星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第34号)
 〜平成18年3月1日発行〜


開業医のページ

 5年前より卒業生で開業された先生方より近況報告の原稿をいただいて掲載しております。本号では5期生に原稿依頼をいたしましたが、毎年3月号に本コーナーを設けておりますので、卒業期を問わず、投稿をお願い申し上げます。
 というわけで、今回は8名の先生方からの近況報告です。


この歳にして研修医?・・助っ人が欲しい
厚仁病院 松山 毅彦

 早いもので、大学を卒業して、22年が過ぎようとしています。大学には11年ほど在籍し、その後下野し現在に至っています。居住地(と勤務地)は香川県丸亀市です。香川県と言えば、近年「うどん」で有名になりましたが、やはり本場のうどんはひと味もふた味も違います。
 現在は厚仁病院(こうじんびょういん)という病院で産婦人科医をしております。厚仁病院は66床を有する中規模の私立病院で、標榜科は現在のところ内科、外科、産婦人科となっており、名ばかりではありますが院長職も兼ねております。内科、外科の開設は昭和43年と比較的古く、開設者は家内の父です。産婦人科そのものの開設は平成8年で、今年開設10周年を迎えます。私の家内も同窓生(8期生、旧姓 米本)で、かつ産婦人科医として働いています。産婦人科の常勤医は現在に至るまでこの二人のみです。
 さて、広告をかねて近況を・・とのことですので、現在の状況を記します。当院の産婦人科の特徴は、不妊症診療と産科診療にあります。不妊症の診療は体外受精、顕微授精、男性不妊の治療なども手がけており、体外受精の治療周期数は平成17年の一年間に658周期(全国的にみても多い方です)となっており、徐々にではありますが、増加傾向となっております。
また、産科診療においては最新の4D超音波断層装置を使用して胎児診断の精度を高める工夫をしています。分娩数はやはり増加傾向にあり、平成17年の分娩数は691例となっております。
 また、今年は産科のサテライトクリニックも隣地に開設できる見通しとなり、現在工事が進捗中です。このクリニックは胎児診断にかなりシフトしたコンセプトのもとに建てられており、診療開始の暁には不妊症診療、一般産科、胎児診断の3つの部門がお互いに有機的に連携がとれるようになる予定です。なお、このクリニックには徳島大出身の先生の就任が決まっております。
 このように書くといいこと尽くめの様に思われるでしょうが、現実はパーソンパワーの点でかなり厳しく、この年齢(48歳)にして朝早くから夜遅くまで診療をしており、夜中も分娩に呼ばれ、研修医顔負けの仕事漬けの日々です。体力的にはかなりつらいものがあります。
 産婦人科医はどの地域にも少なく、特に分娩を取り扱う施設が少なくなっていることが報じられておりますが、ご多分に漏れず当地も同様であり、なかなか診療の補助にきていただける先生は見つかりません。現在は、東海大学の産婦人科の先生方のご好意に甘えて、土曜日の夜から日曜日の夕方まで当直をお願いしております。毎日が仕事に忙殺されているため、子供の相手もままならない状態となっていますが、このときだけは少しだけ日々のストレスから解放されます。
 この現状を打破する(研修医生活を改める)ためにはやはり常勤医の数が増えなければなりません。当院では、広く産婦人科医のみならず内科医も求めています。同窓生の皆さん、大学からは遠いのですが、私たちと一緒に働いてみませんか。


