星医会 東海大学医学部同窓会
 
 会報(第44号)
 〜平成23年3月1日発行〜


開業医のページ

 毎年、卒業生で開業された先生方より近況報告の原稿をいただいて掲載しております。
本号では10期生に原稿依頼をいたしましたが、毎年3月号に本コーナーを設けておりますので、卒業期を問わず、投稿をお願い申し上げます。
 というわけで、今回は5名の先生方からの近況報告です。

開 業
水島整形外科クリニック 水島 茂樹(10期生)

 10期生の水島茂樹です。平成20年7月に平塚市真田に水島整形外科クリニックを開業いたしました。この真田という地は平塚市の一番はずれで、秦野市と伊勢原市に隣接しており、当院は東海大学湘南校舎のすぐ近くにあります。星医会の会員の先生方の中には、伊勢原から湘南校舎へ真田を通って通学された経験があるかと思います。当時は全くの野山で民家もまばらでしたが、ここ数年開発が進み、かなり開けてきております。そもそもここで開業することになったきっかけは、私は学生時代にはサッカー部に所属し、整形外科に入局してからもチームドクターなどでサッカーにかかわることが多かったのですが、私のサッカーの師である東海大学体育学部教授だった宇野勝先生より真田にサッカー部の寮を建てるので、その隣に開業してサッカー部の学生の面倒を見てくれないかという一言でした。それまでは漠然と開業というものを考えていましたが、話がどんどん進み、あっという間に開業となりました。開院当初は周辺に人が少ないこともあり、諸先輩、同僚からかなり心配していただきましたが、人口が増えてくるにつれ少しずつではありますが、患者数も増えてきております。
 当院の患者層としては東海大の学生と古くからの住んでおられるお年寄りが多く、また年齢を問わず、スポーツ外傷の患者も多いです。当然のことながら東海大サッカー部の学生もよく来院します。サッカー部には医師になったころよりチームドクターとしてかかわっており、最初の頃は当たり前のことですが、学生とも年が近く、話をしていても違和感を感じませんでしたが、最近はもう自分の子供のような年代になっており、いささかギャップを感じるこの頃です。東海大サッカー部は現在関東2部リーグに所属しやや低迷気味ではありますが、微力ながらこれからもサポートしていきたいと思っています。
 私自身は勤務医から開業医に変わり1日中座っていることが多くなったため、体重が増加気味です。年に数度OBが集まりサッカーをしていますが、ほとんどの方々は現役時代とは打って変わって、見る影もない体型になっていますが、現役時代と変わらない先生を見ると羨ましい限りです。
 最後になりますが、当院は東海大学病院も近いうえに、周囲の病院に勤務されている先生や開業されている先生の中には卒業生の方々も多く、何かとお世話になっております。これからもよろしくお願いいたします。


故郷にて迷医しています
赤岡 史子(10期生)

