星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第40号)
 〜平成21年3月1日発行〜


開業医のページ

開業のご挨拶
池田小児科クリニック 池田 博行

 東海大学を卒業して20年余りたって、作年4月1日に山形市松原で開業いたしました。
卒業して1度しか伊勢原は訪れていませんが町は変貌したのでしょうか?小生自身髪はだいぶ白くなり変貌をきたしております。大学病院の前に広がっていた梨畑は健在でしょうか?病院の食堂の定食はまだあるのでしょうか? 卒後20年以上の時間は振り返ってみると長い時間がたった事を実感します。小生は仙台市生まれで大学を卒業し山形県立中央病院で研修後東北大学医学部大学院卒業、石巻日赤病院小児科勤務後に山形大学の早坂教授に誘われて助手として15年前に山形にまいりました。その後は山形大学小児科講師を経て米沢市立病院、山形市立病院済生館を勤務してまいりました。小生は仙台の小児科開業医の息子でしたが開業志向がなく勤務医希望で医業を行っておりました。これまで人生設計に開業医になるということはなく、定年まで勤務医でいようと思っておりました。しかし次々と一緒に働く相棒が変わるとだんだん仕事がしにくくなり、世の中全体として勤務医が伸び伸びと働ける環境ではなくなってきていることに息苦しさを覚えました。最近政府の方針転換があり医師を増やしたり、勤務医の待遇改善を目的とした予算がつきそうな話があり少し早まったかもしれないと思ってはいますが・・・・・!
 実際に自分が開業するという言葉が頭に浮かんだのは一昨年1月2日、仙台の実家に母の顔を見に行った帰りでした。開業について考えただけでなく行動を始めたのが一昨年3月でした。行動開始したら一気に話が進みおよそ1年で開業となりました。実際クリニックを作ろうと思ったらいろいろアイディアがわいてきました。クリニックの間取りの設計はほぼ自分でしました。ポイントは待合室を2つにしたことです。流行病の患者さんと慢性疾患の患者さんを分けて待っていただくようにしました。診療時間も、土曜日の午後を16時までですがやっております。基本は慢性期の患者さんたちに利用していただきたく設定しました。外来でできる最高の小児医療を目指して診療を始めております。現在クリニックでは約30人の糖尿病の患者、約40人の甲状腺、成長ホルモン、思春期早発症などの内分泌疾患の患者、その他のてんかんなどの慢性疾患10人程度がおよび喘息がフォロー中となっております。いずれも診断がつけば外来診療が大事な疾患ですので今後もお役に立ちたいと思っております。今後もこの地域の小児医療に微力ながら貢献できればと思っております。


開業してみて
城田クリニック 院長 城田 庄吾

 皆様お元気でしょうか。医者になって21年、世田谷区二子玉川に開業して6年半が経ちました。卒後東海大学第1外科(胸部心臓血管外科)に入局、最初の2年間は研修医として、その後の3年間は一般消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科の関連病院へ出向、その後大学に帰局し小出教授、井上教授のもと3年間修行し(救急医学教室出向含む)、開業までの7年間を東京都済生会中央病院 心臓外科に勤務しました。
 都内はどこも開業ラッシュで二子玉川も例にもれず医療機関がひしめきあっています。近隣では、私の開業以前より第7内科の野本先生が開業されてご活躍されており、また3期の日原 徹先生が私とほぼ同時期に開業されいろいろとお世話になっております。当初は、今までのキャリアを生かして循環器に特化した医院を、と意気込んでいましたがいざ開業してみると周辺の住民はいわゆる「何でも相談できる町医者」を望んでいることがわかりました。私の1番不得意としているところです。が、そうも言ってはおられず、今では風邪はもちろん生活習慣病、気管支喘息、胃潰瘍、慢性肝炎、内分泌疾患などなんでも屋として診療に従事しています(もちろん患者さんの不利益になるような診療はしないように、必要な場合はしかるべき専門医にご紹介させていただいています)。往診もしますが、今流行りの在宅医療は私自身があまり好きではなく、患者さんがどうしても、という場合のみ引き受けています。ほかに学校医、医師会の仕事がありそこそこ多忙な生活を送っています。
 今の仕事が面白いかと問われれば仕事自体はそうでもないのですが、患者さんとの話は意外と面白いことに気づきました。病気とは全く関係ない食べ物やゴルフなど趣味の話、家庭内のもめごとやはては離婚相談など多岐にわたりますが、非常に興味深いものが多いです。一人あたりの診察時間が当然長くなりますから、待ち時間は伸びますし経営を考えたら良いことではないですが、つい話し込んでしまうことがあります。
 こんな感じで、開業医のページで拝見した先輩方のようなカッコいいクリニックではないですがマイペースでのんびりとやらせていただいています。今後は、やはり初志貫徹ではないですが、もう少し循環器に力を入れていこうと考えています。とくに診断精度をより高めることで、少しづつ増えてきた冠動脈疾患や弁膜症の患者さんのお役にたてればと考えております。
 最後に、ここまで辛抱強く教えていただいた先輩先生方に感謝しますとともに、今後の東海大学医学部および星医会のご発展を心よりお祈りいたします。



