星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第37号)
 〜平成19年9月1日発行〜


◆訃報◆
石田暉教授を偲んで
東海大学大磯病院リハビリテーション科
准教授 豊倉 穣(5期生)

 平成19年1月5日、本学医学部付属病院においてリハビリテーション(以下リハ)科学教授石田暉先生が永眠されました。まだ59歳という若さでのご逝去でした。私は、そのうちの23年間リハ科創世記の頃から石田先生の下で仕事をさせていただきました。そこで石田先生との思い出に触れながらそのお人柄を偲びたいと思います。
 「私の身体のことで話があります」とやや緊張した声の石田教授から電話を受けたのは平成17年初夏の頃でした。大腸がんに関するご自身の病状を冷静にお話下さったのですが、私にとってはまさに青天の霹靂で、とにかく「ゆっくり休んで下さい」と言うのが精一杯でした。幸い、手術治療の後は職務に復帰するほどに回復され、皆も安心していました。しかし平成18年秋、胆道系の合併症を契機に再入院となりました。クリスマス前の面会の折、「また年明け早々に今後の打ち合わせをしましょう」と話された石田先生から、2、3日を経ずして「年内にもう一度来て欲しい」との連絡を受けました。12月27日に急ぎ伺うと、「これを」と医局費等の預金通帳を私に託されました。特に変わった様子はなく、少し雑談して病室を後にしました。私が大磯病院に出向している関係上、ここ10年ほど石田先生とのんびり世間話をする機会もありませんでした。皮肉なことにこんな時だからこそ、かえってとりとめのない話ができました。しかし、まさかこれが石田先生との最後の会話になろうとは想像すらしていませんでした。あの時、先生はご自身の将来をすでに感じ取られていたのかも知れません。年末年始は外泊せず、ご家族に囲まれて過ごされました。新年には思いも新たにご家族と言葉を交わされたと聞いています。石田先生の病状が急変したのは、そのほんの数日後でした。
 石田教授は昭和22年生まれで、慶応義塾大学医学部を卒業後、メイヨー医科大学に留学されました。米国医療の現場で臨床医としてリハ医学の研鑽を積まれました。帰国後、慶應義塾大学月ヶ瀬リハセンター医長を経て、1993年、専任講師として東海大学医学部に赴任されました。石田先生に初めてお会いしたのはその翌年、忘れもしない1984年2月でした。私は間近に卒業試験を控え、卒後の入局先(もちろんリハ科ではありません)も決めていました。そんな時にリハ科が講座を有する医局であることを知り、話を聞いてみようとふと思い立ったのです。当時はリハ科の系統講義はなく、石田先生とは全くの初対面でした。「インテリで聡明な感じ」というのがその時の第一印象でした。望星薬局下のレストランでBランチをご馳走してもらったこともよく覚えています。リハ医療に全く知識のない私は、「リハ医は何をするのか」、「リハ訓練とは何か」、「医療としてのニーズはあるのか」など今から思うと随分失礼なことをヅケヅケと矢継ぎ早に質問しました。石田先生は笑顔を絶やさず丁寧に説明して下さいました。「一見クールだが、とても気さくな先生。私のような学生にもよく気を遣って下さる」とその温かい人柄を感じることができました。当時は国家試験の発表が5月末、勤務開始は6月からだったので、この間、長い人生、最初で最後の一大バカンスがエンジョイできたわけです。その真最中、気も緩んでダラダラとした日々を過ごしていた私を見透かしたかのごとく、石田先生から電話がありました。伊勢原の付属病院に出向いてゆくと「じゃー来週から抄読会に参加して…..、とりあえずこの論文を読んで発表すること」と未知の分野(リハ科)の英語論文をポンと渡されました。一大バカンスは早お開きとなったわけですが、「石田先生は明るく、朗らかな半面、学問には厳しいぞ」と肝に銘じました。よく「人生は出会いで決まる」とも言われます。私の場合、まさに石田先生との出会いで人生が決まりました。
 石田先生はいわゆる昔気質の「医局人」で組織を非常に大事にする方でした。自分に厳しく、常に東海大リハ科、果ては日本のリハ医療の発展を願っていました。まさにリハ医学に捧げた人生と言えます。学術的には多くの業績を残され、国内、国際学会の役員さらに厚労省での保険医療制度改革にも深く携われていました。病魔に倒れたのも、学内外の重責に加え、平成20年度には学会長として2つの学術集会の主催を控えてまさに猫の手も借りたいような日々の最中でした。
 学術面での活躍に加え、気さくで飾らない人柄は多くの方に慕われていました。本年2月にはご遺族のご厚意もあり、「石田先生お別れ会」を開催することができました。葬儀を含め、石田先生を偲んで全国から数多くの方々にご列席をいただいたことは、石田先生の厚い人望を物語るものと思います。過酷を極めた闘病生活の中で弱気になったこともあったようです。しかし、本学の先生方はもとより学内外の多くの関係者の方々の心温まる応援をいただき、暗い気持ちも随分救われたと思います。この場を借りて厚く御礼申し上げます。花で一杯になった棺に横たわる石田先生の顔を拝見すると、心なしか微笑を浮かべているようでした。今後は、残った我々リハ科スタッフが石田先生の思いをしっかり継いでゆかねばならないと身の引き締まる思いでおります。
 石田教授のご冥福をお祈り申しあげます。




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