星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第37号)
 〜平成19年9月1日発行〜


新任教授紹介

岐路に立つ日本の医学教育
内科学系・循環器内科学 後藤 信哉

 平成19年4月1日をもって東海大学医学部内科学系教授を拝命致しました。既に循環器内科の領域には田邉教授、伊苅教授がいらっしゃるところに、今回私が昇格して循環器内科領域は3教授体制となりました。ヒトの身体は血液が循環することにより恒常性が維持されています。心臓病内科であるとともに全身の血管内科でもある循環器内科の扱う疾患は極めて多岐にわたっているため、専門を異にする複数の責任者による牽引体制が必要であると病院、大学が判断して下さった上での昇格であると理解しております。いずれにしても、若輩の小生の昇格には領域内の先生方の他にも内科学系長の高木先生、病院長の幕内先生、医学部長の猪子先生、さらには法人本部の諸先生の強い推薦が必須であったことは疑いありません。この場を借りて皆様にお礼を申し上げたいと存じます。
 さて、欧米に追いつけ、追い越せでやって来ました日本の医療、医学教育は、自らが先導者の立場にたってしまったため将来の方向性を見失って混迷しております。欠点を針小棒大に取り上げ、隠れた努力を正当に評価しないマスメディアと世論により、長年保たれた医師の使命感に支えられた日本の医療の基盤が揺るごうとしています。この一種の逆風の中でわれわれは如何に自らの存在意義を社会に示し、また如何に後進を指導したらいいのでしょうか?将来を考えるためには過去の総括が必須です。明治以来急速に近代化し、訪れる欧米の医学者を驚かした高水準の日本の医療と医学教育の本質を今の時点で十分に考えることが必要です(あるアメリカ人医学者の見た日本の医学教育. 昭和55年慶應通信出版は日本の医学教育の本質をついた優れた評論ですので手に入れば是非ご一読下さい)。
 私の知る範囲で、日本の医師は欧米の医師に比較して使命感が高く、一般的に優秀で、かつ病態生理の理解と、内科医であれば薬効薬理の理解に優れております。米国で強調されたEvidence Based Medicine、ガイドライン医療は、ばらつきの大きい米国の医師に適応した時には全体の底上げに役立ち一定の意義はあったと評価しています。しかし、既にGDPに比較しても米国の半分程度の医療費により、世界最長寿を謳歌している日本の医療は診療ガイドラインの導入と標準化によりさらに高率化されるのでしょうか?私の答えはnoです。明治以来連綿と培われた日本人医師の、病態生理を深く考え、薬効薬理に基づいた医療を実践する資質は世界に誇るべき資産です。一度失われたら取り返すことのできない貴重な資質を守るため、学部における医学教育、卒後教育のシステムを見直すべきです。
 幸いにして私自身は数多くの国際的な臨床研究にSteering Committee, Publication Committeeなど中核メンバーとして参加する経験を持つ事ができました。欧米に多くの友人がおりますので、欧米の医学のレベルはよくわかります。彼らとわれわれの最大の相違は、欧米人は数値的、論理的であるのに対して、われわれは直感的であるということであると思います。われわれには結論が直感できるような事柄であっても欧米人は数値化できないと理解できません。日本人医師のカルテと欧米の医師のmedical recordを比較すれば相違はすぐに分かります。使用している言語の構造、言語構造の差異に基づいた頭脳の構造の差異を無視して教育の方法のみ直輸入してもうまく行きません。差異を反映させた医学教育システムを構築すべきと考えます。現在と過去に自信を持ち、将来に向けての方向性を東海大学から発信できるべく努力してまいりたいと存じます。今後とも宜しくお願いします。

【略歴】
1986年 慶應義塾大学医学部卒業、1992年 米国スクリプス研究所分子実験医学部門 博士研究員
1996年 東海大学医学部内科学I教室助手、1998年 東海大学医学部循環器内科講師
2003年 FACC、2007年 4月より現職
日本循環器学会認定循環器専門医、日本血栓止血学会幹事、日本心臓病学会、
日本動脈硬化学会評議員
Editor: International Review of Thrombosis, Vascular Medicine
Editorial Board: Thrombosis Research, Platelet



