星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第33号)
 〜平成17年9月1日発行〜


学外教授 2名誕生

解剖屋から衛生屋へ
北里大学薬学部公衆衛生学 教授 坂部 貢(3期生)

 これまで、北里研究所部長・北里大学大学院医療系研究科兼担教授(医療人間科学)の任にありましたが、昨年10月より、本務先変更となり、白 金キャンパス・北里大学薬学部公衆衛生学講座を担当させて頂くことになりました。北里大学には、3つの衛生学・公衆衛生学に関連する研究室があります。一つ目は、相澤好治教授が担当されている医学部衛生学公衆衛生学(相模原キャンパス)、二つ目は、門脇武博教授担当の医療衛生学部公衆衛生学(相模原キャンパス)、そして今回私が担当させて頂くことになった薬学部公衆衛生学講座です。読んでお分かりの通り、医学部と医療衛生学部は、講座制(教室制)を廃止したために、講座(教室)という表現をしておりませんが、薬学部は未だ講座制をとっており、色々な意味で担当者に対する責任が非常に重くなっています。また、薬学部と平行して、石川 哲北里大学名誉教授(前医学部長・現北里研究所顧問)の後任として、同じ白金キャンパス内にある北里研究所病院・臨床環境医学センターのセンター長も兼任させて頂くことになりました。「白金」という言葉の響きはとても心地が良いものですが、キャンパスも一昨年に全面整備が終わり、「白金」という響きに恥じない美しさを誇っています。
 北里大学は北里研究所を母体として作られた大学ですから、白金キャンパスは、言わば北里大学の発祥地ということになります。
 ところで、テーマは、「教授に昇格して」ということですが、厳密に申しますと昇格・昇任ではなく、北里グループ内(北里では、オール北里と呼んでいます)での異動・所属変更なので、この文章を書く資格があるのか、若干の違和感がありますが、星医会のご命令なので従うことにします。さらに、職域で、昇るとか、上がるとか、下とかいう表現が、今の時代にマッチしているとはとても思えないので(私は「部下」という言葉が大嫌いです。同様に「私の部下が・・」と言う人も大嫌いです)、そのような意味でも、今回のテーマは少し違和感があるのが正直なところです・・・。
 さて、そんな事を言っていても仕方ないので、2000年に東海大学を辞してからのことを、十分ご存知でない方(他人のことなので知る必要もありませんが・・)もおられますので、少し何をしていたのかについてお話しましょう。
 東海大学時代に、米国ボストン市にあるタフツ大学医学部との学術交流協定の最初の研究者として、病理学の堤先生(現:藤田保健衛生大学病理学教授)と1988年に渡米いたしましたが、そのボストン時代にプラスチックの可塑剤成分に女性ホルモン様作用のあることを偶然にもラボの皆で発見し、その頃から微量環境化学物質の生体影響とそのメカニズムについて非常に興味を持つようになりました。帰国後も一環してそのテーマに取り組んでいましたが、ある学会のシンポジウムで北里大学のグループとご一緒させて頂く機会があり、「是非北里へ」という当時医学部長でいらした前出の石川 哲名誉教授、眼科学の宮田幹夫教授(現名誉教授・北里研究所客員部長)の甘いお誘いを受け、2000年の4月より、オール北里の親である北里研究所に入職いたしました。北里研究所の付属病院である研究所病院は、文部省(当時)の学術フロンティアと環境庁(当時)の助成を受けて建設された施設、即ち、現在の最高レベルの技術水準で化学物質を低減化した日本初の環境コントーロールユニット(ECU)を有しており、思う存分仕事の出来る環境を頂戴いたしました。当初、私の課せられた仕事は、いわゆる中毒の概念(量−反応関係)では十分説明できない、極めて低用量の化学物質に対する生体過敏性反応の客観的評価法の開発とその臨床応用でしたが、共同作業を進めるスタッフにも恵まれ、シックハウス症候群や化学物質過敏症などの病態解明・補助診断方法の開発に関して、それなりには貢献出来たものと自己評価しています。また、この一連の作業は、プロジェクト研究として、旭川医科大学教授の吉
田貴彦先生(4期生)や東海大学医学部基礎医学系教授の木村 穣先生らとの共同で進められたものです。
 以上のように、一貫して微量有害化学物質の生体影響評価法の検索について、研究を進めておりますが、今後も継続して「有機リン系化合物の神経系あるいは免疫系に対する微量影響とそのメカニズムの解明」に主眼をおいて研究していきたいと考えています。幸運にも、その研究テーマーに関して教室員も強い関心を抱いてくれるようになり、新しい展開が生まれようとしています。また、一つの研究室ですべての研究の起承転結を行う時代ではありません。産官学にNPOを加えて、効率の良い研究プロジェクトを形成し、北里大学の研究的使命に応えていきたいと考えております。東海大学時代は解剖屋、気が付けば衛生屋ですが、東海大学時代に学ばせていただいた「教育的使命」と「研究的使命」の
哲学は、私の中で脈々と生き続けております。
 まだまだ若輩者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
【略歴】坂部 貢(さかべ こう)
1982年  東海大学医学部医学科卒業,
1988年 東海大学医学部専任講師(生体構造機能系)
1988年〜 1990年 米国タフツ大学医学部リサーチフェロー,
1994年  東海大学医学部助教授(生体構造機能系),
2000年  北里研究所部長,
2001年〜 2003年 北里大学大学院医療系研究科兼任教授(医療人間科学),
2003年  東京医科歯科大学客員教授・国立環境研究所客員研究員,
2004年  慶應義塾大学理工学部訪問教授,
2004年〜 現職
学会活動:日本臨床環境医学会理事、日本免疫毒性学会理事、日本衛生学会評議員、日本病態生理
学会評議員、日本リンパ学会評議員、日本神経眼科学会評議員、日本解剖学会学術評議員、日本環境ホルモン学会評議員 ほか
社会活動:厚生労働省・労働福祉事業団・中央労働災害防止協会・諮問委員,環境省・公衆衛生協会・本態性多種化学物質過敏状態の調査研究・研究代表者,農林水産省・住宅使用地域材性能把握委員会・委員 ほか



