星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第34号)
 〜平成18年3月1日発行〜


特集

新病院竣工にあたって
新病院の開院に寄せて
医学部長 堀田 知光

 医学部創設30周年記念事業の一環として建設を進めてきました付属新病院が完成し、2006年初頭に全面的に開院しました。昨年末の移転作業は全職員が一丸となって計画通りに執り行われましたことに感謝申し上げます。
 新病院棟の建設は計画から7年、着工から3年弱の一大事業でした。「東洋一」と謳われた規模と最新の設備を誇った旧病院も30年の歳月の流れとともに建物や付帯設備が次第に老朽化し、耐震基準も変わり、これに対応する補強を必要とする状況になってきました。また近年、急速に発達しつつある情報化と画像診断をはじめとするハイテク技術への対応や、医療制度の変化にともなう病院の機能分化、入院期間の短縮と外来シフトへなど検査の迅速化への対応が迫られる中で新病院建設の計画が検討されてきました。
 学内において、当初は付属病院を修理・補強すべきか建て替えかについて様々な角度から検討が続けられました。現在の建物を引き続き使用する場合に必要な修理・保守や耐震基準への対応とその費用、建て替えの場合には敷地、容積率、そしてなんと言っても建設費の問題がありました。1998年から土木建築の専門家やプロジェクト・マネジメント共同体を導入して長い時間をかけて多角的に検討した結果、修理・補強にも相当な費用がかかることが分かり、結局、補強ではなく新病院建設が妥当との判断に至りました。2001年10月に新病院建設計画の推進を法人で決定いただきました。この決定には、学校法人東海大学として新病院建設のための膨大な借入金の捻出のために、他の学部や付属高校の建て替えや修理を当分の間据え置かなければならない状況での決断をいただきました。新病院の建設はまさに東海大学をあげてのご支援によって実現した事業であります。
 計画には、リニューアル推進部が中心となって付属病院のあらゆる職種と職場から意見や提案をふまえ、本学医学部の基本理念である「科学とヒューマニズムの融合」、「心温まる人間性豊かな病院」を実現すべく、綿密な企画・計画が練られました。2002年6月の実施設計の開始、2003年3月26日の地鎮祭をもって新病院の建設が始まりました。以後の新病院の建設は、事故や遅滞なく予定通りに進捗し、2005年11月12日に竣工を迎えました。この間、リニューアル推進部を先頭に高機能で働きやすい新病院を目指して、全職種・全職場での検討が細部にわたって積み重ねられました。限られた予算とスペースの中ですべてを満足させるというわけにはいきませんが、現状で可能な最大限の成果がつまった病院になったと確信しています。
 新病院の建設は、日本の経済の低迷と医療をめぐる厳しい環境の中での一大事業でした。東海大学と諸先輩、ご父兄、関係企業をあげてのご支援をいただきました。なかでも星医会の皆様にはご寄附をはじめ物心両面でご支援賜り、改めてお礼を申し上げます。
 新病院の真価が試されるのはこれからであります。新病院の門出を皆様と共に祝うとともに、より良い医療と充実した医学教育・研修の実現への決意を新たにしたいと思います。今後ともご支援をお願い申し上げます。