あるべき心臓血管外科をめざして
外科学系・心臓血管外科学 上田 敏彦

 本年4月、伊勢原に赴任しました。附属病院が新しくて立派なこと、周囲の田園風景が私の田舎を想い出させること(日本の田舎の雰囲気はおおむねどこも同じですが)、そして旧病院である1号棟のあちこちに空き部屋があることなどが印象的でした。
 私は昭和53年に慶應義塾大学医学部を卒業して外科学教室に入局しました。関連病院を含めた3年間の一般外科研修のあと、単純でわかりやすいという理由から心臓血管外科を選択することにしました。手術がダイナミックで緊張感があり、結果もはっきりでることには納得がいきましたが、余りにもマイタイムがないことは驚きでした。また術者は一所懸命やっているはずなのに、思わしくない結果に終わることもしばしばで、やるべきことがいくらでもあるような予感があったと思います。チーフレジデントが終わり、博士号取得の研究として心臓移植の実験を半年で終了し、陸の孤島といわれた茨城県東海村の国寮晴嵐荘病院(現東茨城病院)に赴任しました。このようなところで心臓外科をやるの!?と不安にかられたものですが、先輩が大変優秀な先生だったこと、当時は茨城県下に圧倒的な実力を持つ心臓外科施設がなかったこともあり、がんばれば頑張っただけ患者さんが来てくれました。しかし残念なことに療養所という病院の性格上、緊急手術への対応や手術枠の不足で院長先生をはじめ病院の方々にはむしろご迷惑をおかけしたと思います。
 途中1年間どうしても勉強したかった手術について、米国ベイラー医科大学のCrawford教授のもとで研鑽を積む機会を得ましたが、かの先輩が辞められてしまったため、また陸の孤島に戻ることになりました。当時日本では殆ど(多分どこも)やっていなかった、超低体温循環停止法を用いた弓部大動脈手術を導入し意気盛んでしたが、真夏の手術室で空調が故障し、患者さんの体温も術者の頭も限界までheat-upしたことが鮮明に思い出されます。
 平成4年には母校慶応義塾大学に帰室し、専任講師となった平成7年からは大動脈手術に専念することになりました。大動脈の手術は心臓のそれとはかなり趣が異なり、出血と脳脊髄合併症との闘いで、“天使のように大胆に、悪魔のように繊細に”などというフレーズを心の中でつぶやき続けた毎日でした。幸い後任として若手の外科医をほぼ一人前に大動脈手術ができるところまで育てることができたこともあり、平成15年に大学を辞することにしました。
 再びオールラウンドで心臓外科をやろうと、ほとんどフレッシュマン気分で川崎市立川崎病院に2年弱、済生会宇都宮病院に2年強在任しました。特に済生会ではスタッフ5人で開心術年間200例以上、手術件数500件近くをこなしていて、私自身も2年間で220例以上の開心術を執刀しました。循環器内科やその他の関連診療科との連携も円滑で、心臓外科医としてはとても充実した日々を送ることができました。
 今、外科の幕内博康病院長、井上宏司副院長のご推薦により、東海大学の心臓血管外科を任されることになり、4年間離れていた教育と研究という領域に再び踏み込むことになる、という決意めいた緊張感があります。心臓血管外科としてはやや血管外科にシフトしていた東海大ですが、今後は心臓外科手術に力を入れてゆきます。まずは世界標準の心臓外科を実践し、患者さんが満足して退院できる治療を提供することが第一の目標です、そして研修医の教育を手術中心に組み立て、次世代を担う若手心臓血管外科医を育成することができれば、私の目標とする“あるべき心臓血管外科”を達成できると考えています。星医会の皆様方には是非とも、心臓血管外科への忌憚ないご意見・ご忠告を下さいますよう心からお願い申し上げます。