我が子に教えられながらの開業医人生
東川島診療所 三村 圭美

 そもそも開業しようと思ったのは、子供の近くにいたかったからだ。初めて子供を持った時も考えた。このまま専業主婦になってしまうかどうか。しかし、医師になることが夢であっただけに、家で主婦業に専念することは一種の焦り、下手をすると堕落してしまう感じさえした。自分が医師として 一生懸命働いている姿を子供に見せた方が、子供にとって良い母親像に なるに違いないと思った。そして3人の子持ちになった時は、もう勤務医と しては限界であると感じた。子供を見る時間がなく、子供の気持ちに気づいてあげることができない気がした。
 開業医は思ったほど楽ではなかったが、地域で仕事をするということは、子供を身近に感じ、子供の生活の一部を見ることが出来る。と言っても、つい忙しいと抜けてしまうことがままあり、そんな時は必ず子供の方からサインを送ってきた。登校前の腹痛発作、突然の夜尿症、爪かみ、指しゃぶり、神経性頻尿などである。これも同時期に起きたわけでなく、時期を違えて次々と起こったことである。その度に思い悩み、その都度解決し、今に至っている。こんなことを言うと、本当は母親としては立派にやってこられたわけではないと思われるかもしれない。でもそれらの行動は、わりと身近に、ほんの些細なことで起こりうることは良くわかった。世の中のどの母親にも、こういった経験はいつも間近に起こりうるし、それは決して育て方が悪いとか、まわりの環境が悪いわけではないことも良くわかった。問題は、子供のサインに気がついてあげられる心の余裕みたいなものだろうか。
 仕事柄、不登校の児童生徒の相談を受けることが多い。不登校とひとくちに言っても、子供にもさまざまなタイプがみられるし、子供の心を支えるはずの親や、家庭のあり方も異なる。親は決まったように最初は「学校にも行かず、皆から遅れてしまい、人生の落伍者になってしまうことが心配だ。」と嘆く。しかし、このような子ほど、始めは不登校状態に対して強い罪悪感を抱き苦しむが、不登校を通して、内面的成長を遂げる子も多いのが現実である。結果がすぐに求められ、短い時間軸の中で評価されるような、現在の学校システムにあっては、彼らや彼女達の行動は落ちこぼれ者の烙印を押されてしまうかもしれない。一見すると目標から遠ざかり、退却する行動だからだ。しかし、目標に背を向ける行動が取れるのは、高度の思考が働かないとできない。この回り道は簡単そうであるが、目標から自分が遠ざかる行動をとることは、心理的に認知の再構成(洞察)を必要とする高度の思考レベルがないとできない。経済的効率優先で、すぐに望ましい結果が求められ、回り道をしたり、挫折、停滞したりすることが、肯定的になかなか認められない時代にあって、もう一度、回り道や、挫折、停滞が必ずしも失敗や、敗北を意味するものでないと、私たちは認知的に再構成する必要があるのかもしれない。
 昨今、スローフード、スローライフという言葉をよく耳にする。ファーストフードに代わって、時には伝統の方法で、加工調理し、家族や親しい人達と食卓を囲み、なごやかな会話でゆったりとした時間を過ごしましょうという考え方を生活全般に広げて、より速く、より多くといった量的なライフスタイルから、質的に良いライフスタイルを心がけましょうという提案らしい。まさに、21世紀における人間の生き方、暮らし方に見直しを迫るといえる。時には何もしない事をする。もう少し、スローライフが容認され、許容される社会であれば、学校不適応や心身症で悩む人達は、今より少なくとも減るのではないだろうか。私にとって子供は、常に学ばせてもらえるよい教科書かも知れない。医師としての原動力は、自分の子供達かも知れない。