 大学では絶対目立たない子だった。ご存じない方がほとんどだと思う。家は公務員で、私立医大は卒業まで精一杯、卒後は、給料も公務員扱いの自治医大に入局した。7年目で脳外科の専門医を取り、精神科を回らせてもらった。生活費のために年間150日以上当直をしていた。
 派遣先の病院で介護保険制定に伴い、在宅中心の診療所の立ち上げを任された。第T期のケアマネもとり、福祉と連携しながらの日々。H9年〜H14年まで主幹病院の在宅医院として開業医生活を送り、長女を出産。生まれる2週間前にALSの方を看取り、安心して出産となった。産後休暇もそこそこに、復帰。
 夜間の呼び出しは、哺乳瓶とオムツを持って長女を背負って行った。救急搬送の時、車内で点滴を刺し、蘇生しながら着くと(白衣は着ていたのですが)、看護師さんに「ご家族さんは外に居てください」と子連れ・おんぶの私は追い出された。救急隊の方が「救命処置中のDrです」と助けてくれた。
 当時癌の末期が多かった。レペタンでも効かない苦しみ。でもなぜか、呼ばれていくと、セルシン程度の注射で治まってしまう。「家に、呼べば先生はいつでも来てくれる。」という信頼関係が出来るとこれまたあまり呼ばなくなる。
 子供も歩くようになった頃、夜間電話が入り、用意しだすと「おうちん? (往診)」と聞き、自分も用意を始めた。一緒に行くつもりらしい。相手の患者様には申し訳ないが、家は夫は土帰月来で普段はいない。2歳の子を置いても行けない。仕方なく連れて行った。癌末期・腹水による肝皮膜の疼痛「痛―い。死んじまうー」の絶叫・過呼吸。『少し鎮静して…』アンプルを吸っていると、うちの子がいない! 爺さんのベットに乗って「ここ? ここが痛いの」「痛いの痛いのとんでいけー。あっちのお山に飛んでいけー」と御祈祷?をして、「早く治るといいね」と骨と皮の蛙腹の爺さんに抱きついた。一応注射も打ってはみたが、それより早く、患者様の顔は血の気がもどり、笑っていた。「先生悪かったね。もうすっかり治ったよ」と体を起こして見送ってくれた。1週間後に亡くなった。『医は人術なり』『名医でなくても良医であれ』を実感した。
 H14年故郷の長野に帰り、2人の子持ちになった。医院・デイケア・居宅サービス事業所をやっている。
外来の他、在宅支援診療所として、訪問診療30件・施設入所訪問診療50件を抱えている。脳外科をメインとしているがOPとは縁遠く、精神科の認定医の資格も生かし、日々認知の方々と(開業した8年前は普通のおばちゃんだったのに)向き合う日々になってきた。差し入れの野沢菜の味が、リンゴの形が変わっていく。長谷川式よりもっと正確に認知症を測れるスケールだと自負している。
 長野に帰り、北野病院の北野敬三先生、9期生の吉澤先生・鷲塚先生、12期生の高見澤先生と知り合った。毎年、同門生が増えていく。長野県の東海第三高校は南信、200km離れているこの北信の地にこれほど同門の先生がいたのかと改めて心強く感じ、今日も安心して診療にあたっている。



▲ページのトップへ


2世代共同診療
医療法人社団石山耳鼻咽喉科医院 
石山 浩一(10期生)

 東海大学医学部を卒業後、日本大学医学部附属板橋病院耳鼻咽喉科学教室(現:耳鼻咽喉・頭頸部外科学分野)に入局しました。その後日本大学医学部大学院医学研究科外科系を修了し、出向病院を経て、父親とともに現クリニックにて2世代同時診療を行なっております。クリニックのみの生活に専念してからは、10年程度経過しておりますが、2世代診療は医師スタッフが増える事による精神的安心面がある反面、お互いが主張し妥協点を見つけることが出来なければ協力関係が崩れる難しい面もあります。関係が近いだけに強固でもあり脆くもあります。従って、この共同診療を継続していくためには幾つかのポイントがあると思います。1つは、アナログ世代とデジタル世代の共同作業となりますので、長年診療の現場で培ってきたアナログ世代のノウハウを謙虚に受け止めつつ、ファイバースコープや電子スコープ等の道具面での利点を理解し、デジタルファイリングシステムの導入に参加してもらい、データ管理と患者さんのニーズに答えるべくインフォームドコンセントに積極利用してもらい、お互いに診療の質的向上にそれを活かしていく姿勢が必要であると考えます。ただ、あくまでも患者さんを中心にお互いに診療に関わる以上、基本的には最大限の協力関係を惜しまない体制作りが肝要です。2つ目としては、出来る限りの高給水準の維持が必要と考えます。何といってもお互いに生活があり、理想はどうであれ現実的には霞を食べて生活することは出来ません。高給水準を維持するためにはそれなりの経営手腕は必須で、そのノウハウは、先輩からも吸収していく必要性があります。3つ目は、共通の趣味の拡大をはかり、コミュニケーションの向上に努める事です。幸い、2人とも内耳の形態やその微細構造に興味を持っており、診療所のスペースに自家用の卓上走査型電子顕微鏡やデジタルマイクロスコープを設置し、余暇の時間をハトやモルモットの内耳の観察や研究、その結果の発表並びに著作に振り向けております。昨年来の新型インフルエンザのパンデミックにより動物実験が滞りましたが、現在、「内耳アトラス第3版」出版に向けて準備しております。4つ目は「健康」である事です。傘寿を迎えた父ですが、幸いな事に全くの現役です。正直これには脱帽ですが、2世代診療をうまく回転していくにはこの「健康が一番必要な要素です。
 いずれにしても、2世代診療を行なう上ではお互いに良きパートナーとして、その長所を認め合い、それをうまくコンバインし日常の診療に活かしていく事が重要と考えます。


