、病診連携の整備、医師会の経理その他一般雑務などを主に行っておりそれなりに忙しくしております。
学生時代の私を知る方には私が学術を担当しているというとびっくりされる方が多いと思いますが、昔の不勉強の分を今勉強させていただいていると思って活動しております。
あまり文章を書くのがうまくないのでなんだかとりとめもない話になってしまいましたが皆様今後もよろしくお願いいたします。



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整形外科を開業して
あべ整形外科 安部 総一郎(4期生)

 小田急線の東海大学前駅の駅前に整形外科を開業してあっという間に2年と9ヶ月が経ちました。大学病院時代に学んだ知識をもとに、この患者は、大学で手術が必要、この患者は整形外科以外の病気だから他の科の先生に診てもらいましょうなど大学病院の出先振り分け外来的な役割を果たしてきたと自負しています。整形外科は、もちろんのこと、救急救命センター、外科、脳外科、形成外科、口腔外科、内科の先生方には本当にお世話になり感謝しています。今後ともよろしくお願いいたします。
 当医院の特徴はリハビリテーションに力を入れていることです。理学療法士もいますので、手術後のリハビリも安心です。実際、膝の靭帯損傷で手術後の患者などの多くをスポーツ復帰に導いています。また、思い切って手術機器を購入したので外来手術ができるのも当院の特徴です。簡単な骨折の手術も可能です。
 私は、スポーツをやるのも見るのも大好きです。おのずから、スポーツ選手の治療には熱が入ってしまう。東海大学が近いので、オリンピック選手や、大学のトップアスリートも治療に来てくれます。早いスポーツ復帰、パフォーマンスの向上を要求されますので大変です。しっかり治してあげようとすると、1人に1時間以上手がかかってしまい、経営的には成り立ちません。実際は、もっと少ない時間で対応していて、もっと診てあげたいと思うジレンマがあります。また、他の整形外科医院ではあまりやらない治療として、インソールを処方しています。インソールとは靴の中敷のことです。素材は、ショックを吸収するソルボでできているものや、プラスチックの部分とコルクの部分とからできている素材を足に合わせてオーダーメイドするタイプなどいくつかあります。足の形、下肢のアライメント、歩行、走行フォームなどを参考に個々に合わせて処方すると、競技パフォーマンスが上がったり、足、ひざの痛みだけでなく、腰痛も消えたりして不思議です。いずれにしろ、手間がかかり当医院のコストパフォーマンスは良くないですね。
 だいたい自分のやりたいことができる医院に仕上がってきたと思っていますが、今後は地域の中高年のためのメディカルフィットネスと高齢者のためのパワーリハビリをもっと強化していきたいと思っています。


長く東海大生をしていた内科医の近況
木村内科クリニック 木村 衛(4期生)

 東海大学医学部で丁寧に教育していただき、その後厚生省(現厚生労働省)との折り合いも芳しくなかったのですが、医師国家試験もクリアし、当初故郷である秋田県横手市にある農協系の平鹿総合病院で3年間研修しました。
 その後、秋田大学医学部第二内科(循環器、呼吸器)の医員となり、この間、秋田県内の数多くの医療機関でも仕事をする日々を過ごし、この間医学博士号も授与されました。たまたまこの第二内科には東海大学出身者が集まる事となり、現在の星医会秋田支部の前身となっています。
 平成5年から故郷に比較的近い公立角館総合病院の第二内科科長として赴任、4年間勤務しました。
 平成9年4月5日(この年秋田新幹線こまち号が開業しました。)現在地で開業しました。市内を流れる雄物川の河口に近く、日本海にも近い秋田市南部に位置します。秋田空港から車で約25分程度の場所です。以前、神経内科の篠原先生が秋田で講演をされた際、空港への道すがら立ち寄られたことがありました。
 雪の多い地方なので、10数台程度の駐車場の除雪に、機械を使っても1時間以上かかっていましたが、昨年ようやく融雪工事にこぎ着け除雪からだいぶ解放されています。
 標榜科は上のとおりですが、診療所の2階が住居で、薬も院内で処方しているためか、昔風開業医的な仕事をしています。患者さんの年令も0歳から自分で診察室のドアを開けて入ってこられる現在の最高齢は94歳です。
 産業医、学校医、老健施設の嘱託医、医師会の仕事などの傍ら、平成12年から警察医もする事になり、学生時代から遠ざかっていた法医の教科書などまたひもときながら、散弾銃自殺者の解剖で、平瀬先生にバットの中の脳から散弾銃の弾をさがさせられた事を思い出すこととなりました。現在年間50体程の検屍を引き受け、そのうち5から10体程度を解剖にまわしています。
 秋田方面に足をのばす機会がありましたら御連絡下さい。


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医者の仕事
宮城 秀晃(4期生)

 大学を卒業し医者になってから20年以上が経過しました。東海大での研修医、助手を経て、郷里に戻ったのが平成2年ですから、田舎の生活も今年で15年目になります。
 「あっという間」というのが実感です。なぜこんなに早く過ぎてしまうのだろうと考えてみました。やはり、忙しく慌ただしくゆとりのない毎日を送っている為だと思います。そんな一年の生活を、反省をこめて振り返ってみます。
1. 診療所での通常の勤務
月−土、9時−5時の誰でもやっている、患者との一番大切な関わり(土曜は半日)
2. 医師会理事の仕事
理事会や学校保健担当、準看護学校担当の理事の仕事で昨年は46回、診療の後、医師会館へ。そのほか、学生への講義のため、日中18回出勤。
3. 行政の仕事
市教育委員会 いじめ・生徒指導問題対策委員会(年5回出勤)
障害児就学指導委員会(年4回出勤)
市老人保健課 老人ホーム入所判定委員会・介護審査委員会(年6−7回出勤)
市母子保健課 予防接種・ポリオ・BCG等(年3−4回)
保健所 精神保健相談(年2−3回出勤)
地域医療(学校保健委員会)(年2回)
4. 学校関係の仕事
学校医 小・中学校の校医が計3校(検診・就学時検診で年3−4回)
石巻養護学校の校医・学校評議委員会(年4回)
5. 講演
「不登校について」「ボケ予防について」「更年期障害について」「ストレスとうつ状態について」などの講演依頼も多く、年10回前後、毎年、学校や地域の公民館に出かけていきます。
6. 宮城県精神科診療所医会幹事
例会と幹事会のため、年7−8回仙台へ片道1時間かけて出かけます。また、日精診の地域福祉・デイケア委員会のため年2−3回、東京・代々木まで行くことになります。
7. 書類記入
精神科医であるためか、書類書きが絶え間無く続きます。紹介状や返事書きが年200通。生保の要否意見書が月4−5枚、通院公費負担用診断書が月5枚、かかりつけ医の介護保険の診断書が月4−5通、訪問看護の指示書が月4人分、障害年金の診断書が月2−3通、特別児童扶養手当の診断書が1−2通というふうに、土日は書き物で終わってしまうことも度々です。

 こんな風な開業医の毎日です。何となくぐちっぽい内容になってしまいましたが、この次は、開業医の楽しい部分を報告出来ればと思っております。それでは、また同窓会でお会いするのを
楽しみにしています。


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