星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第42号)
 〜平成22年3月1日発行〜


開業医のページ

 毎年、卒業生で開業された先生方より近況報告の原稿をいただいて掲載しております。
本号では9期生に原稿依頼をいたしましたが、毎年3月号に本コーナーを設けておりますので、卒業期を問わず、投稿をお願い申し上げます。というわけで、今回は4名の先生方からの近況報告です。

思えば遠くへ来たもんだ
石田皮膚科メンタルクリニック 石田 義次

 星医会会員の諸先生方お元気でいらっしゃいますでしょうか。9期生の石田と申します。現在東京都武蔵野市で皮膚科医院を開業して15年目になります。東海大学を卒業して、大城戸教授(現在は名誉教授)のお人柄にひかれて皮膚科学教室に入局し、大学に4年と伊勢原協同病院に2年と海老名総合病院に1年の合計7年間大学に籍を置かせていただき、退職後すぐに開業しました。
 開業する場所はそれまで通勤に片道2時間以上かかっていたものですから、なるべく自宅の三鷹市に近いところでということで選びました。JR中央線武蔵境駅南口より徒歩6分、うちはマンションの地下1階、1階は調剤薬局、向かいには内科と歯科があり、小学校も目の前というよい場所ですが、東京都はどの診療科も同様と思いますが皮膚科専門医の新規開業も年々多くなっており、駅周辺の立地条件のよい物件はなかなか見つからくなってきて開業は結構大変でした。また医院名にメンタルクリニックとあるのは、家内が10期生の精神科医で(まだ勤務医ですが)、将来一緒に開業しようということでつけた名前です。
 皮膚科は入院を除けば、外来では病院と医院の診療の質に差が少ない科だと思います。それで入院以外はなるべく自分でと思ってこれまで診療をしてきました。手術も単純切除ならなるべく自分でやってきましたが、情けないことに最近老眼と腰痛がひどくなりなるべく知り合いの形成外科の先生にお願いしています。往診も5年前まではすべてお受けし昼休みや診療終了後に行っていましたが、一時体調をくずしたので現在は知り合いの先生からの紹介があった時のみ行っています。皮膚科医の往診はまだ少なく、患者さんのご家族や訪問看護師さんよりの問い合わせも多いため、またがんばってみようかと思っています。
 開業して8年目より精神的および経済的余裕?がでてきたので、木曜日の午前に小澤教授のご厚意もあり非常勤講師として講義をやらせていただいています。年数回ですが皮膚科の研修医を指導しています。ただ自分の子供とたいして年齢の変わらない人を教えるというのは結構感慨深いものがあります。また大学に行っても、一緒に苦楽をともにした先生方が少なくなっているのは悲しいものです。自分が医者になりたてのころは20年後の自分を想像もできませんでしたが、またこの先20年後はどうなっているのでしょうか。思えば遠くへ来たもんだ、これがこの文章を書きながら思った率直な気持ちです。星医会会員の諸先生方、どうぞお体にお気をつけて診療にはげんでください。


愛川町に開業して
あいはら耳鼻咽喉科 相原 均

 私は、昭和63年卒業の9期生です。父が耳鼻咽喉科で開業しているということもあり、東海大学耳鼻咽喉科の医局に入局しました。大学病院に約11年間在籍、その後大学の当時助教授でありました新川敦先生とともに退職し、クリニックを開業、3年3ヶ月間新川先生にお世話になりました。この間に開業のノウハウを教えていただき、平成15年5月に愛川町に開業いたしました。愛川町は、厚木の北、相模原の西に位置しており、相模川と中津川の間に挟まれた山と川の緑豊かな町です。鉄道の駅はなく、交通の手段はマイカーが中心で、本厚木駅からはバスで40〜50分かかります。このような不便な場所なので、愛川町には耳鼻咽喉科はありませんでした。また厚木の北部、相模原の西部にも耳鼻咽喉科はなく、人口あたりの患者数が、多かったため開業地として選びました。開業に当たっては、周囲と同じ診療ではなく、特徴を出すため、大学時代に専門だった鼻、副鼻腔の手術を行うことにしました。手術は、日帰りで、木曜日の午前中に手術日を作り、積極的に行っております。また、耳鼻咽喉科は、感覚器なので聴力検査など、各種検査機器が多く、大学病院レベルとまではいかなくとも、正確な診断をし、的確な治療を行うことを重視しました。医療機器もできるだけ各種取り揃えました。このため手術経験のある看護士、耳鼻咽喉科検査ができる技師を雇う必要がありました。幸いにも看護士、検査技師などのスタッフにも恵まれ、現在まで自分でもある程度納得できる診療ができていることと思っております。
 一人で開業し、日々診療していると、悪性腫瘍、入院が必要な手術をようする疾患、また自分では判断に困るような疾患、その他様々な不安、心配な事があります。このようなときに、頼りになる紹介できる病院が必要となりますが、母校である東海大学病院、愛川町から最も近い北里大学病院、愛川町の生活圏である厚木市の市立病院などに、日々お世話になっております。患者さんは、愛川町、厚木市、相模原市とほぼ3割ずつで、15歳以下の小児が7〜8割を占めます。冬場は、小児科のような状態になります。
 現在開業して6年半になりますが、開業当初の借入金も返済し、患者さんもある程度落ち着いて、やっと自分のペースで診療ができるようになりました。私は、スポーツその他、趣味も多く、そちらにも時間がとれるようになり、現在は、毎日充実した生活ができるようになりました。今後は、このような場所がら、より一層地域医療に貢献できるように、患者さんとの関係に重点のおいて、より良い診療を心がけたいと考えております。



