星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第39号)
 〜平成20年9月1日発行〜


新任教授紹介

教授就任に際して
基盤診療学系公衆衛生学 教授 稲垣 豊

この度、平成20年4月1日付けで、東海大学教授(医学部基盤診療学系)を拝命いたしました。これもひとえに、平成14年に着任後6年間にわたって本学の諸先生から賜ったご指導とご鞭撻、そしてご厚誼の賜物と、深く感謝いたすとともに、星医会会員の先生方にひと言ご挨拶を申し上げます。
 私は昭和57年に金沢大学を卒業後、大学院に進学し、内科学一般と消化器肝臓病学の研修と研究を開始いたしました。この間、出張先の病院も含めて、若い地肌に叩き込まれた臨床内科学の真髄−的確な診断と病態の把握−は、今も大きな財産となっています。国立がんセンター研究所やニューヨーク・マウントサイナイ医科大学への留学などを経て、ご縁あって平成14年4月に、東海大学へ着任いたしました。
 翌年の平成15年から、本学ではいわゆる医局講座制度が廃止され、今では就任当初の公衆衛生学のみならず、分子細胞生物学や基本診療学のテュターなど、基礎医学・社会医学・臨床医学の垣根を越えて幅広く学生教育に参画しています。また、研究面ではユニット制のもとで、肝臓(肝硬変症)をはじめとする臓器線維症の病態解明と新規治療法の開発に取り組んできました。今後は、線維化と再生・発癌の病態連繋について、再生医学との接点も含めて幅広く研究を展開させていく所存でおります。
 大学の最大の使命は、言うまでもなく人を育てることにあります。学部教育はもとより、研究指導や臨床研修においても、各自が持つ長所を見つけ出して、いかにこれを最大限に伸ばしてやるか。昨今の医療改革(崩壊)をきっかけにして、ともすれば忘れがちであったこの当たり前のことを再認識せざるをえなくなったことは、良かったと思っています。
 学生諸君や若い先生方には、単なる知識や目先の技術を追うだけでなく、生涯の糧となるものごとの考え方を、ぜひとも東海大学で身につけて頂きたいと念じています。現在では最先端の医学・医療も、「5年ひと昔」であっという間に古くなります。立場や場所は変わっても、卒業後40年、50年の長きにわたって、医師として日々の診療を実践していく自らを支えるのは、広い視野、真理を探求する心、そして新しい情報に出会った際にそれを客観的に評価して自分に取り入れる能力だと思います。大学の医学部が、医師養成の専門学校であってはなりません。
 星医会会員の先生方には、従来にも増してご指導とご鞭撻賜りますようお願いをして、就任のご挨拶とさせて頂きます。


消化器内科教授に昇格して
内科学系消化器内科学 教授 渡辺 勲史

2008年4月1日付けで東海大学医学部内科学系消化器内科教授を拝命致しました。松崎松平教授が内科学3教室を主宰される折に東海大学医学部に赴任し、その後今日までの15年間消化器内科の診療、教育、研究に携わってまいりました。
 東海大学病院は神奈川県央、県西部にかけての広い診療圏を持つ基幹病院で、地域の医療機関から多数の患者紹介を受けております。「医療はサービス」という精神を再確認し、迅速かつ的確な診断と治療を心がけ、地域の病院に還元していきたいと考えています。現在の医療は専門分化の指向が強く、大学病院においては在院日数短縮化のなかで高度の医療を提供しなければなりません。 個々の医師にとっては以前よりまして高いレベルの診療能力が求められ、例えば肝硬変の診療においても、単なる慢性肝疾患の治療だけを行うのではなく、全身管理を含め消化管出血、意識障害、心不全、呼吸不全、腎不全などあらゆる状況に対応できる診療能力が必要となります。そのためにはまず各医師が深い知識と高い診療技術を身につけることが大切です。大学病院で勤務する医師としての責任感と診療に対する向上心を持ち、総合的な診療能力を持った消化器内科医を育てていきたいと思います。また消化器センターとして内科、外科の壁を取り除き、診療および臨床研究において外科との協力体制を強化し、消化器センターとして質の高い医療を提供していきたいと考えています。幸い東海大学消化器内科には、本院の伊勢原だけでなく付属病院の東京、八王子、大磯、池上病院に優秀なスタッフが多くおりますので、付属病院の先生たちの意見を聞き、互いに協力し合って、日本においてリーダーシップのとれる消化器内科にしていきたいと思います。
 一方消化器内科医を目指す若手医師に対しては、内視鏡診断、治療および肝胆膵疾患の画像診断、IVR治療などの多岐にわたる消化器疾患診療のおもしろさを伝えることにより、将来の消化器内科を担う医師を育成していきたいと考えています。実りある卒後教育を行うことにより、より多くの東海大学卒業生が母校で活躍できるように精一杯努力していく所存です。
 東海大学に在職している期間に、消化器内科の統合、複数教授制の導入、講座制の廃止、新病院の設立、卒後研修システムの導入などさまざまな大学の機構に変革がありました。現在全国的に医師不足が騒がれていますが、消化器内科もその例に漏れず、卒後10年目位でやっと一人前になったと楽しみにしている人の退職者が多く、付属病院に勤務している先生たちはかなり無理を強いられていると思われます。これからも厳しい医療情勢の中で、先生たちが今後さまざまな問題に直面することと思いますが、私ができることとして、前面に立って是非教室員のことを守れる教授でありたいと考えています。最後に星医会の皆様方には、今後なお一層のご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。



