星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第39号)
 〜平成20年9月1日発行〜


卒業生の学内・学外教授誕生

教授に昇格して
東海大学医学部内科学系神経内科学
瀧澤 俊也(2期生)

2007年4月1日より内科学系神経内科教授を拝命いたしました。
 私は昭和51年に二期生として東海大学医学部に入学し、その後34年間東海大学にどっぷりつかっています。学生時代に生理学の故高比良教授の“Claude Bernardの蛙の坐骨神経の講義”を聞いて神経生理に興味を持ち、臨床の講義で篠原幸人名誉教授の“理路整然とした神経内科学の講義”に感銘を受けて自分の進む道が決まったのではないかと今感じています。すなわち、学生時代での講義の印象が私の人生の方向を決めたのかもしれません。そう考えるとこれからの学生の講義に一層の力を入れる必要があると痛感しています。  さて、東海大学医学部神経内科では神奈川県西部地区を中心とする医療圏で急性期脳血管障害の診療に全力を傾けています。特に発症3時間以内の脳梗塞患者に対し臨床所見、画像診断をもとにrt-PAによる超急性期治療を行っており、日本でも屈指の患者数を誇っています。今後はさらに、救命救急部、脳神経外科、放射線科等と協力体制を取り、interventionを含めた多面的な脳血管障害の診療体制を構築し、脳梗塞患者の機能予後の改善に寄与していきたいと考えております。
 以上の日常診療に加えて、大学病院でなければできない10年先を見越した臨床研究を計画していきます。2007年6月より急性期脳梗塞患者を対象とする臨床研究「G-CSFを用いた神経保護・再生治療に関する研究」を開始しており、急性期治療のみならず亜急性期や慢性期での神経再生を視野に入れた治療法の開発を進めていきます。また、新規の脳保護薬の研究開発も水面下で進めており、将来は前臨床研究へ繋げていきたいと考えております。さらに現在実際の臨床において血小板凝集に基づいた抗血小板薬の選択を実施しており、日常診療の中に学問的エビデンスを加えた疾病治療や予防に貢献していきたいと思います。
 東海大学医学部も創立から30年以上を経ましたが、未だ本学出身の教授は少ない状況です。母校出身者が科の長になり、自分の母校の明日を任すことができる人材を育てることが、自分のこれからの一番大きな仕事であると考えています。実際の日々の臨床においても、現場の医師と同じflatな視点で若い医師に接し、教育・医医療・研究に携わっていきたいと思います。また、東海大学全体の視点からみて他学部との教育・研究の連携を図ること、東海大学病院群との連携・活性化を深めることは重要な課題であると考え、是非実践していきたいと思います。日本中に散らばっている東海出身者が、誇りを持って自分の出身校を名乗れるように教育・研究・臨床の実績を上げていきたいと思いますので、今後とも皆様のご指導、ご協力をお願いいたします。


防衛医科大学校教授に就任して
防衛医科大学校内科学講座(感染症)
川名  明彦(5期生)