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専門クリニック開業の希望と挫折
中村医院 中村 宏志

 皆さんお元気ですか。新潟県の吉田町で開業しております中村です。吉田は、上越新幹線の燕三条駅の近くで、弥彦山の東側にある人口2万人の町です。といっても、この会報が発行される頃には、燕市になっているはずです。これといった名所もない町ですので、テレビで取り上げられることもなく、私が小学校の時にNHK「のど自慢」の収録があった程度でした(この時は、なんと合格者が0名という惨状でした)。ですから、県外の方は吉田といってもご存知ないはずです。ところが、この文を書いている1月5日に、テレビ朝日系で放送された正月サスペンス特番「黒いバッグの女」(出演 橋爪功、名取裕子、佐野史郎、ほか)の舞台になり、全国から注目されるようになりました(ウソです)。
 私は、卒業後すぐに新潟に戻りましたので、母校の皆さんには御無沙汰しております。一度、東京の学会に出席した際に、伊勢原まで行ってみたことがあります。何人か知っている方にお会いして懐かしい思いをしましたが、整形外科の今井教授(当時)から「君は今度何年生になったんだっけ?」と言われたのには困ってしまいました。
 さて、卒業後内分泌代謝内科を専攻していたこともあり、糖尿病などの生活習慣病を主にやっていきたいと思ってはいましたが、開業するかどうかは決めていませんでした。そんな中で、平成3年から1年間埼玉の済生会川口総合病院へ出張することになりました。通院している糖尿病患者が約1,200名、甲状腺疾患の患者が約500名で、これを1人で管理するという状態で、夕方外来が終って食堂へ行くと「本日は終了しました」という表示が出ていて、飯も食えないというありさまでした。しかし、おかげで糖尿病の管理は、人並みにはできるようになったと思っています。(ご存じの方も多いと思いますが、川口市はかつてはキューポラのある町、最近は焼肉屋とパチンコ屋とサウナの多い町です。後に第6内科の原沢先生がこの病院の院長になられるとは想像もしていませんでした。)
 平成6年8月に父が体調不良を訴え、急遽父の診療所で代理医を務めることになりましたが、11月になって父が亡くなりました。この頃、医者を続けていくなら、誰かに使われるより自分で全部できる方が私にあっていると思っており、すんなり開業する道を選びました。どうせなら糖尿病をメインにした専門クリニックで行こうと考えましたが、そんなに甘くはありませんでした。糖尿病の患者さんの多くは病院志向ですので、病院に通院され、私のところに来られるのは、整形外科で良くならない腰痛とか、皮膚科で良くならない皮膚病とか、ほかの内科で良くならない神経症・うつ病とか、そんな患者さんばかりです。たまに、「先生は糖尿病が専門だと聞いてきましたが」という患者さんが来られても、「この腰が痛いのは糖尿病から来るものではないですかね?」とがっくり来るような話ばかりでした。その後も、「糖尿病が専門だというので、食事療法をしないで糖尿病を治してほしい」とか「1ヶ月で糖尿病を完治させてほしい」などというのはまだかわいい方で、いきなり受付で「糖尿病の薬を下さい」なんて言う人も結構おられます。田舎ですと、迷信・俗説のたぐいも多く、さらにいかがわしいテレビ番組の影響もあり、毎日こうしたものとの闘いに明け暮れています。最近では、無理せずに『糖尿病も診療できる内科診療所(ただ、採血も注射もほとんど私一人でやっていますので、救急患者さんはできるだけ遠慮してね)』というスタンスでやっています。
 開業以来私のわがままを通してもらっているのが、木曜の午後は研究日と称して、新潟大学で検討会に出席したり、研究論文を書いたり、リフレッシュする日にしています。最近では、糖尿病だけでなく、脂質代謝・アレルギー・東洋医学などの研究もしており、自慢ではありませんが、卒業以来雑誌に掲載された論文は100を超えました。さらにこのごろは、エッセイともつかぬ駄文を書いて、地元医師会誌などに勝手に送りつけています。私が原稿を送った雑誌が廃刊になることが多く、医療界のいしかわじゅんと呼ばれています。星医会会報は大丈夫でしょうね。
 そんな状況で、結構楽しくやっています。ではまた、皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。