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御礼と報告
平園クリニック 平園 賢一

 私は9期生の平園賢一と申します。大学で活躍している同期には脳外科の継先生や皮膚科の松山先生、循環器の出口先生、腎代謝内科の角田先生、救命救急の西海先生がおります。頼もしい限りです。
 平塚市岡崎で開業(内科・婦人科・健診)させて頂き10年が経ちました。今でも開業している自分が不思議なくらいです。恵まれた医療圏(病診・診診連携充実)と力あるスタッフ(看護師4名、事務3名)のお陰で、日々充実した診療をしています。また開業以来、東海大学(非常勤講師)では婦人科腫瘍外来を担当(隔週)させて頂いており、三上幹男先生には大変お世話になっています。また、地元医師会では分科会の会長などをしています。
 当クリニックでは、生活習慣病(高血圧、高脂血症、糖尿病など)、子宮がん・乳がんの予防と早期発見、SAS、CОPD、禁煙、健診など幅広いニーズに対応した総合診療を行ない、必要に応じて専門性の高い医療機関に紹介しています。
 学生時代から私の医師としての理想は、「病気を治す医学」だけでなく「病気にならないようにする医学」もやりたい・・・というものでした。すなわち「守りの医学」から「攻めの医学」への発想の転換がありました。現在は成人病から生活習慣病への名称変更が象徴するように、病気は予防できるという考えが啓蒙されていますが、当時はまだまだでした。卒業後、とにかく人間丸ごと診たいという気持ちもあり、「生老病死」が全て扱える産婦人科を選び薫陶を受けました。当時、難攻不落な卵巣がんを専門に選び篠塚孝男先生には本当にお世話になりました。また大学院では卵巣がんの薬剤耐性を研究させて頂き、長村義之先生には婦人科病理のイロハを教えて頂きました。この場をお借りして再度御礼申し上げます。
 8年目に伊豆日赤に出向となったのを機に、もう一度研修医となって内科を総合的に勉強したいとの思いが強くなり、無理を言って9年目の研修医として1年間内科をローテイトさせてもらいました。その後の所属は総合診療科(健診センター)となり婦人科外来も兼任と言う形で2年間務めさせて頂きました。健診センター時代は小川哲平先生の下で、各分野の権威の諸先生方の指導を受けながら検診・予防医学をじっくり考え実践させて頂きました。その経験が開業してから大いに役立っています。その後、縁あって湘南校舎と大学病院の両方が見え、富士が一望できる平塚の地で開業した次第です。
 後輩同期そして諸先輩の活躍はもちろんのこと、新病院となり益々発展している母校を見るにつけ、本当に誇らしく思っています。
 今後も星医会の皆様には公私にわたり大変お世話になりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。



のびのび、自由に、自分らしく
立石こころクリニック 熊倉 荘一

 星医会の皆様、ご無沙汰しております。地元葛飾に戻り精神科クリニックを開業をして無事1年が経過いたしました。お礼かたがた近況を報告させていただきます。
 伊勢原の付属病院勤務に戻り3年、日々の忙しさから南の島での余生を、毎日のように夢に見るようになった時です。精神科の医局の先輩、鹿野亮一郎先生から岩手県の釜石への赴任のお誘いを受けました。高給優遇、仕事はひま、岩手は銘酒、温泉、美女が有名。盛岡も近いとのことでしたので、生来人を疑うことのない私は二つ返事で東北行きを決めました。(たいした申し送りもできず、継先生と松山先生に星医会の仕事を引き継いでいただくことになりました、両先生はじめ役員の先生方にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。)
 東北ではバラ色の生活が待っているはずだったのですが、ちょうどその頃から、過疎地の医師不足が表面化してきました。釜石も例外ではなく、人口の4割が60歳以上という高齢化地域でもあり、認知症の患者さんの入院が急増しました。盛岡から遠く離れた地で、かつての美男美女にかこまれ、気がつけば院長代行などという職を拝命し、病院での臨床だけでなく、保健所や医師会との連携など多忙な生活のうちにあっという間に9年間がたってしまいました。しかし考えてみれば、都会のクリニックや総合病院しか知らなかった身には、地域で支える、という現場を経験できたことはとても貴重だったと思います。
 葛飾で歯科をしていた父が引退をする事となり、親孝行という単語をようやく思い出しました。地元に帰り、空いた父の診療所で精神科のクリニックを開業することとなり、釜石の常勤を続けながら週末東京に戻り開業の準備をしました。東京の状況もわからず、まして患者さんもいないという状況でしたので、無事立ち上がるか心配だったのですが、リーマンショックによる貸し渋りにも負けず、平成21年12月4日に無事「立石こころクリニック」を立ち上げることができました。
患者さんには「のびのび、自由に、自分らしく」
自分には「のんびり、ひっそり、こじんまり」をテーマにしております。予約制にしたことで自分でもゆとりを持って患者さんに対応できる、患者さんにも医者にも優しいクリニックに成長してくれそうです。
皆様のご支援もよろしくおねがいいたします。 
 最後に開業にあたり鹿野亮一郎先生、同期の村上健先生、同窓会の諸先生に様々なご配慮、ご指導、暖かい励ましをいただきましたことに感謝いたします。ありがとうございました。




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