新病院での新しい診療
病院長 幕内 博康

 平成18年を迎え、星医会の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。本年が皆様お一人お一人にとりまして幸多い年となりますようお祈り申し上げます。
 平成18年1月5日より新病院での診療が始まりました。新しい職場で、最新鋭の機器に囲まれての診療は希望に満ちた楽しいものです。まだまだ不慣れでもあり、また、改善すべき部分も幾つかあります。皆の意見を集めて、さらに使い勝手の良い病院とすべく努力していきたいと思っています。
 新病院はその設立の計画段階から、職員の皆様、医師、看護師、技師、そしてその中心となった事務の方々が協力して知恵を出し合い、議論を重ねて戴きました。新病院はまさに“職員の皆様が作った病院”といえると思います。星医会の先生方にも有益なご意見を賜り、ご協力戴きましたこと、心より御礼申し上げたいと存じます。さらに、多額の御寄付を頂戴致しまして、重ねて御礼申し上げたいと存じます。職員達も、この厳しい経済状態の中、可能な限りの寄付をして戴きました。これも“自分たちの病院を造る”という気概の現れだったのだろうと、深く感じ入っております。
 さて、新病院は立ち上がり稼働を始めましたが、この高機能病院を十分に機能させるにはソフト面、すなわち、使いこなすスタッフの充実も大切であります。中の職員達も全力を挙げて努力致しますが、さらに、星医会の皆様のご協力が切望されるところです。“新病院で頑張ってみよう”という星医会の先生方にぜひ参加していただきたいと思います。内外に広く人材を求めております。
 次に新病院の運営ですが、803床と従来の1133床から330床減となります。ICU・CCU、手術室の増強を図り、最新鋭の診療機器を備えた重装備の病院であり、それに相応しい運営が求められています。大学病院、特定機能病院として、地域医療の中核病院として、急性期重症疾患に特化した医療を展開しなければなりません。1つの大きな病院で全ての患者、急性期から慢性期までの全ての病態の患者を診ていこうとする考え方はもう現代の医療として成立し得ません。地域の医療は地域の医療機関が手を取り合って協力して診ていくことが大切です。重装備の病院は重症症例を、軽装備の病院は急性期を過ぎた症例や軽症例をお世話するという“医療分業”“医療の住み分け”が大切であります。全ての疾患・病態を全て診るという“一人勝ち”のような病院は無くなると思います。一人の患者さんでも急性期は大学病院で、安定期に入ったら地域の相応しい病院で加療していくという分担が望まれます。厳しい医療行政の中、無駄な投資、過剰な投資は医療事情のさらなる悪化、病院経営の行き詰まりを招来します。それゆえ、地域での協力が大切で、新病院では入院時から退院、転院を考えておく必要があります。高齢者の核家族化、認知症の問題等々どう説明しても御理解いただけず、無理難題を押しつける方も少なくなく、その対策が急がれています。
 平成18年は輝ける新病院と共に、星医会の先生方のさらなる大きな発展を期待しております。自らの能力を信じ、情熱と信念を持ち、人への信頼を忘れずに、毎日、能力、体力の限界まで楽しみたいものです。真の自分を見いだす努力を期待致しております。


