星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第33号)
 〜平成17年9月1日発行〜


新任教授紹介

私の経歴と心臓カテーテル
内科学系循環器内科学 教授 伊苅 裕二

 私は、1986年に名古屋大学医学部を卒業し東京の三井記念病院で研修医生活を開始しました。現在は研修病院をマッチングで決めるようになりましたが、当時は大学の関連施設で研修をする同級生がほぼ全員でした。私は一流と言われる研修を受けたいと思い、三井記念病院、聖路加病院、虎ノ門病院の中から、たまたま試験日が最初に予定されていた三井記念病院を受験しましたところ、約10倍の倍率を突破し合格しました。当時の学力は合格ラインすれすれでしたので自己採点では不合格と思いましたが、予期せぬ合格に私自身納得がいきませんでした。しかし、その理由は後に自分が試験官になり理解できました。三井記念病院の研修医は学力試験で平均点以上あれば、あとは面接点が最重要とされていたのです。面接では、自分を表現する能力、常識、体力、追い詰められたときの粘り強さなどを評価していました。自分はこのような点を評価されたのかと合点がいきました。
 研修時代は苦労の連続でした。病棟業務が午後10時に終わるとそこから勉強を始め、午前2時や3時まで医局に残ることも頻繁にありました。学生の頃は相当サボっていましたが、研修医時代は決して誰にも負けない位努力したと思います。この頃の印象に残る症例は、3度の手術でも改善しない感染性心内膜炎症例に対し、ヒトの弁で置換するためニュージーランドへ患者を転送したことがあります。現在では日本でも可能な術式ですが、当時の日本での移植は骨髄、角膜、腎臓以外は許可されませんでした。国家試験合格後たった3ヶ月の新米研修医が飛行機で12時間重症心不全例と旅しました。飛行機の中では助けてくれる指導医もいません。アレストになれば自分で蘇生し、死亡すれば一人で家族に宣告しなければなりません。この12時間のストレスは相当のものでしたが、追い詰められたときの粘り強さをやはり評価されていたのではないかと思います。
 その後循環器内科医として修行を始めますが、当時の三井記念病院の循環器内科部長が山口徹先生(現虎ノ門病院院長)であり、大いに薫陶を受けました。循環器の臨床における医師の心得、態度から臨床研究に至るまで私の臨床医としての基本は山口先生に習ったといって過言ではありません。もちろん私の専門である心臓カテーテルに関しても私のスタイルの基本となっています。初めて心臓カテーテルを行ったときには手が震えました。その割にはスムーズに終わったことを覚えています。その後、卒後7年から9年目まで三井記念病院の第一オペレーターとして重症患者を治療し、実力と度胸がついたと思います。そして、1995年頃に当時まだ注目されていなかった上肢アプローチ専用のカテーテルを作成しました。「足からやると、患者さんは腰が痛いし、圧迫止血する我々は腕が痛む。腕からカテーテルができたら、患者さんも医者も看護師もみんな楽だなー」というのが発想の元になっています。これがその後世界で特許がとれ、Ikariカテーテルとして現在世界中で販売されております。必要は発明の母と言いますが、その通りだと思います。
 今後も、心血管インターベンションを中心として虚血性心臓病全般の研究、臨床に関して努力していく所存であります。今後とも東海大学循環器内科にご指導ご鞭撻のほどよろしく申し上げたいと思います。
【略歴】伊苅 裕二(いかり ゆうじ)1962年愛知県生まれ.
1986年 名古屋大学医学部卒業,
1986年 三井記念病院内科,
1995年 東京大学第一内科助手,
1996年University of Washington Department of Pathology Research fellow,
1999年 三井記念病院循環器内科科長,
2005年 東海大学循環器内科教授.