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あっという間に10年
高山クリニック  院長 高山 五郎

 星医会諸会員の皆様こんにちは。8期の高山五郎と申します。東海大学在学中、大学病院研修医〜助手時代の約7年間は、諸先生方には大変お世話になりました。その頃のハードな研修、勉強、数々の修羅場、仕事後の夜の時間(笑)、これらのいろいろな経験のおかげで、現在の私が成り立っております。本当に皆様のお陰です。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 現在、栃木県大田原市にて平成11年7月2日より『皮膚科・形成外科 高山クリニック』を開設し、地域医療の一端を担わせて頂いております。
 大田原市は、栃木県北部に位置し、栃木県北部の拠点地域であります。平成17年10月に近隣の湯津上村、黒羽町と合併し面積354.12平方キロメートル、人口約78,000人の地域です。鮎の漁獲量日本一の清流那珂川・箒川を挟んで、中・西部の那須野が原の平野部と東部の八溝山系の山間部に大別され、八溝山系のある東部地区は美しい山並みが連なる日本の原風景が残る地域です。早い話が大自然の残る田舎ということにはなってしまいます。
 卒業後形成外科入局、主に顎顔面外科、熱傷、顔面外傷、悪性腫瘍あたりを中心に勉強させて頂きました。平成7年1月(阪神・淡路大震災の年です)より獨協医大皮膚科学教室に手術班の一員として呼ばれ赴任したのが栃木との最初の関わりです。その後地元横浜に戻りけいゆう病院(みなとみらいに移転した直後でよかった!)皮膚科にて研修を積ませて頂きました。このとき慶応大学皮膚科学教室の見学生として毎週のカンファレンスに出席する機会を得まして、これが大変勉強になりました。
 私の皮膚科学の勉強は、東海大前期研修医時代のローテーションでの皮膚科研修がスタートですが、この時の教えが基礎中の基礎でいまだに生きておりますし、素晴らしいスタッフの先生方に指導頂いたことが幸運でした。その時の思い出に残っている一言をご紹介させて頂きます。東海大学病院の皮膚科外来は、2階の南側の日当りの良い所にあります。ある天気のよい午前中に「ここは日当りよくポカポカして気持ちいいですね」と私がつぶやいておりましたら、大城戸教授が言われました。「お前なぁ、ポカポカするからここを外来にした訳ではないぞ。皮膚病は自然光の下で診察するのが基本なんだ。」成る程と納得いたしました。その一言をクリニック建設のとき活かしまして、診察室、処置室の天井は全面トップライトにしました。写真の中央の突出している所がその場所です。天気のよい午前中は、蛍光灯いらずです。
 当院の特徴は、普通のことをきちんと普通にやる事です。あまり特殊な事には走らず基本に忠実に診療する事を心がけております。これは副院長である家内(やはり皮膚科医です)、院内スタッフ一同、共通認識としております。このことが「名医より良医を」のコンセプトに沿うものだと思っております。今後もわずかながらでも地域医療に貢献出来るよう続けていきたいと思っております。