開業して気づいたこと
伴医院 伴 和信

 2004年4月、私は父の亡き後、伴医院を継承しました。この大学病院勤務から開業医への転進は私に経営という医療とは違う意味での戸惑いと、それ以上に現代の医療の抱えている問題点を浮き彫りにさせるものでした。
 医療費抑制の大合唱の中で医療の本質が語られることなく、その場しのぎの医療費抑制政策が行われようとしています。しかし本質を見失い、収益性のみを論じていることは問題の先送りをしていることに過ぎず、将来さらに大きな問題として我々国民に降りかかってくるに違いないと思います。医療費増大の本質はどこにあるのか。恥ずかしい話ですが、私は開業して初めてその問題に気づいたのです。以前から生活習慣病の治療を適切に行うことが脳梗塞や心筋梗塞などの重大な病気の発症を予防し、医療費増大も抑えられると信じてきました。しかし開業してからこの認識がいかに甘いか気づかされました。会社や企業に勤務されている方は法定で健康診断が義務付けられており、それをもとに自分の健康状態や、潜在的な病気を知ることができ、早めに医療機関を受診することができます。しかし私の診療所の医療圏に最も多い、農家などの自営業を営んでいる方は健康診断を受診することもなく、自分の健康状態すら知らずに過ごしている若い世代の方が大半です。つまり自分が生活習慣病もしくハイリスクであるかどうか認識すらしていないのです。これではいくらがんばっても生活習慣病に対する指導や治療すらできません。厚生労働省は平成17年度の厚生労働省白書の中で外来診療の方策として、保険者間および地域の連携した健康づくりの普及啓発、効率的な検診、ハイリスクグループの個別指導からなる総合的な生活習慣病対策の必要性を認めています。しかしどうやって生活習慣病などの潜在的な病気を持っている若い世代に健康診断を受けさせ、医療機関を受診させるのか。いかにこの世代の受診率を上げるのか。これを解決する近道はなく、生活習慣病など潜在的な病気の恐ろしさと、自分の健康状態を知ることがどれほど有用かということを知ってもらうこと。地域と密接に連携を持ち、地道に啓蒙活動していくほか道はなさそうです。
 伴医院の診察室は祖父が明治44年に開設して以来変わりなく、診察風景も当時のままです。庭に囲まれた診察室から小鳥のさえずりを聞くにつけて、ここは世間の喧騒にまぎれることのない全く違う空間のようです。このような環境で医療ができる幸せを感謝するとともに、今後も地域とともに歩んで来た道のりを忘れずがんばるつもりです。
 最後にこの機会を与えてくださった星医会の関係各位に感謝しますとともに、ますます星医会が発展しますよう微力ながら協力するつもりです。よろしくお願いします。

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久しぶりの東海大 −昨年10月開業しました−
松田内科クリニック 松田 百玉

 卒業以来二十数年たちましたが、後半の十年ほどは大学とあまり関係を持たずにきておりました。5年ほど前より縁あって七沢リハビリ脳血管センターにて診療に従事しておりましたが、車で10分ほどにもかかわらず、大学とは希薄な関係でした。1年前より大学の健診センターの面談を週1回やらせていただいておりますが、昨年10月に厚木飯山で開業した関係もあり、同窓生たちと話す機会をもててそのありがたみを感じております。思い起こせば大学時代には良医をめざすように諸先輩にご指導いただき、また研修医時代には先輩がたよりstandardな医療をこころがけるようにと、ことあるごとにご指導いただきました。そのことを信条に医療をしてきたと思っております。開業後もその思いはいささかも変化ありません。そして自分の恥より患者のためということも常に考えていることです。
 先日厚木星医会の会合に出させていただき同窓生の堅実な姿勢に頼もしさすら感じています。東海大卒業の開業医の先生はかなり多く、一大勢力なので驚いています。厚木にはなくてはならない集団だと感じました。
 開業は何でも自分でできるのが魅力などといいますが、自分が考えていた以上に何ができるのかが分からない状態です。勉強不足ということですが、事前に勉強したことでは間に合いません。2006年はもっと勉強して経営に生かすつもりでおります。
 経営といえば開業は個人商店の店長ということですが、もしかして、りっぱな資本家ということでしょうか。医療はサービス業といわれますがどうも割り切れないと思われる方も多いと思われます。経営コンサルタントの言いなりでも困るし、どんぶり勘定では経営が成り立ちません。サービス業だからと、こびへつらうのもおかしい。ちょうど中庸にということが求められるのでしょうか。とても漠然としているようで困ります。取り敢えず無駄と投資を明確にして、短期的な回収に注意するようにしています。
 ところで東海大も新病院ができて、大学の発展している様子を目の当たりにし心強く思っております。これからも大学との関係を保ちつつ、診療、健診等にがんばるつもりでおります。
厚木市(松田内科クリニック)での地域医療に貢献し東海大の名を汚さぬよう頑張るつもりでおります。よろしくお願いいたします。