医者って楽しい
大芝医院 大芝 玄(10期生)

 10期生の大芝と申します。現在、山梨県南アルプス市で『なんでも科』で開業しております。東海大学病院で内科研修医として3年間研修(いわゆる内科3年コース)して第2外科に入局した変わった人間です。第2外科史上最低のチーフレジデントと言われながらも終了し5年という短い間でしたが幕内教授の指導の下食道班で仕事をさせていただきました。もう少し大学で仕事をしたかったのですが開業している父親の身体が弱くなり地元に戻って診療所を継ぐことになりました。しかし、老いた医者(父親)から患者は離れ外来は1日10人前後ぐらいでした。診療所は築46年と老朽化していたため患者を増やすには隣に新築する事から始まりました。かなりの借金をして医療機器も充実させました。おかげさまで『楽な上部消化器内視鏡』と噂が広まり徐々に患者が増えてきました。下部消化管内視鏡はほとんどできませんでしたが東京病院の青木先生に御指導いただき独り立ちして『楽な下部消化管内視鏡』とこれも噂が広まって患者も増えています。高血圧の患者が一番多いですが高脂血症、糖尿病等内科の患者が中心ですが10年経た現在では外科、整形外科、小児科、うつ病、認知症の患者も少なくなく性同一性障害、嫁姑問題の相談まであらゆる患者を診ています。中には性転換手術をしてくれると噂を聞いて来院した方もいました(さすがに丁重にお断りしましたが)。
患者とお互いに悩み苦しみ、病気が治癒すればお互いに喜ぶ。医者は楽しい職業と感じています。私は患者に恵まれているのかも知れませんがお互いに分かりあう関係を作る様努力しています。
それが診療における私の信条です。くだらない文章を読んでいただきありがとうございます。星医会の発展を願っております。2年分の会費を早く払わなきゃ。



▲ページのトップへ


今、思うこと
章平クリニック 
湯浅 章平(10期生)

 東海大学卒業後、某先生の勧めもあり東京女子医科大学の第一外科学教室(現呼吸器病センター外科)に入局した時には、神奈川に戻ることは2度とないだろうなと少し寂しい気持ちでした。まさか卒後13年後、神奈川の地で開業することになるとは夢にも思っていませんでした。
 私には学生時代からずっと続けていることがあります。それは最前列の席で授業を聞くということです。一番前の席で授業を聞くと講師の先生との間に二人だけの空間ができ、マンツーマンで授業を受けている感覚になります。平成14年の開業当初は知り合いもおらず講演会に行っても言葉をかわすひともいませんでしたが、一番前の席に陣取り、出来るだけ質問をするよう心がけました。その甲斐があってかはわかりませんが、少しずつ周囲の先生方から名前を覚えてもらい、声をかけて頂けるようになりました。平成19年の6月のある懇親会の席で当時の神奈川県内科医学会会長の中山脩郎先生にご挨拶した際、内科医学会の認知症対策委員会への参加を、同副会長の宮川政昭先生は高血圧神奈川スタディ委員会への参加を勧めて下さいました。さらに平成20年には神奈川県保険医協会の副理事長山本晴章先生より学術委員会への出席を勧めて頂き今日に至っています。
 開業医にとって一番大事なことはもちろん日々の診療であり、そこが自分のフィールドであることを忘れてはいけないと思っています。同時に内科医学会や保険医協会の委員会に出席させて頂き、多くの先生方とつながりができ、たくさんのことを教えて頂いているなかで、いつの日か自分なりのやり方で世の中にアプローチしていくことができればいいなと考えるようになりました。保険医協会の副理事長で学術委員会の森壽生先生にお会いしたことでその思いはさらに強くなっています。大変口幅ったい言い方ですが、開業医が日常の診療のなかでの疑問を臨床研究として行い、その結果を世間に発信していくことができればと漠然とではありますが考えています。  最後に平成23年度の星医会湘南ブロック親睦会の幹事を仰せつかり、現在あれこれと思案中です。どうかたくさんの先生方にご参加頂き旧交を暖めて頂きたいと思います。




▲ページのトップへ
←目次へ戻る
←会報のページへ戻る