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外科医の醍醐味・一点突破
外科学系消化器外科学 近藤 泰理

2008年4月1日付けで外科学系消化器外科学教授を拝命いたしました。 私は1975年、東海大学病院に研修医として採用されました。開院間もない当時の第二外科は三富利夫教授以下、田島知郎助教授、中崎久雄先生、久保田光博先生がおられ、私が5人目の外科医でした。東洋一とうたわれた東海大学病院で長時間勤務による過重労働の状態でしたが、来る日も来る日も新しい臨床経験の連続で、充実した日々を送らせて頂きました。7月に横山先生、8月に杉田先生が赴任され、そののち、77年に生越先生、78年に幕内先生が加わり外科の体制が確立されました。外科チーフレジデントを終えた80年秋から、国立がんセンター研究所内分泌部の阿部薫先生のもとで基礎研究の面白さや厳しさを体験する貴重な機会を得ました.生越先生の指導のもとに胃班の一員として臨床研究を続け、88年に実験潰瘍を用いた消化性潰瘍に関する論文で学位を取得しました。93年に三富教授から東京病院に外科の責任者として赴任するよう命じられ、以後、臨床に軸足を置き、代々木の地で診療に専念してまいりました。
 手術治療は文字どおり結果責任を問われますし、困難な手術と向き合わねばならないこともあります。手術をしていると感じることですが、短時間で終わる手術であっても一点を突破した、これでこの手術は上手くいくと感じるタイミングがあります。時間のかかる難しい手術では、ある一点を突破したと思えても、新たに困難な箇所が現れ、行く手をさえぎられるということもしばしば経験いたしますが、これでもう大丈夫だと自信を持って思える瞬間が必ずあります。この瞬間は患者に何が起こっても自分自身以外に頼るものは何もなく、上手く行かなければ大変なことになるわけですから恐ろしくもあり、心拍数も上昇しますが、その反面術者にしか分からない醍醐味とも言えるのではないでしょうか。これは恐らく外科以外の臨床でも、あるいは基礎系の分野でも言えることではないかと思いますが、外科手術で感じるこの一点突破はまさに醍醐味と言えるものだと思っております。
 私は、臨床の中で最も面白くやりがいのある領域の一つが手術であり外科であると思っております。一人でも多くの若者が外科領域を目指し、この醍醐味を味わえるような外科医になってほしいと願ってやみません。手術に取り組み、手術標本を整理し、術後管理をしていてもなかなか業績は増えません。臨床には時間を取られますし、神経をつかいます。やりがいもありますが、手術が終わった後に、動物実験を始める気力や論文を書く気力はなかなか出てまいりません。しかし、臨床医である以上は、何よりも臨床に軸足をおく姿勢が重要であると信じております。真摯な気持ちで臨床に携わる中から様々な疑問が生まれ、研究の題材が生まれてくると思います。研究の大切さ、おもしろさを三富先生、幕内先生、生越先生をはじめとして多くの先輩方から教えられました。若い星医会の諸君に申し上げたいことは、日々の診療や手術を大切にし、そこから学んだことを出発点として臨床研究を推進し、新しい治療法の開発に結びつくよう研鑽を積んでいただきたいということです。今後とも若者のオリジナリティ
ーを尊重し、アカデミック・マインドを育んでいきたいと思っております。
 最後になりましたが、星医会の益々のご発展と皆様のご健勝を祈念するとともに今後なお一層のご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


