星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第37号)
 〜平成19年9月1日発行〜


◆訃報◆
百渓浩先生へ 御礼の言葉
須知 雅史(3期生)

 百渓浩先生、先生が亡くなられたのを私が知ったのは、3月6日に届いた吉田君からのメールででした。その時、先生の亡くなられたことを大いに悲しみ、そして大事なことをご報告していなかったことを心から悔やみました。
 百渓先生、私が公衆衛生学教室の大学院に入学した時、先生は隣の衛生学教室の助教授でいらっしゃいました。いつも苦虫を噛みつぶしたようなとても怖い顔つきで、加えて無口だったため、非常に怖い、取っつきにくいという印象でした。私は入学してすぐ、結核研究所の国際研修に参加して大学には顔を出さなかったため、その第一印象はしばらくの間、変わることはありませんでした。ところが、研修を終え、当時の北イエメンへの赴任が決まり、先生や吉田君などと厚木で呑んだ時、私の抱いていた印象が全くの間違いであったことを知りました。
 百渓先生、私は先生と直接お仕事をさせて頂いたことはありません。しかしその時、居酒屋で社会医学とは何か、という大変大きなテーマを肴に酌み交わしたことで、先生のイメージが一変したことを鮮明に記憶しております。先生のご専門は、産業衛生という労働者の健康を守る活動。一方、私の入った世界は感染症対策という社会弱者の健康を守るという活動。その対象、方法論は違っても、社会医学としての共通の考え方、心構えというようなことを、大いに語り、教わり、呑み、そして酔っぱらいました。先生が大変気さくで、情熱家であることを知りました。先生は、厚木警察署前では、立哨中のお巡りさんに挨拶をされ、とても親しくお話をなさっておられました。その後、我々がしたことはとても公にすることは出来ません。しかしながら、イエメンの地で大いに活躍した金色のクロスのボールペンを頂いたことと併せ、大変意気投合させて頂いた証だと信じております。
 百渓先生、先生には現場の大切さも教えて頂きました。朝日新聞本社の見学をさせて頂いた時のことです。社内の様々な部署で、気軽に社員に声をかけられる姿を拝見し、先生が健康管理室に閉じこもり、ただ医者然として机に向かってはいないことを感じました。大体、資料室に著名人、例えば初代医学部長の佐々木正五先生の顔写真が保管されていることなど、普通の産業医は知りません。勿論、見学後は新橋の焼鳥屋での勉強会となったわけですが、先生と酌み交わしながら交えた議論は、その後のフィリピンでの私の活動に、とても重要な教えを与えてくださいました。
 百渓先生、ご報告があります。私は、昨年4月で公衆衛生、国際協力の世界から身を退き、臨床の道に転じました。先生に直接ご報告することが出来ませんでした。残念でなりません。
 百渓先生、先生のご冥福を心から祈念し、私の御礼の言葉の最後とさせて頂きます。
合掌



百渓浩先生 追悼文
吉田 貴彦(4期生)

 3月5日に星医会への参加の調整をしていた際に、事務局から百渓浩先生が2月10日に他界されたとの連絡を受け大変驚き残念に思いました。先生のご自宅に星医会の会報が届けられてご家族の方が連絡を下さったとのことでした。
 先生が東海大学医学部衛生学教室の助教授として赴任して来られたのは、私が大学院生の時でした。当時、厚木に住んでいた私は、教室員でただ一人独身だったこともあり、小田急沿線に住んでおられた先生と時々、本厚木の駅の近くに飲みに行ったものでした。須知先生も一緒であった時もあります。須知先生も触れられると思いますので、私は別の想い出を書かせていただきます。
 先生は鞄に常に英語の小さな辞書をお持ちになっており、わからない単語があると直ぐに引かれていたことが強く印象に残っております。あいまいなままに妥協してしまう事が多々ある私にとって、わからない事をそのままにしないという姿勢は、大いに見習うべきことと思っております。
 先生は東海大学で何年か過ごされた後に大学を辞されて、古巣であった朝日新聞の産業医に戻られました。私が当時、選択必修科目授業として前後期にそれぞれ開講していた「産業活動の実際」では、学生を引率して3か所の産業現場を訪れていました。より多くの学生に多種の業種の見学実習の機会をつくろうと、先生にお願いして東京築地の朝日新聞本社にも何度かお世話になりました。また、私自身が朝日新聞の健康診断の問診業務をお手伝いをさせていただき、新聞の編集・印刷・配送といった他の業界にない産業現場について学ぶ機会が得られたことは、産業医学を専門とする私にとって有意義であったと感謝しております。
 私は1992年2月から93年6月までアメリカに留学したため学生の見学実習も縮小していましたが、帰国後に再度お願いしようとして先生に電話をかけさせていただいて大変驚いたことを鮮明に覚えています。受話器を通して耳に神経を集中してお聞きしたところによると、私が留学していた間に喉頭を摘出したとのことでした。そのため食道発声にて話されていたのでした。先生がお酒とタバコが大好きであったことが頭をよぎり、見学実習のお願いどころではなかったように思います。その後の朝日新聞の健康診断の手伝いをさせていただいた折に、先生自らも困難な食道発声にて長時間にわたって従業員の面談をされている姿を拝見して頭が下がる思いでした。また、手術の後にはタバコも止められ、お酒もビールを少し飲まれる程度になられていました。
 私が2000年に旭川医科大学に移動し、先生も会社を定年になられるなど、お会いする機会が無くなり年賀状での御挨拶と日本産業衛生学会総会が東京で開催された際に立話をするくらいになっておりましたが、星医会の総会には何度も参加して下さり親しくお話をすることが出来ていました。しかし、昨年2006年の星医会総会にはお姿が見られず、今にして思えば体調を崩されておられたのかと思います。御存命中にお訪ねして、もう少しゆっくりとお話しするべきだったと悔やまれてなりません。先生から教わりました事々を心にとめておきたいと思います。どうぞ安らかにお眠り下さい。




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