東海大学医学部付属病院新病院棟の開院によせて
リニューアル推進部長 田中 豊

1)本館の思い出と新病院建設までの道のり
 私は学生時代にロッククライミングのクラブに所属し、一年に100日以上を山で過ごしていました。梅雨時は大きな山を登ることができないので、丹沢の岩場でトレーニングをするのが恒例でした。あるとき東名を大井松田に向かって走っていると、伊勢原に巨大な鉄骨の塊が出現し、そのうち「東海大学病院」と看板が上がりました。私は過激な性格であることを以前から自覚していたので、減点方式で人を評価する組織では生きていかれないだろう、いいところが見つかったら是非母校でないところに勤めたいなと思っていました。この看板を見たときに直感的にここに勤めようと決心したのでした。卒業を前にした1976年の11月、私は元の第2外科の教授でおられた三富教授に就職のインタビューのアポを取り下糟屋の交差点にやってきました。この日は小雨の降る日で、本館は途中から霧に隠れていました。「なんてでかい病院だ!!」。東洋一と呼ばれた大学病院は、実に美しく力に満ちていて、私の脳裏に焼き付きました。
 三富教授が主催された消化器外科学会が終わった翌年の1996年の2月、三富先生に呼ばれ、「東海大学医学部が大赤字で経営を改善するために医学部長以下の執行部人事を刷新することになり、内科の堺先生と小出先生が副院長をされる。このお二人がお前に企画室をやらせたいとおっしゃっている。企画室に行ったら外科医には戻れなくなるぞ。それでも行くか?」、といった趣旨のお話を聞きました。私は、「引いてくれる人がいるならやってみたい」と答えたと記憶しています。1996年の4月から私は大学病院の経営改善策の立案に取り掛かりました。仕事を始めてすぐに以下のことが分かりました。本館の設備の老朽化が著しく、これまで取り立てた対策は打たれていない。あらゆる修理・修繕費が幾何級数的増加しており、近日中に抜本的な対策を打たないと病院として機能しなくなる。  
 そこで、1997年夏に本館の改修を計画するためのコンサルティングが必要であることを提言し、12月23日にコンサルタント(プロジェクトマネージャー)の選定コンペ開催にこぎつけました。その後2000年には、大学病院の経営状態はほぼ収支トントンに近い状態まで改善し、新病院棟建設が正式に決定されたのでした。もちろん新病院の建築費を、医学部が自前で返済することが前提条件であることはいうまでもありません。
2)この国の医療の方向性と新病院建設のねらい
 第二次世界大戦直後、この国には健康保険制度が存在しなかったのですが、1951年渡辺厚生大臣の下で、国民皆保険制度を目指した制度設計が行われ、その後の高度成長とあいまって長寿世界一の国となりました。1970年代に入り、人口の高齢化が将来の課題であることが広く認識されるようになりましたが国の政策はお粗末で、国の活力の増強、簡素で効率的な政府の実現、効率的な医療制度の開発などまったく行わずに時を過ごしてしまいました。従来の政治では道路や橋・農業補助金など様々な「ばらまき」が必要であり、これが構造改革を遅らせ、ついに資産の乏しい老人に医療を十分提供できない時代を作り上げてしまったのです。
 東海大学病院の新病院棟建築に当たって、我々は大きな借入金を起こしこれを30年かけて返済しなければならない。その借金は診療報酬収入を中心に返済する以外に方法はなく、よってわが国の医療制度の今後の動向を展望し、長期にわたって収益性が保障できる病院を作らないと、イノベーションに乗り遅れた「医学博物館」を新築するようなものだと考えざるを得ません。しかし、国の累積債務は750兆円をこえ、アルゼンチンレベルの財政的信用評価を受ける国となり、今後30年医療福祉を充実させる余力はないと考えるべきでしょう。薬漬け医療・検査漬け医療・大病院集中・医師過剰・かかりけ医制度・急性期慢性期・在院日数の短縮・療養型病床など、様々なキーワードで医療費の削減がつ図られてきましたが、どのキーワードも短命で持続性がなく成果も上がりませんでした。2000年には良く議論もせずに「社会的入院」対策として、国民に新たな負担を求めて「介護保険制度」をつくりましたが、この財源もが不足しており破綻は時間の問題です。医療機関への老人ホーム運営許可、開業医の初診料・再診料値下げ、2年間以上僻地勤務をしたものでないと開業を許可しないとか、いろいろお考えのようですが、「猫の目行政」に惑わされ、厚労省の早耳筋の話に耳を貸してはいけません。わが国の医療が向かわざるを得ない方向ははっきりしているのです。さらに、消費税の増税、インフレ政策も不可避です。我々は以下のことを確信しています。@教育機関である医学部付属病院(Teaching Hospital)が不要になることはない A急性期医療特化をすれば厚生労働省政策のゆれの影響は少なく、収益性が確保できる B在院日数短縮をしてアメリカレベルを実現する C生産性向上(冗費を節約し、ワークフローを改善する)などの施策を実行すれば、大学病院がプライドを持ち続けて常に新しい技術を取り入れた先進的な病院を維持できると思います。
3)オール東海大学にとっての新病院棟建築の位置づけ
 そもそもRenewalが議論される以前から学園にとって重大な問題だったのは、医学部の赤字でRenewalが終わった現在よりはっきりしてきました。「医学部にこれ以上赤字を出してほしくない。借金は自前で返してほしい。新しく何かが必要なら、自分で買ってほしい。東京・大磯・八王子病院も黒字になってほしい。」などです。次に重要なのが、「東海大学の代表的な学部としていつも魅力ある存在でいてほしい」という点でしょう。ですから、予算を絶対にオーバーしないでプロジェクトを終了する必要がありますし、マスコミも含めて世間に注目される必要がありました。また、多くの方々に安心していただくために、高い収益性を短期間で証明できる必要があったわけです。
4)RenewalはReengineeringの一部
 新病院棟建築プロジェクトを伊勢原キャンパスではRenewalと呼んできました。しかし、先に述べたようにこの新築プロジェクトはTeaching Hospital・急性期医療特化・在院日数短縮・生産性(収益性)向上など難易度の高いスローガンを背負っており、従来我々が行なってきた医療とはかなり異なる手法で経営に当たらないと目的は達成できません。マイケル・ハマーの言うReengineeringを行なう必要があったのです。建築そのものが目的化し、診療各科や各部署の面積争いに明け暮れるような建築プロジェクトになってはならなかったため、「RenewalはReengineeringの一部」というキーワードの浸透につとめました。