【略歴】愛知県出身、1978年慶應義塾大学卒業.医学博士
茨城県国立療養所晴嵐荘病院、米国留学を経て2003年まで慶應義塾大学専任講師.
2003年川崎市立川崎病院心臓血管外科部長、2005年済生会宇都宮病院心臓血管外科科長.
2007年4月東海大学医学部外科学系心臓血管外科学教授.
日本外科学会指導医・日本胸部外科学会指導医.心臓血管外科専門医.日本胸部外科学会評議員・日本心臓血管外科学会評議員.日本大動脈外科研究会常任世話人.



独創的な臨床研究を若い仲間と伊勢原から発信したい !
外科学系・消化器外科学 貞廣 荘太郎

 2007年4月1日付けで外科学系消化器外科学教授を拝命しました。1994年4月に三富利夫教授、田島知郎教授が主宰されていた東海大学第二外科へ講師として赴任し、現在までの13年間、主として大腸癌の診療、教育、研究に携わって参りました。
 私は外科学とは、疾病の病因、病態を基礎医学に基づいて理解し、その上で外科学総論的な学識と実践的な知識、身につけた手技を調和良く生かして診療に当たる医学分野であると考えています。患者さんに常に現時点での最高レベルの医療を提供することが大学病院また特定機能病院の使命です。
 診察および検査により明らかになった疾患およびその状態に対し、医学的に最も良いと考えられる治療方針を示すことが要求されます。この医学的に最良と考えられる治療方針(Evidence Based Medicine)の上に、個々の患者さんの併存疾患や全身状態、社会的な要因、さらには個人の希望を合わせ、患者さん個人が、時には医師の助言を受けながら最終的に受ける治療方針を決定することになります。日進月歩で進歩していく医学研究の成果を、一人の医師が単独で把握していくことは忙しい日常業務の中ではなかなか困難ですが、13年間私たちの大腸グループおよび消化器内科の先生方と継続してきたカンファレンス、勉強会などを通して最新の知識、情報をお互いに交換し、医師としての客観性、普遍性を保つ努力を今後も続けていきたいと考えています。
 近年急速に増加している大腸癌は、外科医が治癒切除と判断しても 20-40%の患者に再発が起こります。これを少しでも減らすことを目標に研究を続けて参りました。私は最も多い再発形式、再発部位を抑えることが生存率を向上させる近道であると考え、結腸癌では肝転移を抑えるために予防的な肝動注を、直腸癌では骨盤内の局所再発を抑えるために手術中に電子線照射を併用し、結腸癌では肝転移、直腸癌では局所再発を有意に減少させ、いずれも生存率が有意に改善しました。これら2つの独創的な研究成果は既に伊勢原から世界に発信しました。消化器外科の研究において、教室内だけで研究可能な領域は限られており、必要に応じて放射線科、臨床薬理、病理学の先生方と密接に連携し共同で仕事を進めています。現在は分子生物学的な手法を臨床現場に取り入れ、患者個々人の個性に基づいた集学的な癌治療(外科手術、化学療法、放射線併用治療)の実現を目指しています。
 日常診療の中で患者を失う際に味わう無力感、悔しさが医学研究の原動力であり、若い仲間のみずみずしい感受性、伸びる芽を大切にして自由に発想させ、医学の進歩に少しでも貢献できる独創的な研究を共に行い、成果を伊勢原から世界に向けて発信したいと考えます。皆様のご指導、ご協力をお願い申し上げます。

【略歴】東京都出身. 医学博士
1978年3月慶応義塾大学医学部卒業. 川崎市立井田病院勤務
1994年4月東海大学医学部第二外科講師
2000年4月 助教授
2007年4月消化器外科学教授
日本消化器外科学会評議員、 日本大腸肛門病学会評議員. ASCRS(米国大腸外科学会)会員、 ASCO(米国臨床腫瘍学会)会員、 ESMO(欧州臨床腫瘍学会)会員.



