星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第36号)
 〜平成19年3月1日発行〜


卒業生が活躍する病院11

池上総合病院
病院長 町村 貴郎(1期生)

 池上総合病院は、東京都区部で第3位(70万人)の人口密集地である大田区のほぼ中央に位置し、東急電鉄池上線の池上駅前に建つ21診療科、一般病床384床を有する総合病院です。
 当院は、平成5年10月に医療法人社団松和会の経営する病院となって以来、東海大学の重要関連病院として、最近では付属病院に準ずる病院として大学より多くの先生方の派遣をいただき発展してきた病院であります。当初は、築35年以上の老朽化した病院でしたが、平成10年より新病院建設工事が開始され、平成15年3月には地下2階、地上8階のA館とB館よりなる新病院が完成し、現在は、写真で見るように池上駅前の新しいランドマークとなっております。
 平成12年より佐藤 修院長(前東海大学脳神経外科教授、前付属病院長)より町村(1期)が院長を引き継ぎ、副院長には、高安博之(4期)、田中元章(5期)の両名がつき、外科系診療部長北野泰弘(8期)、内科系診療部長 臼井和胤(9期)、神経内科部長 篠原伸顕(9期)、呼吸器外科部長 西海 昇(9期)らをはじめとして、東海大学より総勢40名の中堅および若手の医師が常勤として出向され精力的に診療に励んでいます。さらに東海大学の協力型臨床研修病院として内科と外科の初期研修医が配属されております。
 また同じ都区内にあることから、東海大学付属東京病院とも密接な連携のもと診療が行われており、東京病院と共に、東京23区内における東海大学医学部を代表する病院の一つとなっております。
 このように、当院は、文字通り東海大学の出身者が中心となって運営する東海大学のための病院であり、地域の住民の方々、医療機関の方々にもその認識が広く広まっております。
 診療内容は、大学病院と同じレベルの診療を迅速に行う、地域に密着した急性期病院という理念のもと、現在、診療センターとしてハートセンター(循環器科、心臓血管外科)、消化器センター(消化器科、一般外科)、脳卒中神経センター(神経内科、脳神経外科)、腎臓医療センター(透析)があり、内分泌・糖尿病内科、呼吸器内科、呼吸器外科、整形外科、リウマチ科、リハビリテーション科、眼科、泌尿器科、婦人科、小児科、皮膚科、歯科・口腔外科、耳鼻咽喉科、麻酔科の21診療科をもち、さらに健診センターを運営しております。
 また、当院は、救急医療を通して地域に貢献していこうと考えております。都内には100を超す救急隊がありますが、出動回数の多い上位10隊中、この地区から実に4隊が入っています。この地域が、人口密集地域であり、高齢化が急速に進んでいるためであると思いますが、当院は年間3,600台の救急車を受け入れており、さらに救急外来受診者数は年間18,000人に及んでおります。診療施設・設備も64列MDCT、MRI(1.5T)、SPECT、が完備しており、14床を有するCCU・ICUが稼動し、24時間を通じ重症者に対する高度の診療が可能です。
 現在、常勤医師数50名、看護師数250名その他非常勤も含め職員数は630名であり、職員全員が一致団結して地域医療の担い手となるべく努力を続けております。このような努力により、当院は、東邦大学大森病院、東京都保健医療公社・荏原病院、東京労災病院に次ぐ大田区の4大病院の1つに数えられるまでに成長しました。
 星医会の会員数もすでに2,600名を超え、多くの卒業生が臨床医として、あるいは研究者として全国の津々浦々で活躍されていることと思います。池上総合病院は、東海大学の卒業生を中心に、腕を磨いてゆきたい若手の先生や、培ってきた技量を十分に発揮したいと考えている中堅からベテランの先生方、結婚・育児、その他の理由等で勤務に制限のある女性の先生方の受け皿として積極的に受け入れる体制を整えております。いつでもご相談ください。
 星医会の皆様には、今後とも当院への暖かいご支援とご協力をお願いいたしますと共に、皆様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。


