星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第40号)
 〜平成21年3月1日発行〜


巻頭言

継 承
松前 光紀(3期生)

医学部開設から現在まで
 1974年4月東海大学は、神奈川県伊勢原の地に医学部を開設しました。当初は、医学部を湘南校舎にそして臨床実習を平塚市民病院でと計画したそうですが、文部省が自前の付属病院を持たない場合医学部は認可しないと難色を示したそうです。そこで急遽、伊勢原市の望星台にあった野球部のグランドに、当時東洋一と呼ばれた医学部と付属病院が建築されました。当時から野球部は東海大学の中で花形であり、この野球部のグランドを移転させてまで医学部の建築を推し進めた大学の熱意に、佐々木正五初代医学部長は身の引き締まる思いであったと後に述べられております。この建物は学部棟と病院棟が一体化されており、また数々の斬新なアイディアが取り入れられ、今でも病院建築の代表作と呼ばれています。聞いた話では、建築学の教科書では必ず取り上げられる病院建築だそうです。
 東海大学医学部は一期生から多くの学士入学を受け入れています。一期生では薬学部出身の前同窓会長中瀬古先生と宮坂先生方など多数おられます。二期生では、東海大学理学部出身で眼科の河合教授が続いて入学されています。学士入学者が2年生以降に編入学するようになったのは、三期生の清川先生と灰田先生からです。三期生であった私たちは2年生最初のガイダンスの席上、前方の席に陣取るこのお二人を「だれか親をガイダンスに代理出席させた!」とささやいていたとき、いきなり医学部長に今日から君たちの仲間が増えると聞かされビックリしたのを今でも思い出します。この学士入学を医学部で受け入れる流れを、その後多くの医学部が追随することとなりました。
 さて開設された医学部では、先進的な医学教育の教授法が展開されました。1年生には初期病院研修として、今も続いている医療の現場を体験させるコースが設けられました。私は、小児科病棟の看護助手さん、呼吸器内科病棟のクラークさん、循環器内科の医師に付いて医療の現場を体験した思い出があります。低学年では伝統的な講義の方法が主体でありましたが、学年が進むと、複数科の教授が合同で授業を行うユニークな講義形態が我々学生の脳裏を刺激しました。例えば慢性腎炎の講義だと、生理学、病理学、腎臓内科、泌尿器科といった教授が同じ教室に集合しお互い協力しながら授業を展開していました。最初にこの講義を受けた私の感想は、正直言って授業内容より「みんな仲がいい」でした。東海には「白い巨塔」という言葉は存在しない?そう最初から「医局制度」や古い医学部の体質は排除されていたのです。さらに高学年になると、どんどん臨床の現場に学生が投入されていきました。いまの言葉で表現すると「クリニカルクラークシップ」ですが、当時他の医学部で行われていた臨床実習と異なり、手術の手洗い、外来での初診患者の問診、入院患者の受け持ちなど、学生は医療スタッフの一員として現場から学ぶ事を求められ、いまでは当たり前の光景が30年以上も前から東海大学で行われていたのです。また基本的な診察技術のテクニックについてもユニークな教授法が行われていました。眼科では二人ペアーでお互いの眼底をスケッチして、最終日に教授自らそのスケッチと実際の眼底をチェックする実に丁寧なクラークシップが行われていました。学生全員の眼底を自分の眼で確かめた眼科の教授は、おそらく東海大学だけだったろうと思われます。後に近くの眼科開業医のところで眼底写真を撮って、これをスケッチする行為が発覚したため残念ながらこれは中止となってしまいました。先日ある研修医に患者の眼底検査をさせたところ、「先生まぶしくて診えません」と自分の眼に光を当てている姿をみたとき、改めて自分が受けた貴重な体験を思い出しました。
 ところで私はなにも「昔は良かった」と言っているわけではありません。同窓生が体験した東海大学での医学教育は、設立当時から現在に至るまで最先端を走り続けており、今も多くの大学から注目されているのです。ですから言葉だけの医学教育改革や、大きくその制度や方針を転換する必要はないのです。医学部創設時からの精神を「継承」し、優秀な人材を輩出し続ける東海大学医学部を、同窓生ひとりひとりが見守り、そして先人が示した路線から外れようとしているときは、そっと修正を加えてあげればよいと思っております。