教授に昇格して:ご挨拶
専門診療学系・産婦人科学 和泉 俊一郎

 平成19年4月1日付で、東海大学医学部教授を拝命いたしました。
 私は、昭和53年に医学部を卒業後、生殖内分泌を志して産婦人科に入局し、診療に、研究に、従事してまいりました。また、幸いにも10年前より本学での教職の機会を得て、医学教育にも興味を持ち、若い人たちと交流しながら、「疑問に対する解答を自らが探れる立場」で今日まで過ごすことが出来ました。これまで、星医会の会員の先生方のご協力、ご援助もたくさんいただきました。まず御礼申し上げます。今般、教授を拝命したのを好機と考え、まず初心に帰って、今後さらに後身の育成を第1に考えて努力したいと決意しております。
 私ども産婦人科医は、臨床の現場では、産科医として母児ともに2人の命を預かれる幸福と、婦人科医として例えばガン末期の婦人の末期を看取るという、とても複雑な思いを繰り返して、精神的に成長していくように思います。これほどヒトの一生を考える科は他には無いと自負いたしております。この私は医師として、産婦人科を選択したことを毎日誇りの思うのですが、昨今産婦人科の評判は思わしくありません。医学生や研修医が専門家を選択する際に敬遠されがちです。訴訟の多い科であることが災いして、とかく新聞沙汰も多く、今や産婦人科は臨床科の中で「絶滅危惧」すらされております。しかし、担当の患者さんに、祝福の言葉をかけられるのは、われわれ産婦人科医だけです。是非とも我らが科の良さをアピールして再起を図りたいと考えております。
 産婦人科を、単に産科プラス婦人科と理解されておられる方も多いと存じます。そのように思われている方にとっては、かつて皮膚泌尿器科が2つに分かれたように、産婦人科が2つに分かれるようにもお思いでしょう。いえ!違います!。産婦人科は、婦人の一生を生殖期を中心にして理解するという基礎の上に立脚する臨床分野です。たとえ究極の専門は、産科や、婦人科に別れることがあっても、決して分離することが出来ない分野なのです。さらに、生殖医療や更年期以後の婦人のQOLを扱う分野も我々の担当となり、文字通り「ゆりかごから墓場まで」のテリトリーをカバーしています。生殖医療についての現状と倫理的問題点を説明し、それについての社会からの理解をいただくのも、われわれの責務です。また、閉経後のQOLを損なう疾患を予防し、治療していくために、より良い方法を探るのもわれわれの仕事です。女性の一生をカバーする統合型の女性診療科をめざして、優秀な人材を育て、教室の若者たちとともに 教育・診療・研究に精進したいと考えております。
 将来の産婦人科の方向性を見失わぬように気をつけながら、舵を取っていきたいと思いますので、今後とも、より一層のご指導ご鞭撻を賜りますよう、御願い申し上げます。

【略歴】
1978年3月 慶応義塾大学医学部卒業
1981年5月 慶応義塾大学医学部 産婦人科 助手
1984年5月 日本鋼管病院産婦人科 医長
1987年3月   米国-国立衛生研究所(NIH/NICHD)へ研究員として留学
1989年11月 日本鋼管病院産婦人科 上席医長
1996年 4月 日本鋼管病院産婦人科 医療部長
1996年 7月 東海大学医学部産婦人科 講師
2002年 4月 東海大学医学部産婦人科 助教授
2007年 4月 東海大学医学部 専門診療学系 教授
日本神経科学協会(現:日本神経科学学会)専門委員(神経内分泌パネル)、日本内分泌学会評議員、日本比較内分泌学会 広報委員、日本繁殖生物学会 交流促進検討委員、日本受精着床学会 評議員、星薬科大学 大学院 非常勤講師、日本産科婦人科学会 代議員、JOGR(アジア・オセアニア産婦人科連合欧文誌) associate editor 




▲ページのトップへ
←目次へ戻る
←会報のページへ戻る