 平成20年4月、防衛医科大学校内科学講座に新設された感染症内科の教授を拝命いたしました。教授といいましても、当科はまだ私一人で、これからスタッフを集めて教室を作っていくことが私の最初の仕事です。初めて着任した施設で、一人で新しい科を立ち上げる仕事は無謀とも思える難事業ですが、大変やりがいのある仕事です。現在、防衛医大の先生方に助けていただきながら奮闘中です。
 星医会の先生方の大部分は、防衛医大についてあまりご存じないと思います(かく言う私も今回の異動までほとんど知りませんでした・・・)ので、簡単にご紹介いたします。防衛医大は、 新宿駅から西武線で約40分、緑多い埼玉県所沢市にあります。学校の敷地は東海大学湘南校舎に匹敵するくらい広く、恵まれた環境です。防衛医大は、医師たる幹部自衛官を養成するという明確な役割を持っておりますので、卒業生の多くは医官として自衛隊病院などで活躍しています。ただし、防衛医大の附属病院は普通の大学付属病院と変わらず、特定機能病院として一般市民の診療において地域の中核的役割を担っています。防衛医大は東海大学医学部と同様に昭和55年に1期生を輩出していますので、例えば5期生というと、東海大学の5期生と同年卒になり、分かりやすく親しみが持てます。
 ここで自己紹介をさせて頂きます。私は東海大学医学部を昭和59年に卒業いたしました5期生です。母校の第2内科(呼吸器内科)で故 山林 一教授、太田保世教授をはじめ多くの先生方の御指導のもと、呼吸器内科の臨床を学びました。同61年、大学院では微生物学教室(佐々木正五医学部長、小澤 敦教授)で細菌学の基礎を学び、平成3年、英国Royal Free HospitalでHIV/AIDSに関する基礎研究を行いました。平成7年、新宿区にあります国立国際医療センター呼吸器科(工藤宏一郎先生)に移り、平成14年には同呼吸器科病棟医長、平成16年からは同センター内に新設された国際疾病センター医長を務めさせていただきました。この間、呼吸器感染症一般、結核、感染制御などの臨床の他、輸入感染症、新興感染症対策にも関わりました。特にSARSや鳥インフルエンザに関連して国際協力機構(JICA)の国際緊急援助隊専門家としてベトナムやインドネシアで調査・支援を行ったのは貴重な経験でした。近年は、厚生労働省新型インフルエンザ対策専門家会議にも関わらせて頂いております。このような経験が少しでもお役に立てるよう努力したいと考えています。
 これまで母校東海大学で多くの先生方、同窓生の皆様方に御指導いただいたこと、ならびに、この異動にあたり、東海大学医学部星医会、5期生会、旧第2内科、サイクリング部、他の皆様にも激励していただいたことを、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
 東海大学で学んだことを糧として全力で務めてまいりたいと思います。また、体力の要る仕事ですので、医者の不養生にならないよう、好きな自転車に乗る時間を少しでも確保して健康に留意しつつがんばりたいと思います。今後も変わらぬ御指導のほどよろしくお願い申し上げます。(本文中の各先生の役職は当時のものであることをお断りいたします)



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卒業生の学内准教授誕生

今年は長田恵弘先生(泌尿器科:1期生)、千野 修先生(消化器外科:6期生)、村松俊成先生(産婦人科:10期生)、佐藤温洋先生(内分泌内科:14期生)、古屋博行先生(公衆衛生:16期生)が准教授に昇格されました。

准教授に昇格して         
     −消化器外科学との出会い−
外科学系消化器外科学 千野 修(8期生)