教授に昇格して
内科学系血液・腫瘍内科学 教授 安藤 潔

 星医会会員の皆様には日頃より医学部の教育、診療、研究活動にご支援をいただきましてありがとうございます。私は本年度より血液・腫瘍内科教授および再生医学センター長を拝命いたしましたので、一言ご挨拶申し上げます。
 私は1983年卒業で慶應義塾大学病院と国立東京第二病院(現東京医療センター)で血液疾患診療に従事した後、1988年より造血幹細胞の研究を行うために東海大学医学部に赴任いたしました。DNA生物学教室勝木元也教授(現国立基礎生物学研究所所長)の元で遺伝子導入マウス、微生物学教室橋本一男教授の元でサイトメガロウィルスの研究を行いました。1991年からは米国ハーバード大学に留学し、レトロウィルスベクターを利用した細胞周期関連遺伝子の研究に従事しました。1997年より血液・腫瘍・リウマチ内科に勤務し、臍帯血造血幹細胞の体外増幅、遺伝子導入等の研究を行ってまいりました。優れた研究環境を与えていただいた東海大学医学部には本当に感謝しております。
 さて、血液・腫瘍内科の前身は第4内科であります。皆様ご承知の通り、1991年4月にいわゆる「東海大学安楽死事件」という不幸な事件を引き起こし、教室は壊滅的な打撃を経験いたしました。1996年に堀田知光教授(現医学部長)を迎え、短期間に画期的な教室の建て直しが行われました。その間、東海大学卒業生を中心とした教室員の献身的な努力により、今日では日本の血液学会において当教室は診療・研究いずれにおいても指導的な立場を築きました。これらの実績が認められ、2007年度の日本血液学会会長に堀田教授が推挙されております。今後はますます、診療、教育、研究の実績を重ねていきたいと存じます。特に、2006年1月開院の新病院では病床数が減少しますが、周辺の病院と連携しつつ神奈川県西部の血液診療をますますレベルの高いものとしていきたいと思います。また東海大学医学部では女子学生比率が40%を超えるようになり、全国でも女性比率の高い医学部となっておりますが、女性医師の働きやすい環境を提供して十分に実力を発揮してもらえるようにしたいと考えております。血液疾患診療は特に専門性の高い領域であり、細胞治療、再生医療、分子標的療法、遺伝子治療などポストゲノム時代の最新の医療技術が導入される領域であります。この流れに対処するには医師以外にも看護師、検査技師、基礎研究者、細胞移植・再生医療科、クリニカルリサーチコーディネーターなど様々な職種とのチームワークが不可欠です。東海大学医学部の総合力で最良の医療を提供していきたいと思います。今後とも引き続きご支援をお願いいたします。
【略歴】安藤 潔(あんどう きよし)
1983年3月 慶應義塾大学医学部卒業,
1983年4月 慶應義塾大学病院臨床研修医,
1985年5月 国立東京第二病院内科医員,
1987年5月 慶應義塾大学医学部内科学助手,
1988年1月 東海大学医学部微生物学教室助手,
1991年9月 米国ハーバード大学医学部ダナ・ファーバー癌研究所研究員,
1994年1月 東海大学医学部感染症学教室助手,
1995年4月 同講師,
1997年4月 東海大学医学部血液・リウマチ内科学教室講師,
2002年4月 同助教授,
2005年4月 東海大学医学部血液・腫瘍内科学教授,再生医学センター長