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教授になって
高崎健康福祉大学健康福祉学部 教授 渡邉 俊之(7期生)

 医学部の辺縁にいた私なので、星医会誌に記事を書いてほしいと頼まれると、なんだか照れくさいやら嬉しいやら複雑な気持ちです。
 私は、「いとしのエリー」が流行った1979年に(6期生として)医学部に入学しました。しかし医学部になじめず湘南校舎にあるアパートで読書三昧、他学部の学生と飲み歩く毎日でした。大学2年の時には、医学部の同級生から「あいつは誰だ?」と編入生と間違われるような存在感の無い学生でした。授業をさぼったツケがまわり、結局留年、7年かけて大学を卒業しました。山林先生と目が合わないように逃げ回っていた時代です。
 私は学生時代から心理学や哲学の本を読みあさっていました。精神医学は心理学、社会学、哲学などを近接領域とする世界です。希望していた精神科学教室に入り岩崎徹也教授に師事し、精神分析的精神療法を学びました。研修医、助手、講師と精神療法をライフワークとして診療、研究、後輩指導や学生教育に専心していました。
 しかし医療経済の波は精神科にも押し寄せ、治療の効率化とともに、じっくり話を聞く精神療法は、精神医学の中心からはずれていきました。多くの先生方も精神科を去りました。私は精神療法の伝統を後輩や学生に伝えるのが役目だと、自分に言い聞かせて頑張っていました。
 少々ストレスがたまっていたのかもしれません。自分の道を考えていた時に、新教授と教室員の精神力動が変化しました(多方面に迷惑がかかるので詳細なし)。多く精神科医が不安や葛藤を抱き、全体の志気が低下しました。本来は、そうした状況を鑑み教室をまとめていくのが教室幹事(医局長)の役目。しかし私は教室員と新教授との調整業務に疲れ、いつしか心気症状や不安症状を抱えるようになっていました。多くの先輩や同僚が教室を去ることになり、「自分の役割もここまで」と思いました。そして後ろ髪をひかれつつも、辞めることを決心したのです。
 辞めると決心したものの、後のことは考えていません。しかし「捨てる神あれば拾う神あり」。非常勤講師を務めていた高崎健康福祉大学から「前任の教授が退職するために後任を探している」という話がありました。私は、精神療法、家族療法、介護の心理など、心理・社会福祉系の領域を専門としていましたので、地元の新設福祉大学が声をかけてくれたのです。
 群馬は私の故郷、母親や開業医の叔父も70歳を超え、故郷に職を求めることを決めました。私は教育が好きだったので、大学教官を選んだのだと思います。教授になりたいというよりは、管理調整業務から離れて、純粋に教育に向き合いたかったというのが本音です。私が教えている学生たちは精神保健福祉士や社会福祉士を目指す学生や大学院生たちです。
 星医会会員の皆さんは教授というと医学部教授が思い出されると思います。しかし、医学部教授と他学部教授とはずいぶん違います。東海大学では医局制が解体され教授の権限は小さくなりました。しかし、今でも医学部教授は、診療、研究、教育に加えて学位審査や人員派遣など多大な権力は残っています。
 医学部に比べると、一般学部の教授は、純粋に「学校の先生」です。講義や卒業論文の指導、実習指導など、講義ノートや問題作り、権力とはほど遠い世界です。田舎の小さな大学なので、学生たちは素朴で純粋です。学生たちが部屋を訪ねてきて卒業研究の話をしたり、部活の顧問をやらされたり、個人的相談にのったり・・今は好きな教育ができて幸せです。
 私のミッションは、精神療法や家族療法を、さまざまな周辺領域(一般医療、心理、福祉、介護、教育や保育など)に還元し、他領域とのコラボレーションを推進することです。
 でも本心・・。まだまだ母校から心が卒業できないのです。東海大学には学生時代の思い出がいっぱい詰まっているからです。今でも毎週月曜日には東海大学医学部で診療と学生講義、そして後輩の指導を行っています。正直、「辞めて良かったのだろうか」と思うこともあります。教室幹事でもないのに医学部や精神科の将来が気になります。
 そんなわけで、週4日は高崎健康福祉大学教授、週1日は東海大学医学部付属病院の精神科医(非常勤教授)として二つのアイデンティティを揺れながら生活しています。
【略歴】渡邉 俊之(わたなべ としゆき)
1986年 東海大学医学部卒業。1991年 東海大学医学部助手、2000年に介護家族の心理的問題についての研究で医学博士。2001年 東海大学医学部講師。現在、高崎健康福祉大学健康福祉学部教授、東海大学医学部非常勤教授。
専門は精神療法、家族療法、リハビリテーション心理学、介護の心理。
精神保健指定医、日本精神分析学会認定スーパーバイザー・認定精神療法医。日本家族研究・家族療法学会評議員 、日本リハビリテーション心理研究会副会長。
著書「介護者と家族の心のケア(金剛出版)」「ケアを受ける人の心を理解するために(中央法規)」「ケアの心理学(ベスト新書)」「リハビリテーション患者の心理とケア(医学書院)」など。NHK(生活ホットモーニング)、TBS(金曜日のスマたち)などに出演、女優の小山明子さん、大沢逸美さんの介護生活へのコメント。

      メイルアドレス:twatanabe@takasaki-u.ac.jp
      ホームページ:http://www.geocities.jp/watanaberoom/




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