 このたび、平成20年4月1日より外科学系消化器外科学准教授に昇格させて頂きました。ご推薦下さいました外科学系長 幕内博康教授、消化器外科診療科長 生越喬二教授に深謝致しますとともに、御礼申し上げます。現在は食道外科を専攻していますが、今回は優秀な外科医の諸先輩、そして消化器外科学との出会いについて触れたいと思います。
 私は1987年卒業の8期生で、大学時代は高校から続いて野球部に所属していました。1985年、5年生のときに東海大学交換留学プログラムによって8月からの約8ヶ月半をNew York Medical College(NYMC)で過ごす機会に恵まれました。NY到着後間もなく、日航機が御巣鷹山に墜落したニュースをTVで見たことを記憶しています。当時、外科腫瘍学(乳腺外科)教授でありましたRoy H.Ashikari(芦刈宏之)先生に大変にお世話になりました。大統領夫人の手術も執刀された名医であり、1日に4例もの手術を担当されていました。さらに外科医らしい豪快で親分肌の先生には大きな影響を受け、外科学の素晴らしさを教えて頂き、私が外科を意識した契機となりました。帰国後も先生の来日の際には家族でお会いし、非常に懐かしくそして有り難い気持ちになります。後に妻とNYを訪れ、芦刈先生そして当時の留学生であった後輩達とManhattanのoffice近くで食事をしたことは良い思い出です。学生時代とくに心臓血管外科 故正津晃教授の講義がわかりやすく好きであったこともあり、卒業後は旧第一外科に入局しました。同期の研修医は有泉君、城田君との3人だけでしたが辛いながらも楽しい日々でした。研修医2年間に内科研修は一度もなく外科一色でした。2年目の後半に大磯病院外科をローテーションし、故花上仁先生の御指導を受けました。花上先生は消化器疾患全般以外にも血管外科を担当され、その守備範囲の広さに憧れました。また学会や論文発表にも積極的で、私も初めての症例報告として学会発表と論文発表を御指導頂きました。研修医2年目として一般外科の楽しさと魅力を実感した私は花上先生に御相談し、三富利夫先生率いる旧第二外科に移籍することにしました。当時、退局をご許可頂き温かく送り出して下さった正津先生には感謝しております。3年目は国立埼玉病院外科に出向し、現病院長の牛島康栄先生の御指導により多くの手術を経験しました。自らが検査を担当し診断して執刀することの緊張感と充実感、また同時に責任の重さを強く感じました。外科手術手技習得のために経験した手術の内容を詳しく記録しました。また、本やビデオを幾度となく見直し、担当以外の手術では見学しながらメモを取って手術サブノートを作ったことは“自分だけの教科書”となり、後にも大変役立ちました。執刀医として手術を担当させてもらえるようにハングリー精神をもって日々を過しました。手術中の逆境で足が竦むような気持と無事手術が終了したときの達成感を経験し、合併症が起こったときには必死に対応し、元気に退院したときの安堵感と大きな喜びを得たことは今日の私の基礎となっています。4年目には大学に帰局し、5年目には同期の佐久間先生と共に4か月間のチーフレジデントを務め、日夜24時間体制で外科臨床を研鑽しました。大磯病院でも指導を受けた徳田裕先生にインストラクターを担当して頂き、緊急手術など多くを御指導頂いたことは何かの縁を感じました。多くの症例を経験する中でも幕内博康先生の洗練された手術は憧れであり、直接指導して頂けたことは大きな財産となりました。手術手技だけではなく診断から治療までの一貫性、手術と非外科的治療の接点といった総合力としての外科学の重要性を説いた幕内先生の優れた指導力と、そして懐の深い優しさ溢れるひととなりに引かれ、当初は全く縁のなかった食道外科を先攻することになりました。現在は消化器外科食道班の一員として同僚の先生と共に年間約90例の食道癌根治術を行なっています。また、幕内先生から頂いた研究テーマである食道表在癌の発育進展と細胞増殖活性について病理学長村義之教授の御指導を頂き、学位論文となりました。
 多くの先生との出会いがあり、導かれて消化器外科学そして食道外科へ進んできました。御指導頂いた諸先生に大変感謝しております。食道という臓器の奥深さを知りつつ発展途上ではありますが、諸先輩や後輩との多くの出会いを大切にして診療、研究、教育に精進したいと考えております。今後とも御指導下さいますよう心からお願い申し上げます。


准教授に昇格して
専門診療学系産婦人科学 村松 俊成(10期生)