5)「急性期医療への特化」と「Downsizing」
 新病院棟の計画段階で最もディスカッションになったのが、新病院棟の病床数の設定です。在院日数の長い症例(慢性疾患)の原価率は極めて悪く、厚生労働省の在院日数短縮政策から見て今後好転する見込みは全くないことから、病床数を803床にDownsizingし新病院を急性期医療に特化させることにしました。計画段階で私はかなり個人的に非難されましたし、今後も非難されるだろうと思っていますが、「世の中によくあること」と思うようにしています。
6)Renewalプロジェクトの基本コンセプト−「創造する病院」
 新病院の建築プロジェクトの中心となったのがハード基本設計検討会で、医師5名、看護師5名、技師2名が参加しました。先ずコンセプトプランニングに莫大な時間をかけ、「創造する病院」を最も高位のキーワードにすえました。当院はTeaching Hospitalであり、常に新しい価値を創造し続けたいという気持ちをこめたものです。もし我々がそのような病院であり続けられたとしたら、その病院は「どこにもない病院」であろうとも考えました。次に、「創造する病院」をブレイクダウンして@Time Saving AHigh Quality BPatient Identification の三つを次のレベルのキーワードとしました。
7)「Time Saving」な病院とは
 人間は生まれたときからいずれ死ぬ運命にあり、体調が悪くなったとき「早くよくなりたい」と願いますが必ず治るわけではありません。疾患もまた時間のモデルなので、できるだけ早く診断し治療を開始したほうが、結果が良いのも当然ですし結果が悪かったとしてもご本人・ご家族様にとって納得できるのです。病院というところは「Time Saving」でなければならないのです。情報の流通速度・スタッフの作業速度の向上・経営判断の素早さなども含めた重要なキーワードです。
 1997年から中検スタッフの莫大な努力で、30分以内に検体検査結果の出る病院を目指して改善を重ね、2005年には34分のところまで来ました。病棟でも朝の採血の結果が回診のときには見られるようになりました。検体検査結果報告の時間短縮は、あらゆる診療科にとって不可欠かつ波及効果が大きいのです。この改善により腫瘍マーカーも含めた患者検査に必要な情報が得られるようになり、当日画像診断のニーズが高まりました。1998年に胃カメラ、2000年にCT、2003年にMRIの当日検査が当たり前となりRenewal前に当院の診断速度は飛躍的に向上していました。このため、外来で十分な検査ができるようになって「入院医療の外来化」が実現、在院日数は1996年に28日であったものが2005年12月には13日まで短縮し、当院の経営状態は画期的に改善しました。
 新病院では救命救急センターに隣接してMRXO(MRI・ 血管造影・CTを接続して検査でき、かつMRIガイド下の手術が可能な装置)を配置し、救急症例に対して24時間ハイエンドな装置で検査ができるようになり、救急症例の診断に要する時間・診断レベルも飛躍的に向上しました。単純撮影装置に島津社製直接変換方式のFPD(Flat Panel Detector)を採用したのは大成功でした。FPDで単純写真を撮影すると2秒後には画像を確認し、直ちに画像をPACSに転送しデータを表示できます。従来、単純撮影をオーダーすると最低30分の待ち時間が発生していましたが画期的な時間短縮となり呼吸器・整形領域をはじめ単純撮影への依存度が高い診療科のワークフローの改善になりました。CTやMRIの当日検査が円滑に行なえる状況から「一度でけりが付く外来」が実現できました。
 一方、急性期医療に特化すると手術がタイムリーに行なえることが絶対必要で、旧病院でも中央手術室スタッフや麻酔科の先生方が頑張って「断らない手術室」を実現してきました。新病院では手術室を21室と大幅に増強し手術室不足を解消し、ほとんどの手術室をどんな手術にも対応できる「Convertibleな手術室」としました。 ○○科の手術室という考え方を排除するために、手術室の内寸7m×7mの正方形とし、麻酔科の立ち位置を変更せず手術台を動かすことによりあらゆる術式に対応でるようにしました。顕微鏡は床置き式として台数を増やし、緊急手術にいつでも対処できます。緊急手術は緊急に行なう必要があるから緊急手術なので、早く手術が開始できれば手術成績が良くなるのは自明の事実です。
8)High Quality・Patient Identificationはこれからの病院の必需品
 患者様が質の高い医療をうけたいと願うのは当然のことです。しかし、患者様の願う「質」と医療提供側が考える「質」との間にギャップがあるように思われます。医療提供側は「高度医療」が本質だと考えがちですが、患者様側は「医療安全」・「説明と納得」・「アメニティー」など広い範囲の「質」を求めているのでしょう。当院は2000年に内服薬誤注入事件を起こし、我々も非常に傷つき世間からも非難されました。「医療安全」をキーワードに努力を続けていますが、「医療安全」は複合的な要素を解決しないとレベルアップが望めません。新病院では患者の個人認証・薬剤などの一致確認・注射&抗がん剤の間違ったオーダーの削減・MEのオペラビリティーの向上などを強く意識して、ハード・ソフトともに改善しています。また、看護師の業務を簡素化し医療安全に注意を集中できるように改善しています。
 入院手続のときに訪れる「入院受付」を「入退院センター」(PFM:Patient Flow Management )として大幅に拡充し、看護師・MSW・医療連携・在宅医療がひとつのオフィスで協力して作業し、患者様が入院手続に おいでになった時点で情報を収集し「社会的問題」の解決に早期に取り組めるようにしました。ナース一号用紙も記載されるので、病棟では入院してくる患者様がどんな方なのか理解したうえで対処できます。PFMが十分機能を発揮してくれれば、診療の組み立ても大きく変わると期待しています。
9)むすび
 新病院へ昨年の12月27日に引越し、外来診療を1月5日に開始しました。残来のオペレーションは安定しており、若干の運用調整を残すのみとなっています。新病院の詳細を語れば何日もかかるほど中身がぎっしり詰まっています。8年に及んだ新築関連の仕事が終了したいま、新病院が「どこにもない病院」として見事に機能することを願っています。


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