星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第35号)
 〜平成18年9月1日発行〜


◆訃報◆
横山清七 前小児外科学教授の訃報によせて
〜夢の途中で〜
平川 均(6期生)

 “死亡時刻は3時7分です。”・・・宣告したのはこの私で、師の最期を看取らせて頂いた。享年67歳。黄金週間前に体調を崩されて入院し、6月5日月曜の未明に家族に見守られる中、永遠に帰らぬ人となった。危篤状態になっても衰えを見せない山登りで鍛えあげられた心肺もとうとう力尽きてしまった。もっと生きていて欲しかった。多くの時間を一緒に過ごした横山先生は、自分の良きも悪きも知り尽くした最も良き理解者で、私のどこも否定することなく尊重し、育ててくれた。入院後、一般外科の先生方が敬遠する中、中心静脈カテーテルを挿入するのは大体私で、一度うまく入らなかった時、衰弱した横山先生から“平川が入らねんじゃあ、仕方ねえな“と、ご自分に余裕がないこの場に及んでも慰められてしまい、えらく恐縮した。
 東海大学を卒業して、選んだ先は小児外科、その科目の魅力もさることながら、横山先生の純真無垢な人柄に惹かれて入局したと言っても過言ではない。振り返れば、横山先生がおととし退官されるまでの19年間、共に最後まで働かせてもらった唯一の卒業生となった。国家試験合格の挨拶に行き、自己紹介をしたところ、“おおっ、(君のことは既に)知ってるよ。一緒に(小児外科)やろうぜ!”と朴訥な笑顔で応えてくれた日が昨日のことのように思える。言葉数は多くはなかったが、浅黒い肌の色をした大きな体とは裏腹に、内面から染み出る優しさと誠実さで、安心感を与えてくれた。小児に携わる医師として子供をこよなく愛していた。普段は殆ど怒ることもなかったが、子供に対して害が及ぶとなると、とたんに機嫌が悪くなった。前心臓血管外科教授であった小出先生によく、“清ちゃんだけは怒らすな”、と言われていた。同じ群馬出身で小学校から大学まで先輩後輩の関係だったとのことだが、ある日、小出先生の仲間が先輩である横山先生の仲間を苛めたところ、それを聞きつけた横山先生は仲間の仇と小出先生たちを追っかけ回し、恐れおののいた小出先生たちは自転車を棄てて山に逃げ込んだが、横山先生も一山越えても追っかけてきてそれは恐かったとのことである。実際にあった臨床での話し、下血を繰り返す幼児の下行結腸にポリープ様の血管腫が見つかった。広基性であったため開腹して取ろうと、腸を切開したが腫瘍が見当たらない…“なんだ、平川、ねーじゃねーか! なんで、ねーんだ! 本当にあるのか!”など言われているうちに、先輩でも開腹したら卵巣嚢腫が破裂していて既になかった時、横山先生に吹っ飛ばされたという逸話も思い出し、私もついに殴られると覚悟したのを覚えている。(因みにこの時は、腸管内を探ったところ、幸運にも摂子に摘ままれた血管腫が我々の前に姿を現し、事なきを得た。)
 ビールと学生とスキーもこよなく好み、年末は横山先生の号令の下、小児外科を回った医学生や研修医を集めての飲み会を、そして冬にはスキーツアーを、バスを借りて毎年行ったものである。今では考えにくいが、参加者は、医師・看護師・技師・薬剤師・事務職などから集まったが、職場の垣根を越えて混成されたのも、横山先生の魅力ある人間性に吸い寄せられてのことであった。横山先生の子供を愛する心と人から愛される心を併せ持つ素質は、退官前の花道となった第19回日本小児がん学会会長の座も引き寄せた(写真は平成16年11月の学会時に撮影)。
 横山先生が何かをされる時、ご自分でしゃかりきになって動かなくても、回りに横山先生をサポートする人間が自然に現れ、成し遂げられてしまうという傾向があった。人徳というより、天性の才能というべきかもしれない。圧巻だったのは葬儀の時であった。横山先生が歩まれてきた人生で出会った人た
ち全てが来てくれたのではないかと思うくらい沢山の人が参列された(延べ約800人)。特に関係の深かった外科・小児科の先生方の顔ぶれたるや、現役からは研修医から教授までが、東海大学を辞めて退官、開業された方などと新旧入り混じって(過去と現在が交錯する不思議な光景だった。)、示し合わせたように来場されていた。各々の諸事情がある中、横山先生の死を悼むという共通の思いを理由に、これだけ大勢の人を集めた横山先生のお人柄に改めて敬服し、感動を覚え、その死を惜しんだ。一方、余談になるが、自分が死んでも、これほど先生方は来てくれないだろうと羨ましくも思った。
 最後にひとつ、どうしても書き留めなければならないことがある。横山先生は、死が間近に迫り、意識が朦朧としていく中、“もっと人の役に立ちたい、働きたい”と、何度もつぶやいていた。実は、横山先生には死の直前まで思い描いていた“夢“があったのだ。2年前に退官された頃、横山先生は、”そらぷちキッズキャンプを創る会“の会長に就任された。そらぷちキッズキャンプとは、小児癌など難病と戦う治療中の子供たちが、自然の中で自由に遊べる医療施設の整ったキャンプのことで、北海道滝川市から既に広大な土地を譲渡され、プレキャンプも行っていて、これから施設建設という段階に入っていた(ただ、多くの会員入会や多大な寄付が必要となる。詳細はHP、solar-petite.jpで)。
 横山先生が大腸癌との闘病生活中に残した手記の中で、“夢があることは幸せである。夢の実現を成功・成就と称し、これは嬉しいことである。しかし、成功した時と、夢を追って”夢中“になっている時とどちらが幸せだろうか・・・。”とある。疑問を投げかけているが、その答えは書かれていない。
最後まで夢中になれるものがあった横山先生は、幸せな生涯だったのかもしれない。しかし、志し半ばで病に倒れた無念な思いが病床でのつぶやきとなったに違いない。
 横山清七という素晴らしい師に巡り逢え、人としてどう生きるか学ばせて頂いたことは、私の人生において大きな財産となった。恩返しとして、横山先生の遺言ともいえる果たせなかった夢を、私自身も引き続き実現に向けて力を注ぐことを誓い、また、横山先生の思いの詰まったそらぷちキッズキャンプに一人でも多くの人が共感してくれることを願って、稿を終えたいと思う。




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