 このたび三上幹男主任教授よりご推薦をいただき、産婦人科准教授に昇格させていただました村松です。昇格に際しユーモアある原稿を寄せるよう金渕星医会会長よりいわれましたので硬い話しはやめて、といっても元来硬い難しい話しは苦手なので今感じていることを書こうと思います。
 20年前の1989年3月、昭和から平成に変わろうとする歴史の節目の年に医師国家試験を向かえ運良く合格できました。当時わたしは医者になるならメスを握れる外科系にと決めていました。脳外(ノーゲ)、心外(シンゲ)、般外(パンゲ)と「・・外」なる名前の響きのかっこよさに憧れ、子供の頃に見た「脳外科医ベン・ケシー」のテレビドラマで、半袖の肩空きショート白衣から太い腕が出たケーシー・スタイルは衝撃的でした。そんなわたしが「・・外」の希望を諦めたのは医学部5年の臨床実習(当時はポリクリといってました)でした。外科のポリクリはレポートに当てられた患者さんの担当医と、マンツーマンで2週間を過ごすやり方でした。外科の1日は朝7時30分からの病棟回診、オペ、オペ後ICU管理、患者カンファ、次の日のオペ確認、入院患者のデーター収集と伝票張り(以前は研修医が患者さんのデーターをカルテに全て貼り付け教授回診に間に合わせていました)、緊急患者の対応、深夜12時頃から担当医と遅い夕食(もちろんオゴリです)、プラス担当患者のレポート作成。と日々の外科医の生活を満喫したわたしは、一方では興奮した有意義な経験をし、もう一方では自分の外科医としての体力に限界を感じていました。「この生活はわたしには無理か?」と思い、他にメスを握れる科を探し産婦人科に決めました。皆さんもご存知のように、今産婦人科は「医学生から敬遠される過酷な科」のひとつとなっており、数少ない産婦人科医は絶滅危惧種とまで呼ばれています。「これは、ちょっと思惑がはずれたかな?」と後悔している次第です(実はまったくそんなことはなく、はずれの当りと思っています)。数年後、外科のポリクリでお世話になった先生の奥様の出産に主治医としてお手伝いできたことはとても光栄でした。
 1980年から1995年頃まで婦人科では篠塚孝男先生(後:東海大産婦人科教授)が、進行・再発卵巣癌患者に対する造血幹細胞(または自家骨髄)移植併用大量化学療法の臨床研究を進めておられました。今でも進行卵巣癌は再発しやすく死亡率の高い疾患です。手術後に通常量の数倍の抗癌剤を投与し残存癌を死滅させ、抗癌剤の副作用である強い骨髄抑制を造血幹細移植で抑えようとするものです。感染の防止目的で患者を無菌病棟で管理しますが、長期間の強い骨髄抑制によって感染が重症化し、敗血症に陥る場合も少なくありませんでした。
 このような臨床経験から「どうすれば癌に有効で副作用の少ない抗癌剤治療ができるのか。」の命題のもと、牧野恒久先生(当時:産婦人科主任教授)の薦めで2001年1月から米国Yale大学医学部薬理学のSartorelli’s Labにポスドクとして留学させていただきました。研究は「薬剤耐性遺伝子ノックアウトマウスを用いた抗癌剤毒性の違い」です。正常細胞や癌細胞の膜表面にはATP-binding proteinがgate(門)として存在し細胞内に入ってきた抗癌剤をpumped out(外に追い出す)する働きをしています。この働きを失わせたノックアウトマウスでは、極少量の抗癌剤でも強い細胞障害を生じ時に致死的な毒性を示します。そこで正常細胞では門の働きを強くして抗癌剤を強く排出させ、癌細胞では逆に門の働きを抑えて少量の抗癌剤で細胞死を招かせる事が可能となるのです。Labでは常時300-400匹のノックアウトマウスを所有し、必要に応じて各種の抗癌剤投与の実験を繰り返し行いました。留学中は正に「ねずみの主治医」の生活で、同僚のDennis(現:New York, Rosh研究所)とふたりで毎日ねずみの世話に励みました。
 研究員は各々2週間に1回、朝8時にボスと面談し、実験成果の発表と失敗の問題点、今後の方向性と時に研究費の使い方を事細かく相談し、研究のプレシジョンを高めていきました。
 Sartorelli教授や同僚らと過ごした2年3ヶ月は、基礎研究の厳密性、ものになる結果を出すための研究への貪欲さを、深く楽しく学ばせていただきました。



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世界水準をいく内分泌内科医でありたい
内科学系腎内分泌代謝内科学 佐藤 温洋(14期生)

