星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第35号)
 〜平成18年9月1日発行〜


助教授 今年は7名誕生

 今年も下記7名の先生方が助教授に昇格されました。
   宮坂 宗男 先生(形成外科:1期生)、村上 優 先生(産婦人科:2期生)
   椎名 豊 先生(循環器内科:3期生)、北村 真 先生(腎代謝内科:4期生)
   東 永廉 先生(整形外科:6期生)、小川 吉明 先生(血液・腫瘍内科:10期生)
   川田 浩志 先生(血液・腫瘍内科:10期生) 
 なお、今号では東先生、小川先生、川田先生のお声をご紹介させていただきます。



助教授に就任して
外科学系整形外科 助教授 東 永廉(6期生)

 今年の4月に助教授の任を拝命いたしました。私は6期生で1985年(昭和60年)の卒業生です。早いもので、医者になって22年が過ぎようとしています。22年前、われわれ同期は整形外科に11人入局しました。(今で言う領域は医局と言われていました)当時の整形外科への新入局員の数は多く、使い捨てのディスポ、犬も歩けば整形の研修医に当たると、皆様にとても可愛がって頂いたことがつい昨日のようです。そんなわれわれは、自らを「さわやかイレブン」と褒め称え、お互いに頑張っておりました。その当時の同期の先生方も、皆それぞれの道を歩まれ大学の領域には現在、武内先生と峯崎先生と私の三人のみとなってしまいました。
 整形外科以外の先生方で大学時代から苦学を供にした仲間は、東海大学付属相模高校からの付き合いの小児外科学の平川先生、東京病院副院長の西崎先生、消化器外科学の向井先生、放射線診断学の柳町先生、検診センター長の谷垣先生、小児科学の王先生、大磯病院の神経内科学の亀津先生など、その数は多くはありません。しかし、その先生方の名を挙げると皆一様に返ってくる言葉は「濃いですね―」・・・です。
 私は以前にもこの星医会会報に書きましたが、今井 望先生(初代整形外科教授)ならびに福田宏明先生(二代整形外科教授)のもとで整形外科の基本を学びました。その後、脊椎外科に興味を持ち卒後6年目に大学院に入学し、持田讓治先生(現整形外科教授)のもとで脊椎脊髄の研究を行いました。大学院修了後は、国立療養所箱根病院にて、有馬 亨先生(元整形外科助教授)のもとで脊髄損傷患者の理学療法を含めた治療法について学びました。
 今年、平成18年4月をもちまして助教授にさせていただきましたことは、歴代の教授ならびに諸先輩方、後輩の先生方、先に挙げた仲間たち、整形外科の領域を取り巻く皆様らのご支援の賜物であったことは言うまでもありません。また、推薦していただいた持田教授のお陰と心から感謝しております。
 最後に、整形外科とは運動器であります。整形はminorな科とされており、運動器は末梢の組織ではあります。しかし、自分の意思で動き、相手にものを伝える唯一無二の器官と考えています。末梢でありながらも、自分自身を表現でき、その重要性は他の比ではないと考えています。今後、東海大学の更なる発展とともに、どれだけの事ができるか分かりませんが、整形外科医としての誇りを持って、私自身も自分の役割を果たしていきたい所存であります。
 これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。


助教授に昇格して
内科学系血液腫瘍内科 助教授 小川 吉明(10期生)

 この度、内科学系血液・腫瘍内科助教授に昇進させて頂きました。堀田前学部長をはじめ、多くの先生方にお世話になって今があると感謝しております。この場をおかりして心からお礼申し上げます。
 今、自分自身が卒業生として思うことを正直に書いてみたいと思います。大学を卒業して早いもので17年が経過しました。学生時代は優秀な学生でもなく、特に現在専門にしている血液学は追試を受けた程で、将来血液の専門家になるなど夢にも思っていませんでした。入局(フィックス)の決め手になったのは、研修医時代に骨髄移植(当時は内科で年1〜2例)を経験して成功したことでしょうか。ダイナミックな治療に驚きと感動を覚えました。さらに骨髄移植成功祝いに銀座へ食事に連れていって頂き、しゃぶしゃぶがとても美味しかったことも・・・・。それと血液内科にロールモデルとなるすばらしい先生がいたことも理由の1つであったと考えます。フィックスに関しては正直なところ消化器内科とどちらにするべきか真剣に迷いました。当時、消化器内科の指導医であった鳴海先生に「本当に自分がやりたいことを見つけなさい。雰囲気で決めると後悔するよ。」と言われたことが、とても印象的でした。今でも心に強く残っており鳴海先生には感謝しております。
 現在、学生教育や臨床研修部の仕事にも携わっています。特に、新医師臨床研修制度が2年前から導入されてマッチングなどのシステムの面で大きな変化がありました。大学での研修から研修指定病院での研修を希望する学生さんが増えつつあり、東海大学でも大学離れが進んでいる今、より魅力ある研修プログラムが必要であると強く感じております。東海大学の特徴は、他大学と違い症例数が非常に多いことであると思います。これは臨床医にとって最も大切なことであると思います。特に、東海大学医学部の基本理念である「名医より良医たれ」とても好きな言葉ですが、まさしく今、日本の卒前・卒後の医学教育の目指すべき目標であると思います。良医とは何か時々自分人身に問うことがあります。なかなかうまく説明はできません。皆さんはいかがでしょうか? 常に患者さんの立場を考える医師、自分の限界を知っていて的確にコンサルテーションできる医師など様々な意見があると思います。一度、星医会でこのテーマについて語り合ってみてはいかがでしょうか?
 医師になって、自信をもてたのはある患者さんとの出会いでした。当時、大学院の1年目であったと思います。自分以外に上級医が2人おりました。20歳代の白血病の患者さんでした。難治例で、骨髄移植も施行され、長期入退院を何度も繰り返しており医師や看護士に対する要求も高く非常に気むずかしい青年でした。回診のときは常に患者さんの視線や耳は上級医師に向けられていました。治療方針に関しては上級医と相談し、患者さんところへ説明しに行くのは私の役目でした。なかなか納得してもらえず処置、内服、点滴すべてに関して上級医に登場して頂き、ものの1分で患者さんを納得させてしまうのです。悔しさ以上に、どうしたら信頼してもらえるのだろうか日々悩みました。私自身は、日に3回以上は患者さんのところへ足を運び、休日返上、臨床経過やデーターは頭の中にすべてインプットし回診の時も、患者さんの状態は自分が一番良く知っているところをアピールしました。こんな思考錯誤の日々が続き少しずつ患者さんも評価してくれるようになりました。その後、何度か状態が悪くなり何日も泊まり込んだり、不安を訴えた時は時間の許す限り患者さんのそばにいて色々なことを話しました。そのころには、患者さんも信頼してくれるようになりましたが、それとはうらはらに状態は徐々に悪化し20歳代の若さで永眠されました。患者さん自身は、自分の死期をうすうす感じていたようで亡くなる2日前に私にこう言いました。「先生、色々と有り難う。僕には担当している先生が3人いるけど、僕の主治医は先生だからね。僕のこと一番理解してくれているから。」この時、医者になって本当に良かったと心から感じました。今でもこの一言が言ってもらいたいと思う自分がいるのですが、この経験を是非若い先生にも体験して欲しいのです。回診時、患者さんの視線は一番自分をよく診てくれているあなたに必ず向いているはずです。これからも、良医を育てることに全力を注ぎ、若い先生方が働きやすくやり甲斐のある環境を提供していくことが自分の使命であると考えています。常に、患者さんと向き合ってみて下さい。なぜなら、東海大学は良医を育てる場であると強く感じるからです。