教授に昇格して
内科学系神経内科学 教授 吉井 文均

 今年で大学を卒業して30年になる。東海に研修医として就職してからは28年目である。伊勢原の地に初めて来たのは東海大学病院が開設してまだ3年目のことで、東海大学の1期生もまだ卒業していなかったときである。医局員は4人のみで、病棟も全部がオープンしているわけではなく、研修医として救急患者や重症患者を受け持っていた時は、患者のいない病室で寝泊りしたこともあった。当時一緒に研修をしていた仲間のほとんどは現在は大学を離れてしまったが、呼吸器内科の近藤哲理先生とはそのころからずっと一緒である。2年間の初期研修を終えたあとは卒業した慶応大学に戻ることになっていたが、東海大学の自由な雰囲気が気に入って、そのまま東海大学に残ることになった。
 この30年を振り返ってみると、最初の10年は診療に明け暮れた10年であり、次の10年は米国留学も含めて臨床研究に精を出した10年、そして最近の10年は主に医学教育に携わる10年であった。診療では明けても暮れても脳卒中の患者さんの入院が相次ぎ、今ではもう出来ないが、診断のために自ら総頸動脈を直接穿刺する脳血管撮影を繰り返し行った。また感染症も多い時代で、髄膜炎といえば細菌性のものがほとんどで、今とは違って重症な患者さんを受け持つ機会が多かった。忙しい研修医時代であったが、最初の10年で沢山の患者さんを診察することができたので、神経内科の教科書に書かれている主な疾患は一通り経験できたのではないかと思う。
 留学は米国マイアミのマウント・サイナイ病院に行き、ここでPET(positron emission tomography)を用いた脳代謝の仕事に携わった。これが本格的な臨床研究の始まりである。マイアミは土地柄老人が多いところで、研究の対象も必然的に痴呆症が中心となった。またマイアミはAIDS患者も多いところで、この時にAIDS患者の脳機能を調べる機会にも恵まれた。留学後も脳機能の画像診断への関心は続き、現在でもSPECTを利用して、主にパーキンソン病患者さんを対象とした仕事を続けている。現在老人性認知症治療研究センターの責任者もしているが、マイアミでの研究経験が今の仕事にも役立っている。
 1996年に黒川清先生が東海大学の医学部長に就任されたのを契機に、医学教育にも関心を持つようになった。米国ミシガン大学の医学教育を視察して、日本とは雲泥の差があることに気がついた。以後、臨床教育の充実が急務であると自覚し、本学におけるクラークシップの導入やOSCEの立ち上げに尽力してきたつもりである。ミシガン大学で知り合った神経内科医であり、医学教育のエキスパートでもあるDr. Gelbとは今でも親交を続けており、医学教育改善のよき助言者となってくれている。
 今年4月内科学系神経内科学の教授を拝命したが、以上述べてきた経歴からも分かるように、私の実績はほとんど東海大学で培われたものである。東海大学に育ててもらった28年と言い換えることもできよう。従って、これからの10年は東海大学への恩返しの10年と考えている。自分の専門領域は、脳卒中以外にパーキンソン病と認知症がある。どちらの疾患も高齢化社会で患者数が爆発的に増えている。一人でも多くの患者さんに質の高い診療を提供するのが私の任務であるが、それ以上に研究、教育を通して、それらの患者さんを診ることができる立派な医師を育成することが教授としての最大の任務と考えている。
【略歴】吉井 文均(よしい ふみひと)
昭和50年3月 慶応義塾大学医学部卒業,
昭和50年6月 慶応義塾大学付属病院内科研修医
昭和52年5月 東海大学病院(後期)臨床研修医,
昭和54年4月 東海大学医学部助手(神経内科学教室),
昭和60年8月 Mount Sinai Medical Center (Miami, U.S.A.) に留学,
昭和63年4月 東海大学医学部講師(神経内科学教室),
平成1年4月 平塚市民病院内科主任医長,
平成4年5月 帰室, 東海大学医学部神経内科勤務,
平成9年4月 東海大学医学部助教授(神経内科学教室),
平成14年4月 東海大学医学部老人性認知症治療研究センター長を兼務,
平成15年4月 東海大学医学部教育計画部次長兼務,
平成17年4月 東海大学医学部教授(内科学系神経内科)