開業太腕繁盛記
ニコニコこどもクリニック 院長 宮下 好洋

 8期生の宮下と申します。大学卒業後長らくお世話になった大学病院の小児科を退職し、平成18年5月に小田急多摩線の「はるひ野」という新しい駅の前に開業して、そろそろ3年になろうとしています。川崎市の最北部にある当地は、もともと広大な丘陵地を切り開いた新興住宅地で、開業前に下見をした段階では駅の周りには駅以外なにもない、文字通りの空き地でした。「こ、こんなところで開業できるのか・・・」と当初は半信半疑でしたが、よくよく考えてみれば人口の増加に伴い子供がこれからどんどん増えていく、小児科の開業としてはむしろ最も適した場所のように思えて来て、熟考の末あっさりと開業を決意しました。
 開業形態は6件のクリニックと薬局が集合するいわゆるクリニックモールで、約70台の駐車スペースを併せ持つ非常に恵まれた条件と思われました。が、いかんせん周辺人口があまりにも少なすぎたのか、はたまた不徳の致す所か、いざ開業しては見たものの思い通りには繁盛せず、クリニックの入り口からは患者さんよりダンゴムシの方がたくさん入って来る様な有様でした。周りを見渡せば広い土地に家やマンションをぼちぼち造ってはいる様なのですが、遅々として工事が進まず、早く町の人口が増えて欲しいというという焦りからか、施主でもないのに「もっと急いで造らんか!」と心の中で職人さんを叱咤激励する日々が続きました。この様な地道な努力にもかかわらずなかなか患者さんは増えず、頼りの退職金もかなり目減りし、これはちょっとどうしたものかと思い悩んでいたのですが、ある時小児科の先輩である竹末良三先生に「うちもそうだったが、5年間ぐらいはだんだん増え続けるものだから大丈夫である」と頼もしいお話を聞かせて頂きました。なるほどそういうものかと納得していたところ、はたしてその通りにだんだん患者さんが増えるようになり、いまではダンゴムシもあまり寄り付かなくなる程度に忙しくさせて頂いております。
 卒後20年を経て、学生時代、研修医時代、勤務医時代を通じて様々な出会いがあり得がたい友人を作ることができましたが、お互いに移動し、転勤を繰り返すうちに連絡が途絶え、こちらも退職してしまったため、ほとんどの方と疎遠になってしまっているのがとても残念に思われます。星医会会報を手にし、みんな元気でやっているかなぁとつい思い出してしまう今日この頃です。



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リハビリテーション医になって
山鹿温泉リハビリテーション病院 院長 田代 桂一

 今年は、丑年、年男です。卒後20数年たった近況報告を含め雑文を書きます。伊勢原から遠く離れた、熊本県山鹿市に、リハビリテーション専門病院をやっています。山鹿市は人口6万ぐらいの熊本県北部、福岡県と接する小さな温泉町です。私の病院も温泉源を持っています。私は、リハビリテーション科の専門医ですが、東海大に行ってなかったら、まったく違った人生になったのではないかと思います。東海大の卒業生でさえ、リハ医の仕事はイメージしにくいかと思いますが、リハビリテーション医学の教室がある大学は、現在でも数少なく(熊本大学には、リハ科の医局はありません、整形外科に含まれています。日本中、この形態が多いですが)、私自身でさえ、学生時代は、リハ科とか、まったく考えていませんでした、東海大の前期研修医のローテーションシステムにより、リハ科を経験し、リハ医になってしまいました(本当は、??科になる予定だったんだけど)。でも、結果的には正解だったと思います。
 当時の東海大のシステムは、現在の研修システムに比べると格段によかったのではないでしょうか。当院は、101床のほとんどリハビリ単科の病院で、地域リハ広域支援センター、療育支援センターを併設し、小児リハから回復期、維持期、高齢者のリハまで、地域のリハビリテーション中核病院として認知されています。外来レセプトでも30%近くがリハビリ訓練のみ、というのが自慢です。熊本臨床リハビリ医会を立ち上げ、代表世話人をやらせていただいています。熊本県脳卒中地域連携の会等でも仕事をさせてもらっています。
 また、当院には、私を含め4名の卒業生が顔を会わせます。生田義和君、山本 剛君は常勤で、前田篤志君が非常勤で来てくれています。時々、昔話に花が咲きます。
 現在も、東海大リハビリテーション科に席を置かせてもらっていますので、時々、東海大に行きますが、さすがに、最近は知ってる顔が少なくなって、大学にいく楽しみが減りました。
 熊本は結構卒業生が多く、思わぬところで会ったりします。やはり、学生時代の仲間と酒を酌み交わすのが、最高に楽しいです。但し、最近は、酒がめっぽう残るようになり、代謝の低下を痛感します。10歳から3歳まで4人の子どもがいますので、今年は飲みすぎに注意します。
 最後に、リハ医として導いていただいた、石田 暉先生に感謝いたします。


