星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第34号)
 〜平成18年3月1日発行〜


巻頭言

新病院への引っ越しにあたり
星医会理事 田仲 曜(10期生)

 星医会会報第33号9期生継先生の後ということで、10期生である私が今回巻頭言を書かせていただくことになった。昨年の12月22日が、東海大学医学部付属病院1号館での外来最終日である。1974年に医学部が開講し、1975年2月17日から外来診療を開始した東海大学病院、開院当初東洋一といわれた白亜の病院も、老朽化と耐震性の問題から30年の歴史に幕を下ろす日がやって来た。旧東海ホールは閑散としており、1号館全体が薄暗く物悲しい雰囲気になってしまった。 救急救命センターは24日に新病院での診療を開始一晩で7名の患者が入院したそうである。5号館と呼ばれる新病院は地下1階、地上14階建ての800床でICU系が70床あり、手術室も22室、超急性期・重症管理に特化した病院となる。ICU病床70床など、満床になることはないだろうと思っていたが、年明けを待たずにすぐに満床となり、一般病床への転棟が行われた。EHCUと呼ばれるハイケアユニットも構造はICUと同じ作りになっており、看護師の人員が満たされればICUにすることが可能らしい。また、MFICUという周産期のICUもあり、2006年4月から施設可算をとった診療を開始するそうである。外来は1〜4階でゆったりしたスペースでの診療が可能になる。一般病床は個室が多くなり、大部屋は4人床となる。すべての部屋に酸素と吸引の配管がある。エレベーターもベッド搬送用は大きくなり、重症患者の搬送も楽になる。手書きカルテのPDFファイル化とPACSによりカルテ大袋の移動がなくなり、臨床業務がさらに迅速に行えるようになる。カンファレンスルームでは、プロジェクターで病院端末の画像や検査データを皆で見られようになるらしい。こうして新病院が出来て見ると、1号館は本当に良く出来た病院であったことが改めて感じられる。都内の大学病院に行く機会があるが、建て増しの繰り返しで迷路のようになっている。東海大は、2号館の救急救命センターを増築したのみで十分機能を果たしている。もし耐震性と電気やイントラネットワークなどの問題がクリア出来たとしたら、後10年くらいは病院として使用に充分耐えたであろう。1号館より使いやすく良い病院を設計することは非常に高いハードルであったことが想像出来る。新病院となりハード面での機能は向上するわけであり、無駄を省き医療の効率化を図ることで収支を黒字にすることが可能となり、学部棟のリニューアルに着手できるよう期待している。
 早朝246側から新病院を望むと、朝日を浴びたタイルがピンク色に染まり中央のアクセントとなっているガラス張りの部分に空の雲が写りこんで、本当に美しい建造物に仕上がった。大山との調和を考えて全体像を設計したそうである。季節の移り変わりで違った表情を見るのが楽しみである。1号館とは全く違う壁面やデザインにもかかわらず、色々な角度からみても不思議に調和が取れている。「創造する病院」「どこにもない病院」というコンセプトで始まったリニューアル計画も、5号館についてはフィナーレを迎えた。12月27日に民族大移動と呼ばれている入院患者の引っ越しを無事終了し、1月5日の開院を迎えまさに新しい門出となった。
 一方で星医会は2005年春に卒業した26期生を加え、2,600余名となった。このうち、約1,000名が母校に在籍して医学部教職員の6割を超えるようになった。教授7名、助教授24名、講師80名が卒業生であり、臨床・教育・研究を行っている。10期生である私が入学した当初は、当然卒業生の教員はほとんどいなかった。しかしながら教員のほとんどから、東海イズムのようなものが感じとれた。現在では多くの会員が、未来の星医会会員を教育しており「良医」を育てる伝統は受け継がれている。伝統や歴史は積み重ねられるものであり、1974年に医学部が開講してから何らかの関わり合いを持ったすべての人によって、作られたものである。新病院は30年の歴史によって生まれたものであり、新たなる歴史の1ページというよりは東海大学医学部の31年目からの器と考えたい。
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