教授に昇格して
外科学系消化器外科学 安田 聖栄

2008年4月1日付けで、東海大学医学部外科学系消化器外科学教授、医学部付属病院副院長(医療安全担当)を拝命致しましたので、一言ご挨拶申し上げます。
 1977年(昭和52年)に医学部を卒業し、3年目の1980年に東海大学に外科研修医として採用されました。丁度、一期生の卒業と同じ時期で、ともに研修医採用試験を受けましたので、東海大学に来てからは、一期生と同じだけ医者をしてきたことになります。1982年に外科chief residentをしました。東海大学病院の特長の一つは、臨床例が豊富で臨床の腕を磨くによいことと思います。初期の頃からいたおかげで、幾つかの初経験ができました。
 まず研修医の頃に、独力で腹部超音波検査を習得し、東海大学病院初
の超音波ガイド下肝膿瘍ドレナージを経験しました。また外科では進行癌による水腎症例が多く、超音波ガイド下腎瘻造設を何例か行い、学会発表しました。
 1984年、大磯病院開院時の外科メンバーとなり、当時の消化器内科上野文昭先生に教わり、大腸術前の腸管洗浄にポリエチレングリコール液(現在のニフレック)を伊勢原で最初に使用しました。洗浄前後での腸内細菌数の変化を調べ、消化器外科学会誌に原著論文として掲載されましたが、これは本邦での大腸術前腸管洗浄の最初の論文となりました。また同時に内視鏡的胃瘻造設も教わり、伊勢原でかなりの症例数に実施しました。
 大腸癌肝転移の治療では、ポート肝動注化学療法を導入しました。外来で肝動注を続けた患者で、肝転移がどんどん縮小しCTでほとんど分からなくなった時は、はじめて見る肝転移の縮小に興奮しました。
 旧病院地下の核医学検査室にはよく出入りしました。ここでは標識赤血球スキャンによる下部消化管出血の診断と、小林 真先生と共同で白血球スキャンによる感染・炎症巣の検査を多数の症例に実施しました。
 1990年頃、当時の町立浜岡総合病院に半年間単身赴任しました。病棟でナースが ”・・・だべ”としゃべっているのを耳にし、これが冗談であれば面白いが、本当であればコワイなと内心思いましたが、現実でした。しかし病室からは夏の太平洋が見渡せ、日中手術・診療、夕食に旨くて安い刺身定食、夜は医局に残り論文書きの生活。いろんな領域の手術をし、外科医らしい生活ができ、今となっては貴重な期間です。その後、大学では大腸班として臨床、学会発表にエネルギーを注ぎ、医学部卒業後16年間は外科一筋の生活でした。
 1993年に故正津先生のもと山中湖クリニックに出向。PETの勉強で米国のTennessee、Peoriaに短期滞在しました。当時、PETは日本でほとんど知られていない状況で、PETの将来性について、当時核医学教授の鈴木先生にお聞きした所 ”5年間は大丈夫だろう”とのご意見でした。しかしその推測を超え、その後PETは海外、日本でどんどん普及しました。
 PETによるがん検診を世界に先駆け実施し、論文・学会で発表したおかげで、4年連続日本核医学会でのシンポジストに指名されました。仕事で家庭を顧みなかったことの罪滅ぼしもあり、数度、家内を国際学会に連れていきましたが、日中ほったらかしにするため、そのうち一緒に来てくれなくなりました。
1997年Lancetに投稿した論文"Cancer screening with whole-body 18F-fluorodeoxyglucose positron emission tomography"が掲載され、私にとっては快挙でした。この間PETの英論文を10数編書き、学会でのシンポジスト、講演依頼を受けました。また大学に戻ってからもPETの研究を続け、2005年に株式会社セコムより寄付講座「セコム健診・腫瘍学講座」のお申し出を戴きました。
 大学ではクリクラディレクター、OSCE外科手技の責任者など教育業務が増え、市川先生のご指示で、総合試験準備問題集の編集に初期から当たってきました。学生教育では悔いを残したくなく、講義準備には時間をかけていますが、効果的な授業についてはまだまだ改善の余地があると思っております。
 病院業務では副院長として医療安全を担当しております。重大医療事故が一旦発生したら、その事後処理は大変です。医療事故の芽を小さいうちから摘むために、医療安全に取り組んでおりますが、これはかなりの業務量になっております。
 現在、最も不本意なことは一つ一つの仕事にじっくり取り組み納得しながら進む、ということができないことです。仕事量は多く、大学病院勤務医には余裕(精神的、時間的、経済的)が欠落しているとの意見を聞くと、我が意を得たりと思います。しかし大学には優秀な人が多く刺激的です。
 東海大学医学部は他大学にない改革を続けてきております。また伊勢原の付属病院が大変頑張って、経営努力で在院日数が短く、黒字経営ができていることは誇りです。非力ではありますが、医学部と付属病院の発展に貢献できるよう真摯に取り組みますので、何卒皆様のご支援を宜しくお願い申し上げます。




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