悲観主義は気分であるが、楽観主義は意志である
内科学系血液腫瘍内科 助教授 川田 浩志(10期生)

 このたび星医会から、かたじけなくも助教授になったということで皆様にご挨拶する場を与えて頂きましたので、日頃なかなかお会いできない方々にも感謝の意を表す大変良い機会と考えて筆をとりました。
 私は10期生として昭和58年に東海大学医学部へ入学し、平成元年に卒業しました。どの科へ進むべきかなかなか決まらなかったのですが、私と同世代以上の諸先生方はご存知の外科医である私の父(川田志明)の「自分がもう一度生まれ変わったら内科医になってみたい」という切ない希望を遺伝子的?に満たすためにも内科へ進もうということになり、2年間の前期研修医を修了してから、当時有森 茂教授が主宰されていた第4内科に大学院生として入局致しました(「入局」という言葉は東海大学では死語になりましたね)。しかし、「さあ、がんばるぞ!」と思っていましたら、入局してから半月もしないうちに、あの忘れられないKCL騒動が起こりまして、私を取り巻く環境が一変してしまいました。その後は、なかなか大変でしたが、血液内科医の私の研究の面倒をリウマチ内科医の市川幸延先生が見て下さったりして、なんとか4年間で無事大学院を修了して学位も取ることができました。そして助手になって2年目に、50歳を越えたばかりの堀田知光先生が新進気鋭の教授として赴任され、さらに造血幹細胞研究ならびに再生医学の本格的な手ほどきを当時講師であられた安藤 潔先生から受ける機会にも恵まれて、これをもとにアメリカへ留学させて頂きました。そして帰国後は講師となり、今回、助教授に昇格させて頂く事になりました。
 いろいろと人並みの困難は一応経験したのではないかと思いますが、それらを克服できたのは、私が最大の武器として人との出会いに大変な強運を持っているためだと思います。私の好きな言葉は、フランス人哲学者アランの「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」という言葉です。単なる気分でその日を送ることは誰にでもできますが、いつも明るく前向きに進んでいくことで、ご褒美としてのすばらしい出会いや展開があるのだと信じています。今は正直な気持ちで、多くの方々との出会いによってここまで来れたのだ、と思っております。この場をお借りして皆様に感謝の意を表させて頂きます。
 最後に、皆様に是非アナウンスさせて頂きたいことがございます。2006年6月20日に東海大学東京病院に抗加齢ドックがオープン致しましたが、総合大学発の抗加齢ドックということで現在内外で大きな注目を集めております。やはり6月に新設された東海大学ライフケアセンター(生活習慣病の予防と健康長寿実現のための総合研究ネットワーク)が全面的にサポートするもので、私はライフケアセンターのセンター長補佐を務めるとともに、ドックにも抗加齢医学専門医として参加しております。なぜ、血液内科医が抗加齢医学もやるのか?という疑問もあるかと存じますが、その理由について語りはじめますと大変長くなりますので、またお酒をご一緒させて頂いたときにでもお話しさせて頂きたいと存じます。今後、日本は未曾有の高齢化社会を迎えますので、予防医学が益々重要になることは周知の事実です。抗加齢ドックは、病気の早期発見に重きが置かれていた従来の健診よりも一歩進んで、病気の兆候をより早期に捉えて人々を病気からなるべく遠ざけて健康長寿を目指そうとする究極の予防医学実践の場です。星医会会員の皆様も是非一度受診されて、ご自身の老化度を把握されるとともに改善策を講じて将来に役立てて頂けましたらと存じます。
 以上、欲張っていろいろと書かせて頂きましたが、皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。




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