卒業生が活躍する病院12

「関連病院?」
東海大学名誉教授・財団法人太田綜合病院理事長
社団法人福島県病院協会長 太田 保世

 星医会の皆様には平素のご無沙汰をお詫びします。平成12年に退職しましたから、すでに7年、同窓生はともかく、学生諸君には「太田保世 Who?」という時代になったわけです。小生は、昭和48年から、まず第2生理学、ついで第2内科におり、定年の2年前に退職し、以来、福島県郡山市にある財団法人太田綜合病院で働いています。
 星医会から原稿の依頼を受けて戸惑いましたが、嬉しくもありました。東海大学とご縁がなくなったように思っていたからです。その「ご縁」から、在職当時の「関連病院」についての激しい議論を思い出したので、そのことに触れておきます。財団法人太田綜合病院については、http://www.ohta-hp.or.jp/を見ていただけばよいのですが、創立112年の歴史があり、3つの病院、老健施設など、総病床数は2,500を超える病院です。東北地方には珍しく、臨床研修医は毎年20名フルマッチで、後期研修医も10名を超えます。不思議なことに、東大、慶應大、東京医科歯科大とはタスキ掛けをしていますが、東海大からは何の声も掛かりませんでした。東海大関係では、元教員が、太田保世、高崎雄司、小林龍一郎、太田透(退職)、卒業生では松浦圭文、三浦英介がおります。ですから、関連病院に関する激論の意識がまだ続いていると考えました。
 その議論は、東海大医学部も有力な関連病院を持つ努力をすべきだという私見に対し、某実力教授の、これからの医学部には関連病院などは不要であるという反対意見が通って、ずっと自分の垣根の中だけで拡大する路線を踏襲してきたことです。私は、新臨床研修制度が始まって、東海大に何人残るのか知りませんが、あの時に道を誤っていなければ、卒業生がもっと大きく羽搏けたと考えています。外部で活躍している卒業生も少なくはありませんが、多くは自分が苦労して道を拓いた諸君です。
 財団法人太田綜合病院は関連病院ではなさそうなので、東海大の卒業生の研修希望者はいません。北海道から沖縄までの学生が応募してくるのに、です。
 いろいろな教室のあり方も、寒心に堪えない噂が入ってきます。内部にいると、気がつかないうちに、おかしな世界を創ってしまう危険があり、在野の人間の評価機構(星医会もその一つ)設置の必要があるでしょう。金渕先生も原稿の依頼先を誤ったと後悔するかもしれませんが、私が一番長く勤務した東海大学ですから、その一層の発展を望めばこそ、あえて苦言を呈しておきます。


「ふりむいたら」
太田西ノ内病院呼吸器センター内科部長 松浦 圭文(3期生)

 秋風や 行きたいほうへ 行けるところまで
 数年前の太田保世先生の年賀状に引用されていた種田山頭火の一句です。卒業後、前期研修医2年、後期研修医2年を経て医局の派遣で福島県郡山市の太田西ノ内病院に赴任し、行きたいほうというではなかったのですが、早いもので20年目を迎え、すっかり福島訛りになってしまいました。
 年に数回届く星医会の会報にも目を通すこともなく、後ろを振り返らず、自分なりに頑張ってきました。40歳を過ぎ、ふと医局の机にあった会報に目を通し、熊本県人会の懐かしい顔ぶれ(日高君、米田君、福島君、高島君ほか)の写真が載っていました。18歳まで熊本で育ち、いつかは帰れるだろうと思っていました。自我の芽生えた幼子の如く、遠くまで来て、ふと振り向くと後ろに母親のいないことに気づいた瞬間でした。
 人生は、旅に喩えられます。旅を終えるまでは、自分なりに後悔しないことが大切で、振り向くことで弱音を吐くことが怖かったのかもしれません。同じように地元に帰らず様々なところで頑張っている卒業生も同じような事を考えているかもしれません?一人でこの離れ小島で頑張っていこうと思っていた矢先、この病院の理事長に東海大学呼吸器内科教授であった太田保世先生就任。その後、助教授であった高崎雄司先生、上司であった小林龍一郎先生がそれぞれ、睡眠センター長、副院長に就任され、以前の医局の一部が移植された様な状況になったのです。いつまでも奴隷だなあって、昔の医局員に同情されたものです。確かにそのようなこともあるのですが、なんとかやっています。
 昨年暮れ、以前呼吸器内科教授であった山林 一先生が残念ながら永眠されました。永く御住まいだった小雨降る大磯プリンスでの先生らしい素敵なお別れ会でした。改めて先生の教育に傾ける熱い情熱に敬服させられました。大学創成期、大黒柱のおひとりだったと思います。心から御冥福をお祈りいたします。
 現在勤務しております当院にも50人以上の全国から様々な大学出身の研修医が来て、その教育に当たっています。残念ながら、何故か東海大学からの研修医は、来ていません。今でこそ研修システムが、どうこうと論じられていますが、考えますと、その点では創成期東海大学医学部の教育方針、研修医システムは最先端を行っていたように思います。それぞれの先生の、新しい病院を作るんだ、いい医者を育てるんだという情熱で満ちていたような気がします。私も患者さんや研修医と対峙する際には、当時の教育方針を継承し臨床、教育に当たっています。未だに大学の評価は偏差値や国家試験の合格率などによるわけで、良医をどれだけ輩出したかを評価するものはありませんが、卒業生のひとりひとりが誇りと情熱を失わず生きていくことの積み重ねが評価に繋がるものと確信しております。現在の大学がどうなっているのかは、よく分かりませんが、卒業生の我々は、大学の名前を背負って生きていくわけですから、いつまでも情熱を失わず、夢の持てる魅力のある大学であって欲しいと願っています。




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