 お前は何故、内分泌学を選んだのだと訊かれることが時々ありますが、人との出会いと偶然が重なったとしかいいようがありません。ただ、学生時代に生理学の講義で、恒常性維持こそが人体にとって重要で、それを司っているのは内分泌系と神経系であると教わり(確かクロード・ベルナールの実験医学序説を片手にした高比良先生だったような気がします)、内分泌系の階層性、フィードバック機構の精密さに多大な興味を持ちました。この時に内分泌学を選択するという進路が決まったのかもしれません。
 無事、東海大学医学部を卒業し研修医生活が始まりました。小児科研修医時代に、小児内分泌が御専門だった篠原治先生から内分泌臨床の面白さを教わりました。小児科で随分と良くしていただいたのですが、研修医終了時に内科専攻を希望した僕に、篠原治先生は、北里大学から腎代謝内科にいらしたばかりの阿部好文先生を紹介して下さいました。それで研修医時代にローテーションをしなかった、当時、堺秀人先生が主宰されていた腎代謝内科への大学院進学を決めました(皆からは無謀な奴だといわれました)。堺秀人先生は、本当に自由な大学院生活を僕に送らせて下さいました。阿部好文先生には臨床や研究のみでなく、スライドやポスターの作り方まで教えていただき、アメリカ内分泌学会参加のため出発する前日の夜中まで医局でポスターを作ったことを懐かしく思い出します。篠原治先生も阿部好文先生も、これが生涯の恩師というものだ、といえるくらい僕にとっては強烈な先生方で、今でも御指導をいただいています。
 大学院3年生後期から1年間程、まとまった研究期間をいただけることになりました。阿部好文先生と相談の上、外の施設に行ってみることにしました。研究のキャリアなど無い僕を受け入れてくれたのは国立がんセンター研究所病理部の廣橋説雄先生(現国立がんセンター総長)でした。廣橋説雄先生は大変インパクトがある方で、人がやらないことをやりなさい、夢は無いのかロマンを語れ、と常に発破をかけて下さいました。廣橋説雄先生は峻厳で尊敬できる先生でした。また日本中の大学から研究のため国立がんセンター研究所に派遣されてくる様々な背景の研修生と切磋琢磨できたことは僕にとって大きな刺激になりました。この時に骨軟部肉腫を対象にして行った病理学研究が学位論文になりました。研究テーマ自体が内分泌学どころか内科学ですら無いのに、東海大学医学部はよく認めて下さったと感謝しております。そして、この研究期間に身に付けた実験手技やデータのまとめ方が後で大きく役立ち、もちろん今も役立っています。そして国立がんセンター研究所で仲良くなった主任研究官や実験助手の人達とは今でも交流があります。
 大学院を卒業後、市中民間病院に2年間勤務し、臨床医として鍛えられて東海大学医学部に戻り今年で7年目になります。本格的な内分泌臨床はここから始まりましたので意外と短いような気もしますが、内分泌学が扱う特定の臓器、組織は無くホルモンを介して恒常性維持に係わる臓器、組織が全て対象になりますので最初に広範な領域を経験することができて良かったと思っています。
 自分の経緯を振り返って改めて何故、内分泌学を選択したのか理由を考えてみますと何だかはっきりしなくなってしまいました。でも、どういう内分泌内科医でありたいか、と訊かれたらそれは直ぐに答えることができます。世界水準をいく内分泌内科医でありたいと思っています。内分泌疾患は稀であるという拭い難い誤解がありますが、恒常性維持の破綻こそが疾病であると理解するのであれば、あらゆる疾病に内分泌が関与しているのであって、その理解と対応こそが医学に携わる人間にとって必要であると確信しています。
 内分泌学の進歩は目覚ましく、新たなホルモンや疾患責任遺伝子の発見、検査法や治療法の開発が続いています。そういった学問の進歩に遅れることが無く、日々、診療にあたっている患者さんを通して新たな発見ができる内分泌内科医でありたいと思っています。それが世界水準の医療を提供できることに繋がるのです。
 最後になりましたが猪子英俊先生、高木敦司先生、長村義之先生、中澤博江先生、玉置憲一先生、渡辺慶一先生、渡辺エリカさん、学生時代からの友人達、その他、大勢の方々に感謝致します。


准教授に昇格して
基盤診療学系公衆衛生学 古屋 博行(16期生)

 この度は若輩ながら准教授に昇格させて頂きました。これも先輩の先生方の御指導のお陰と感謝しております。さて日頃、本医学部の2年次で臨床応用物理学、疫学入門を、4年次で公衆衛生学の講義を先生方の御協力を得ながら担当しています。これら基礎教育科目の授業を通して、高校で理科系選択科目を習得してない学生さんが半数以上とその数が多いことや、様々な学力レベルの学生さんがおられることから授業の進め方で難しさを感じることもあります。根拠に基づく医療(EBM)や医療技術の高度化に伴い医学部の学生さんに要求される知識も年々増加しており、授業法の工夫等試行錯誤しながら出来るだけ多くの学生さんに満足出来る授業となるよう今後も取り組むつもりです。
 研究面では公衆衛生学が幅広い領域を含んでいることから、微々たる進捗でありますが感染症、生活習慣病、高齢者での生活の質(QOL)等幅広い分野に取り組んで来ました。臨床研究の面でも同窓の先生方と共同で研究出来る機会があればと考えています。
 また、最近では患者さんの満足度を高めることに少しでも役立てればと院内感染対策や医療安全対策についても参加させて頂いております。4月からは同時に伊勢原システム部次長を拝命し教育・研究面での情報環境の向上を期待されておりますが、まだ至らない点が多く、今後先生方の御指導、御支援を頂戴しながら前進出来ればと考えています。今後ともよろしくお願い致します。




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