地域の診療所「わくさん内科」紹介
わくさん内科 院長 湧田 森明

 世界に変化が期待されるかもしれないと興味がそそられる大統領が今年誕生しました。戦後から続く日本の基地問題にも何らかの影響が見られるかもしれません。沖縄県に開業する私としても良い変化であればと念ぜられずにはおられません。
 東海大学医学部を昭和62年に卒業後、琉球大学医学部で研修させて頂き消化器内科を専攻、19年後の2005年2月にわくさん内科を開業しました。開業し早4年になる私の小さい診療所は沖縄県の中部に位置する中城(なかぐすく)村にあります。診療所からは中城湾の海が見え、後ろはゴルフ場、すぐ近く(車で5分程度)には世界遺産の中城城跡があり自然に囲まれた恵まれた環境の中に立地しています。当院に通院する方々は3歳児の児童から現在は100歳に手が届くところにいるお年寄りまでで、毎日が忙しい日々ではありますが充実した日々を送っています。借金もまだまだ、子供の教育費もまだまだの私ですが、今は開業して本当に良かったと思っています。...診療費のかわりとしてではありませんが手作りの野菜や果物やクッキー、海で収穫してきた獲物(貝、モズク、アーサなど)持参で来院する方も多く、皆さんにはほんとうに良くして頂いております。街中では味わえない田舎の診療所での雰囲気です。開業を喜んでいる私ですが、実を言うと50歳も超えた私には当初さらさら開業する意思はさらさらありませんでした。趣味として続けていた毎週1回テニスサークル仲間の皆の一言がきっかけでした。共にテニスを楽しみビールを飲む仲間は全員元気者、年齢も20歳から60歳を超えるまでと広範囲で職種も様々で汗を流した後のコート脇で飲むビールと会話が毎週の最高のくつろぎ時間でしたが、そのくつろぎタイムの会話の中で「老いてもテニスができ、海でも遊べ、共に楽しく過ごせ、一生笑いながら送れる老人ホームが・・・」と言う話がでました。始めは皆冗談のようでしたが毎週この話で盛り上がり、徐々に本気モードになってきました。ついには「すぐには老人ホームはできないから手始めに開業を・・・」という次第です。
 皆で入所予定の老人ホームはどうなるかわかりませんが、わくさん内科が中城地域住民のために少しでも役立つ事ができている事を非常に嬉しく思い、さらに今以上に貢献できればと願う私は、今も仲間に感謝しつつテニスを楽しんでいます。
 わくさん内科のモットーは「やさしさ、思いやり、誠実」です。これからも初心を忘れず診療に励もうと思っています。老化の始まりは筋力と気力の衰えです。57歳の私ですがますます若くなりたいと努力します。
 最後になりましたが在学中は本当にお世話になりました。「自分はなんと素晴らしい先生方、スタッフの皆様方に教育されていたんだ」と卒業後にますます感じていました。ありがとうございました。心から感謝致しております。この場をかりて厚くお礼申し上げます。
 今後の東海大学医学部と星医会のますますの御活躍と御発展を心から祈っております。
 2008年12月4日 まだ半袖半ズボンでテニスしている沖縄から




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