開業医としての自覚
湘南台宮治クリニック 宮治 正雄

 星医会の皆様には、益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。東海大卒業後、はや20数年が経過し、まさしく<光陰、矢の如し>といった感慨です。完璧な中年おじさんとなった今日この頃です。
 小生は、東海大学病院で研修し、第2外科(一般消化器外科)で研鑽を積み、救命救急センターや池上総合病院勤務後、平成14年9月に、故郷の藤沢で開業医生活を始めました。
 激動の時期、開業をして自分が考えている医療が出来るかどうか、当初いろいろと心配しましたが、諸先輩や同僚の先生からのご助言もあり、初心貫徹し、何とか近海から遠洋に船が進みつつあるといった状況です。
 さて、開業して勤務医時代と比較して思うことですが、特に大学勤務時代には、専門領域の疾患を扱い、手術のスキルを磨き、最先端の医療を患者に提供することやそれらを学問的に追求することが使命でした。開業してからは、それこそよろずやで(自分の医師像の原点)、赤ちゃんからお年寄りまでの幅広い層に対して、お風邪から各領域の専門疾患や悪性疾患までをいかにtimelyに診断、治療したり、専門施設へ紹介ができるかの戦いの日々の様な気がします。また、こころの病がいかに多いかも実感させられ、まだまだ、自分の力不足を感じ、勉強していかねばならないことがいかに多いかを反省させられる毎日です。
 患者の訴えに耳を良く傾け、優しく接すること、前向きに逃げの姿勢を示さないこと、患者から学ぶ姿勢を大切にすること、専門性を生かしながら質の高い医療を提供すること、自分が患者だったらどうしてもらいたいか、肉親が患者だったらどういった医療を受けたいのかを常に考えて診療に望みたいと思っています。
 また、これまで培った外科医としての血が騒ぐことも時々あります。患者の立場に立って、日帰り手術でも可能な治療法を選択して無理のない範囲でやっていこうと考えております。
 今後も、世の中は流動化し、医療を取り巻く環境も益々厳しくなってくることが予想されます。しかし、患者に暖かみのある良質なサービスを提供するためには、自分自身が心身共に健全でなければなりません。日々の診療はもちろん、社会情勢、経済状況、医療・介護問題の変化、経営・雇用問題などなど、勉強することはたくさんあります。せめて、毎日、新聞に目を通せるぐらいの時間的、精神的ゆとりを持って、患者に接していきたいと思っております。
 大学も新病院での診療が始まり、勤務の先生たちも活気にあふれていらっしゃると思います。同窓会の皆様の益々のご健康とご発展を強く期待し、小生も一開業医として、地域医療のなかで頑張っていきたいと存じます。今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。

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周り(独立から10年
小児科 ひよこクリニック 松田 倫夫

 昨年秋に旭川から同期で小児科の金先生がやって来ました。旭川で開業しており10年振り位か?神奈川にいる小児科開業医軍団と箱根園にてゴルフをし、台風のように帰って行きました。その際に、同期の崔先生(東京にて開業)も来られ一緒にラウンドをしました。気だけは各々当時のままで変りないと思っていても風体だけは・・・
 自分は大磯の地で独立して10年。ビル診から土地購入、移転と順風満帆のようでありましたが借金だけが莫大に増え、余命は確実に目減りしています。県内には伊勢原に本院、大磯に大磯病院と独立後もバックボーンに不安は見当たりません。また、近隣市町村には小児科医局関連の開業医である諸先輩が沢山、伊勢原には大跡先生(私の初代オーベン)、町田には医局の要だった篠原先生、横浜には一期生の岩崎先生(厳しいオーベンだった)が、4期生の太田先生(元同期)が、二期生は、つきみ野の村田先生(秦野赤十字、大磯病院の上司)、寒川町に林先生(学生時代にはバスケットボール部の良き先輩であり今も良く食事にお酒に会合を持っています)、厚木市に星先生(大磯病院の上司)、久保田先生(大磯病院の上司)、平塚市には三期生の石丸先生(医局の名キャッチャー?)、下島先生(平塚夜間休日診療所ではお世話になっています)、卒業生ではないもハードガイの?磯崎先生、小田急東海大学前には学生時代に講義をして頂いた岩垣先生(今ではゴルフのライバル?)、秦野には古閑先生(車好き)そして自身の中群医師会には入学時同期の浅野先生、それに二期生の竹末先生がおり環境整備は抜群です。後輩になる山崎先生、服部先生も県内で開業。独立すると医療情報に疎くなりがちですが東海大学小児科OBを中心に西湘小児科研修会なる勉強会が立ち上がっており専門医の単位取得にも大変重宝しています。良き相談相手が近場にいることで大変に幸せを感じています。独立後、先輩であった竹末先生との交流も増え、医局時代はちょい怖の先輩でありましたが同僚としての暖かい助言を頂き感謝しております。四十の手習いでスノーボードを一緒に始め、ゴルフ、車の話、酒等々
楽しいアフターシックスを送らせ貰っています。もちろん浅野先生とも医師会でお互いに忙しく業務をこなして頑張っています。
 まだまだ独立10年程度ですが50歳を前に周りとの絆を再確認し、持つべきものは同窓生と健康! そしてもてる力(資格)を有効利用する事に使命を馳せて政府の厳しい医療改革の中を駆け抜けて行(生)きたいとしばし沈思黙考・・・。(星医会の方からお好きな事をとお手紙を頂き独立10年目の自分の周りにいらっしゃる小児科開業先生たちをグルッと見てみました。)