リウマチ内科学の展望
内科学系リウマチ内科学 教授 鈴木 康夫

 4月よりリウマチ内科を担当することになりました。昭和51年に慶応義塾大学卒業後,現在にいたるまでリウマチ・膠原病の臨床,研究を行っております。東海大学八王子病院が開院した3年前に,聖マリアンナ医科大学より東海大学に異動し,以後,八王子病院のリウマチ科の診療を中心に,伊勢原本院の診療や研究,教育についても従事してまいりました。
 私の診療の中心は関節リウマチを中心とする膠原病ですが,特に関節リウマチの薬物療法やステロイドや免疫抑制薬による膠原病治療を専門にしています。膠原病は多臓器障害性の難治性疾患です。従って,骨,関節,筋など骨格系の症状はもちろんのこと,あらゆる臓器の症候学に熟知している必要があります。治療に関しても,ステロイド,抗リウマチ薬,免疫抑制薬,免疫グロブリンといった特殊薬剤や血液浄化療法など専門知識が要求される分野です。リウマチ膠原病の分野における最近の治療薬の進歩にはめざましいものがあります。関節リウマチでは毎年新薬が承認されており最もホットな内科領域の一つです。特に関節炎の病態に関与するTNFa, IL-6などのサイトカインやB,T細胞を直接ブロックする分子標的治療薬の出現は,有効率,寛解導入率,関節破壊抑制効果の面で画期的な進歩をもたらしました。その反面,これらの新規治療薬により免疫抑制に伴う重症な副作用が増加しているのも事実です。従って,rheumatologistにはoncologistと同様な専門的知識や経験が要求されています。しかし,我が国の現状は,このような薬剤を使いこなせる真の意味でのリウマチ専門医が絶対的に不足しています。リウマチ内科ではあらゆる臓器病変の診断治療に対応し,ステロイド,免疫抑制薬や分子標的治療薬による治療に精通したリウマチ専門医を育てる事を目標にしております。今後も益々発展する領域ですので若い先生方に是非興味を持っていただければと思います。
 臨床領域で,もう一つ重要視しているのは治療につながるエビデンスの提供を目指す多施設共同研究です。現在厚生労働省研究班で行っている難治性血管炎の治療に関する多施設共同試験に参加し,またステロイド性骨粗鬆症の予防治療に関する多施設試験(GOJAS study)の事務局を運営し研究を主導しています。今年,発表された日本骨代謝学会『ステロイド性骨粗鬆症の管理と治療ガイドライン』の作成にも参加しました。東海大学よりリウマチ学に関する新しいエビデンスが発信できればと思っています。
 基礎研究では,『骨代謝学的手法を用いた関節リウマチ骨破壊機序の研究』や『成長因子徐放人工材料による組織再生』を行っています。これらの研究は,奈良先端技術大学院大学や京都大学と共同で進めています。学内では,分子生命科学の猪子教授と『関節リウマチの疾患感受性遺伝子や病態関連遺伝子に関する研究』を共同で始める予定です。関節リウマチの治療にとってpharmacogenomicsの領域は今後欠くことのできない分野になると思いますので,学内共同研究も是非進めたいと考えております。
 現在,リウマチ,膠原病を診療できる専門病院は,神奈川県西部(厚木より西の県北部,湘南,小田原,御殿場)では東海大学病院しかありません。現在,人手が少ないので,十分とはいえませんが,地域のリウマチ膠原病の診療の中心として活動できるように努力したいと思います。いろいろな面で,ご支援いただければ幸いです。
【略歴】鈴木 康夫(すずき やすお)
1976年3月 慶應義塾大学医学部卒業,
1978年5月 慶應義塾大学医学部内科学教室血液・感染症・リウマチ内科(本間光夫教授)入局,
1983年8月-1986年7月 米国,Washington University Medical School, Division of Bone and Mineral Metabolism,
1986 年9 月 川崎市立川崎病院内科医長,
1989年7月 聖マリアンナ医科大学第1内科講師,
1990年10月 同大学 内科・臨床検査医学講師, 同大学難病治療研究センター医用工学研究室室長,
1992年11月 同大学内科学(リウマチ・膠原病・アレルギー内科)助教授,
2002年4月 東海大学医学部内科学系(リウマチ内科学)助教授, 同付属八王子病院リウマチ科医長,
2005年4月 東海大学医学部内科学系(リウマチ内科学)教授




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