星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第37号)
 〜平成19年9月1日発行〜


特集2

親子で東海大学医学部にお世話になって
菅野 聖逸(1期生)

 今年娘が28期生として東海大学医学部を卒業し、さらに研修医として東海大学病院にまたお世話になることになりました。親子ともども多くの先生ならびに大学のスタッフの方には大変お世話になり本当にありがとうございました。
 ふりかえりますとわれわれ夫婦も1期生として卒業して、はや28年目になるわけで、私は開業して20年、家内は15年になり実に人生が長いような、また短いような複雑な気持ちです。いまでは私たちが存じ上げる先生は以前と比べて五分の一以下になっているのではないでしょうか。
 さてわれわれが当時医学部に入学した頃を思い出しますと、まだそのころは大学病院も医学部の建物も完成されてなく、ほとんどは湘南校舎で講義を受けていました。病院の建物に入るにはヘルメットを着用する必要がありました。先生方もわれわれが初めての学生なので講義のカリキュラムも何もかも試行錯誤しながら指導されていたようでした。それだけに卒業するまでの6年間の間、他の学生に比べて、良くも悪くも最も記憶に残る学年というふうに先生方が言われていたのが懐かしい思い出として残っています。またこのように思い出しながら書いているとお世話になった多くの先生方の名前が次々と浮かんできます。
 この28年間の間に歴代のそうそうたる先生が退職あるいはお亡くなりになり、一方では同級生あるいは後輩が教授、准教授として活躍し、また新しい病院や施設が増設されました。私事ですが家内と私の両親ともすでに天国へ旅立ってしまいました。両親に娘の白衣姿を見てもらえなかったのが心残りですが、このように娘が東海大学医学部から医者としてスタートしたことはわれわれ夫婦にとって大きな希望であります。夏休み、冬休みには必ず3人でゴルフ旅行にでかけていましたが、これからは娘も忙しくなりそのような時間はないと思います。でも今後はわれわれが娘に対して医者の先輩としてのアドバイスができると思いますし、お互いに同じ視点に立って会話ができるので楽しみです。
 最後に学生時代には親として娘に学問的なアドバイスはほとんどできませんでしたので、東海大学医学部で勤務を続けている同級生や後輩の方々には娘がどれほどお世話になったかを考えると感謝の気持ちでいっぱいです。これからも研修医としていろいろ娘がお世話になりますのでよろしくお願いいたします。


両親の母校を卒業して
菅野 聖李奈(28期生)

 両親が医者4、5年目の頃、私は東海大学付属本田記念幼稚園に通っていました。毎日父と母が交代でお迎えにきて、そのまま病院に帰る日々でした。今でも、1食前の廊下やエレベーターホールを通ると懐かしく思うことがあります。
 入学が決まったとき、両親の母校に入学したというよりもむしろ幼稚園以来また戻ってきたんだなぁという印象のほうが強かったと思います。
 両親の母校だと意識し始めたのは、クリニカルクラークシップが始まったときに最も感じました。両親を知る先生方のほとんどが、まず名前を見て(父の名前の一文字が入っているので)「もしかして、菅野先生の・・・?」と。それにより先生方にはすぐに覚えていただけたり、話しかけていただけたりと良いこともたくさんありました。しかしそれと同時に、”悪いことはできない・・””成績がばれてしまうかも・・”という恐怖が頭を過ぎりました。もっとも当時の私には、そのことが重大問題でしたが・・・。
 今にして思うと、両親もそういったことを予測していたのか大学生活についてはあまり干渉せずに見守ってくれていたように思います。ですから、両親の学生時代とは異なることのほうが多いということもあり、授業のことや学校のことなどについてはあまり話さなかったと思います。むしろ私が研修医になった現在のほうが、両親の研修医時代の話や知っている先生方の話などをしています。
 現在両親は開業しており仕事をしている姿をお互いにみることはありませんが、もし大学に勤めていて私の上司だとしたらなどと想像したりすることがあります。
 卒業生の子弟第1号として東海大学卒業の医師になれたことを誇りに思いますし、今後そのような人が増えていってほしいと思います。




▲ページのトップへ
←目次へ戻る
←会報のページへ戻る