みんな元気ですか
豊岡小児クリニック 金 竜一

〜昨年の11月、この会報誌への原稿依頼を受けた。最初その郵便物を手にしたときは会費の督促状かと思ったぐらいで、伊勢原を遠く離れて、いつの間にか長い時間が経過している。そういえば一昨年に5期生の卒後20周年記念の会合があったが、再会した当時の美男美女達も皆それなりに丸く薄く白くなっていた事で、自分だけではなかったと妙に安堵し、時の流れはほぼ平等なんだと感じたのであった。ところで「開業医のページ」ということで、15年版の会員名簿を見てみると、我々5期生の約4割が何等かの形で開業している。今ではもっと多いであろう。みんな元気で活躍中と思うが、私はといえば平成6年に東海大学の小児科学教室を退職し、実家のある旭川市で小児科クリニックを開設した。最初の頃は落下傘部隊と言われ(?その土地で勤務医を経ないで突然開業する者)、職員の確保に苦労したり、(余裕がなくて?)最初の冬は業者に頼まず、家内と二人で深夜に駐車場の除雪をしたりと、多少苦労したようなエピソードもあったが、競合医療機関の多いこの土地で、特段報告するような自慢もないが、誤診等で訴えられることもなく、淡々かつ細々と診療を続けて何とか10年以上になった。今だに患者の数がどうだとか、まとまった休みが取れないとかいう悩みがあるといえばあるし、年功序列的に任されたり頼まれたりすることも多くなってきたが、基本的には自分のペースでのんびりした?日々を送っている。さていい機会なので、旭川及び周辺に在住の同窓生の近況も報告しよう。吉田 貴彦先生(4期)は、ご存知のように旭川医大の健康科学講座教授として、研究・教育に多忙な日々を送っておられる。同教室には中木 良彦先生(20期)が師事している。また同医大の小児科には、吉田 真先生(9期)が講師として在籍中である。進藤 正明先生(7期)は、大病院の理事長の要職の傍ら、様々な方面で活躍しており、個人的にも膝の治療でお世話になっている。大谷地 裕明先生(7期)は旭川厚生病院の眼科医長から、現在は山田眼科の副院長となり、診察/手術と連日多忙である。比較的?若手の先生には、隣の美瑛町町立病院に勤務の味戸 伸彦先生(10期),昨年旭川赤十字病院から実家に戻り開業された林 義人先生(14期)がいる。こうしたメンバーで年に何回かは新年会や、また東海大学に縁の先生が講演等で旭川に来られた際には随時集まっている。最近では佐々木初代医学部長,松崎先生,松前先生,坂部先生らが来られ、医学部時代の昔話や現状についての話で盛り上がった。まとまりのない近況報告となったが、大学時代の小児科学教室の諸先生をはじめ、当時いろいろ御世話になった方々には大変ご無沙汰致しており、この場を借りて不義理をお詫びしたい。最後に、今後も医療を含め時代の変動が予想されるなか、星医会の皆さまには“これからも元気で頑張ろう”のエールを送らせていただき、そして医学部をはじめとして東海大学のますますの隆盛を望んでやまない。


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