ご子弟の入学をお考えの同窓生へ
 次に支部会などのとき多く寄せられる入学試験の制度に関する質問に、私がわかる範囲でお答えいたします。本学医学部の偏差値は高いのは皆さまよくご存知だと思います。しかし正規合格者の中からは、国立大学の合格発表が終了すると沢山の入学辞退者が出ます。そこで大学は補欠合格者の中から順番に繰り上げ合格者を通知してまいります。この順番はきちっと成績順で行われ、たとえ医学部長であっても関与はできません。大学は国から補助金を受けております。この補助金は入学定員の1.1倍、つまり2008年の場合定員100名に対して110名を超えて入学させると、その補助金が減額されてしまいます(つまり109名までOK)。大学は3月中旬から下旬にかけて、できるだけ多くの入学者を確保するため、あと3人、もう1人と補欠合格者へ成績順に電話をかけ入学の意向を探ります。この時点で多くの受験生は入学金・授業料などを納付しておりますが、3月31日までに将来にわたる金銭的負担を危惧して入学辞退を申し出た受験生には、いったん収めた入学金以外を返納する義務が生じます。毎年1−2名がぎりぎりの時点で辞退しますので、担当者は4月1日以降入学式の直前まで補欠合格者へこれも成績順に電話攻勢をかけます。大学として補助金カットは痛手が大きく、しかし入学者はできるだけ確保したいのが正直なところなので、1人余裕を見て108名の入学者を確保するように努力している模様です。
 そこでいま偏差値の高い本学医学部へご子弟の入学をお考えの同窓生に提案したいのは、全国にある「付属高校からの推薦枠」の活用です。2008年は30名の推薦が付属高校からあり、そのうち医学部での面接の結果22名が入学しております。付属高校の場合、全国の付属高校で行われる統一試験の結果と人物評価で推薦者が決定されますが、単純に学力や倍率を考慮すると最も東海大学医学部へ入りやすいルートがこの付属推薦枠と思われます。もちろん付属高校の所在地やその環境を危惧される意見があることは承知しております。また中学生に東海大医学部一本で行けと決断させにくいとの心情も理解されます。しかし現状を細かく分析するとこのような情報が提供できますので、会報の紙面をお借りして報告させていただきました。2009年は医学部定員が10名増え、一般入試枠が40から50名になっていることも追記させていただきます。
 いま多くの同窓生のご子弟が医学部に入学されております。一番上の方は今年初期病院研修を東海大学病院で終了され、引き続き専門研修を本学でお受けになられます。ときどき謝恩会の席で懐かしい同窓生に再会することもあります。またクリニカルクラークシップや研修医と接するとき、「父は松前先生の先輩です!」と声をかけられヒヤッとすることがあります。失礼のない対応はしておりますが、臨床実習や研修の場ですのでご勘弁をいただければ幸です。今後も多くの同窓生子弟が、東海大学医学部の精神を「継承」するために仲間に加わっていただければ幸いです。
最後に
 さて私事になりますが、長年にわたり勤めさせていただきました。 同窓会の役員をこの1月で退任させていただきました。旭川、弘前、 仙台、新潟、宇都宮、藤沢、茅ヶ崎、相模大野、小田原、静岡、松本、福岡、宮崎、熊本など各地で開催されました支部会やブロック会に参加させていただきました。朝方まで楽しく飲ませていただき、ホテルではシャワーしか浴びられずに、始発の飛行機で大学に戻った経験もあります。
 また私の講演に耳を傾けていただいた同窓生の熱意など、貴重な体験ができました。ここに深く感謝申し上げます。今後は一同窓生として、星医会の発展に寄与したいと思っております。
 最後に同窓生一同と星医会の益々の発展を祈念し稿を終えます。




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